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正義の副作用と解毒剤

こんにちは。あすぺるがーるです。


思うことがあって、ずっと前に買ったライトノベルを読み返していました。

これは、ひとしずくP・やま△の「からくり卍ばーすと」と「Re:birthed」をノベライズしたものです。


からくり卍ばーすと

Re:birthed


話が複雑すぎるので作品自体の感想文・考察はまたの機会に──

一生書けない気がするけど。


そのため今日は、この本の言葉を借りて「正義の危うさ」を論じていこうと思います。

※この記事にネタバレはありません


正義って何?

そもそも、正義とは何でしょうか。

正義(中略)とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などにもとづく道徳的な正しさに関する概念である。
広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。正義 - Wikipedia

この世に正義が存在することによって、人間の存在が守られ、社会を維持することが可能になっています。

俺たちは、確かに人を殺している。だけど、それはあくまでも、この社会にとっての悪、善良な人々に危害を加える奴ら……放っておけば、治安をどんどん悪化させる要員を粛清しているんだ(下P.22)

もし正義が消えてしまったら社会が大変なことになるのは、想像に難くないでしょう。


正義の限界と「悪」について

そんな「正義」の暴走により、多くの尊い人命が犠牲となってしまうのが「からくり卍ばーすと」の世界です。


正義には「悪」との対峙がつきものです。

「悪」は人々の生命や尊厳、生活を脅かすため、正義は「悪」に立ち向かい、ときにそれを排除します。


しかし、悪が正義に完全淘汰されればオールオッケーというわけにはいきません。


悪は無くならない

思い返してみてください。


ニュースで「悪」を犯した人についての報道を全く見かけなかった日は、ありますか?



答えは、多分にNOでしょう。

世の中には一定数、悪というものは存在し続ける。これは絶対に覆らない真だ。己のより良い生や優位性確保のために、他者を傷つけ、退けることを簡単にやってのける強欲な存在は、哀しいかな、どんな時代でも、決してゼロにはならない……。(下P.177)

私たちがどれだけ正義を望んでも、他の人が悪を犯せば、悪は存在してしまいます。

そして私たちは、悪を犯そうとする人の思考をコントロールすることはできません。


そのため、この世から悪を無くすためには、悪を犯した人や犯そうとしている人を、延々に根絶やしにするしかないのです。


悪の果たす役割

人々を脅かす「悪」は、なぜ無くならないのでしょうか。


ヒトの誕生まで、生物たちを動かしていたのは「自然の摂理」のみでした。

それまでは、正義も悪も存在しなかったのです。


しかしヒトの世界では、事情が大きく変わります。

この世界は自然の摂理から隔絶されてしまった。弱い者が強い者のために淘汰され、強い遺伝子を持つものだけが生き残るという、自然本来の営みを、この閉鎖された空間で続けていくのには骨が折れる。(下P.178)


古来、ヒトも自然の中で生きる「弱い」生物種のうちの一つにすきず、自然の変化や食物連鎖によって、あっけなく死にました。

それを防ぐために人々が互いに集まり、知恵を共有し、互いを守る「社会」というシステムを生んだのです。


他の生物にも「社会」を作る種はいますが、ヒトの「社会」は、その抜きん出て高度な知能によって複雑化し、「自然の摂理」だけではコントロールできなくなりました。

弱体化した「自然の摂理」に代わって社会を動かすようになったのが、この「正義」と「悪」なのです。

白だけでも黒だけでも、世界は循環しない。白と黒をうまく混ぜ合わせて、灰色になるように、バランスをとらなければ。
無菌室のような、何も恐れるものもなく、すべてから守られた純白の世界では、生物はやがて自浄能力を失い死んでしまう。(下P.165)

何も失われない「純白の世界」では、社会を動かすために失われるべきものが失われません。

失われるべきものが失われない「純白の世界」は飽和し、新しいものが生み出されなくなります。


それは、社会の機能停止を意味します。


もちろん、そうなっても生老病死の影響は受け続けるでしょう。これらは、人間に残された数少ない自然の摂理といえます。

ただ、その生老病死さえ人間はコントロールし始めつつあります。限界はありますが。


以前、生老病死を失った世界の話をしたことがあります。

その世界は規則なくしては動かない、悲しみも苦しみもない代わりに楽しさや喜びもない「止まった」世界になってしまいました。


「純白の世界」も同じような運命を辿ると、私は思います。

具体的に何が起きるかは、私にもよくわからないですが…


分からないなりに無理やりにまとめると、悪は社会の代謝のような役割を果たしているのかなと私は思います。


私たちは代謝のうちの一つである呼吸によって、外界から物質を取り込んだり、排出したりしています。

息を吸って吐いて物質が巡り私たちの体が機能するように、正義と悪によって事柄が巡ることで、世の中が機能するのかなと思います。


正義の大いなるデメリット

悪の存在は忌わしいものですが、だからといって無理に正義を押し通そうとすると、悪以上に大きな歪みが生まれてしまいます。


「正義」によって作られる「悪」

「からくり卍ばーすと」の舞台である都市トーキョーは、戦争による焦土化を逃れた数少ない都市のうちの一つです。

外の世界は無限の焼け野原のため、人々の生活を維持するための資源をトーキョー内だけで賄わなければいけません。

土地も資源も限界を迎え、行き詰まって行くこのトーキョーを救うのは、ヒトの人口進化しかない。そう、進化とはつまり、淘汰だ。ヒトは、そろそろ人工的に淘汰されていかなければいけない時期だろう。
それに、貧富の差など、埋める手はずがあればすでに有能な政治家たちがやっている。それができないから、こんな世界になってしまった。ならば、少しくらいの荒療治が必要だろう。貧民たちを人類のために有効活用する、一石二鳥の方法を(下P.237)

この台詞を言った本人は、自分の仕事の重大なプロジェクトを成功させるため、一人の人間を殺めました。

しかも殺めた人間の情を利用し、本人が死を望んだ体にして殺めたのです。


これは、まさに「悪」そのものでしょう。


しかし本人は、自分のやろうとしていることが完全に善だと信じ切っています。



もしあなたが殺された人の親友だったら、どう思いますか?


まず穏やかな気持ちではいられないでしょう。



彼女も同じでした。



これが、殺し合いの日々の幕開けです。



「正義」と「悪」は容易く入れ替わる

人間の運命は、良くも悪くも簡単にすり替わってしまいます。


運命は、人の意志と関係なく、むしろ背くよう変わってしまうことが少なからずあります。

世の中には、一生懸命に頑張っても、どうにもならないことがたくさんあるからね。不幸に誘われる運命が、ただ重なってしまっただけ、とも言えるだろう。(下P.188)


そんな理不尽な運命に直面した人は、望んで自ら運命を変えることも。

ただ、運命が変わったことと本人の望みが叶うかどうかは、また別の話です。


作中では、人の運命の儚さがアンデルセン童話の「人魚姫」になぞらえて暗示されています。


彼女の生まれ持った運命は、深い海の中を自由に泳ぎながら、海の中の仲間たちとともに生きること。美しい月夜に岩肌に上がって歌を紡ぐこともあるかもしれないが、それだって人間と交流するためじゃない。彼女は海の中で生きるべきだったんだよ。
けれども彼女は人間に恋をして、陸を選んだ。自然の摂理に反する道を選び、身の丈に余る幸せを手に入れようと、欲を出してしまったんだ。だが、そうまでして彼女は、王子を愛してしまったし、その望み薄な夢に挑戦してみたかったんだと思う(下P.189)


自分にとっての「正義」。


あなたの周りの人にとっての「正義」。


社会にとっての「正義」。


これらが一致するか相背くかを決めるのも、あの儚い「運命」なのです。



自分が「正義」だと思った行動が、誰かにとっての「悪」だったら。


恋する人魚姫のように、悪に手を染めても叶えたい望みができてしまったら。


あるいは、自分の行動が「悪」と知っていても、止めることができなくなってしまったら。



そんな運命にみまわれたとき、あなたの振りかざした過剰な「正義」は、あなた自身に突き刺さるのです。


過剰な「正義」の解毒剤

このような「正義」の呪縛と暴走から解放されるには、どうしたら良いのでしょうか。

以下に、私なりの考えをまとめます。


自分も「悪」になり得ることを認識する

まず、これが一番。


「悪」というとちょっと大げさかもしれませんが、「迷惑をかける」「(意図せずに) 他人を傷つけてしまう」ぐらいのことなら、日常的によくあることでしょう。


自分の行動が他人に及ぼすダメージが「ある程度」より大きくなると、悪になります。

しかし「ある程度」がどれくらいかは、事と個人によって様々です。

事前予測ができて食い止められればいいのですが、それも完全ではありません。


そんなときに「自分が悪などするわけない」と考えて行動するのと、「自分も悪をたくさん犯してしまっている」と考えて行動するのでは、天と地ほどの差があります。


まず、自分も「悪」になり得ると肝に銘じてください。

そして「悪」とはいかないまでも、誰かを傷つけたり迷惑をかけたりしたことに気づいたら、すぐに謝意を示し、なるべく早く行動を改められるよう務めましょう。


自分に反する声に耳を傾ける

自分の考えに反する声を、「自分の考えに反するから」といって認識を遮ってしまうのではなく、まずは一旦受け止めるようにしてみてください。


反する声を受け止めたからといって、その声に従って行動しなくてはいけないわけではありません。

声に従うのがどうしても無理なら、別の解決策を考えればいいのです。


自分に反する声の認識を遮ってしまうことの影響は、声を発した相手に留まりません。

そのことで一番悪影響が及ぶのは、自分自身です。


反する声の認識を遮ることで、自分の行動を改める貴重な機会が失われます。

それは、自分の行動が取り返しの付かない「悪」に著しく近づく可能性を大きくしてしまうことを意味します。


凛は、しきりに「何も知らないくせに」と蓮に言っていた。確かに蓮は何も知らなかった。知ろうともしなかった。彼女が今まで、何を信じて、何のために戦っていたのかを、蓮は目を背けずに、今度こそちゃんと知らなければならないと思った。(下P.183)


「からくり卍ばーすと」中で終始いがみ合っていた、凛と蓮。

Re:birthedより)


もっと早くこのことに気づいていれば、あれほど傷つかなくて済んだのかもしれません。


蓮も、凛も。



互いに死にかかってからでは、遅いです。



一歩引いて考えられる状態を作る

「からくり卍ばーすと」の世界で絶対的に足りないのは、「余裕」でした。

まぁ、周りが無限の焼け野原でシステムによって辛うじて保たれてる都市の中で国家機関へのテロが続発している状況に、「余裕」なんてあるはずがないんですけどね。


この世界では、物理的にも心理的にも「余裕」がなく自らの行動を顧みる時間もない中で、様々な立場の人間の感情と思惑によって、破壊行動が起き続けます。



皆、自分の行動を「正義」と言いました。


自分の行動で数々の人命が失われ、そのことで自分たちも深い傷を負っているにもかかわらず、殺し合いを止められなかったのです。



ほとんどの登場人物の感情に、思考に、一歩引いて考える余地が欠けていました。



こんな状況に遭う可能性はまずない(と願いたい)ですが、あなたがもし追い詰められているとしたら、まずは何らかの方法で楽になってください。

なるべく他人に被害を与えずに済む方法で。


頼れる専門家には、とことん頼ってください。



そして自分の心に余裕ができたら、自分の行動を客観的に、「一歩引いて」顧みてください。


即断即決・即行動の必要性と立場から解放され、客観的に考えることで、今まで見えなかったことが見えるようになります。



「一歩引いて考える」ことは、独りではかなり難しいと思います。

その時は、ためらい無く第三者に頼ってください。個人的には公認心理士の資格を持つカウンセラーさんがオススメです。



頼るのは「悪」ではないですよ。


おわりに

「正義」は、「正しい」とは限りません。


「正しい」ことと「悪い」ことの判断も、個人の立場・状況・実力などにより、様々に変わります。



それに対してあなたの感情は、あなたが本心から感じている限り、絶対的に「正しい」ものです。

あなたの感情に「間違いだ」と言う権利は、誰にもありません。



そのため本当に追い詰められたときには、「正義」が求めることに反してでも、あなたの感情が求めることを行ってください。

なるべく他人を傷つけないように、ですが。


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