観ている私から逃げる私(805文字)
人にどう思われるかを気にして私が感じていることを切り離し、無に帰して全てに対してそれをして、何も感じないことにして痛みから逃げ、実際は逃げ切ることはできず、永遠に追いかけてきては何度も目の前に現れ存在し続ける痛みは私のなかに確かにあることだから、ないことにはできなかった。
私につながり、私はここにいて、私が感じることがあり、表現したいから表現し、その表現で人が感じることは、その人が感じることで、私の責任ではなく、その人の痛みに私の表現が触れただけで、その結果離れていく人は離れていくけれど、物理的に離れるだけで、つながりとはなんの関係もなく、つながっていると思えば、つながっているのだから、目に見えないつながりが、そこにあるだけだった。
他人の痛みを感じ取れない、深いところにある痛みを感じ取れない、感じ取らないのは私の深いところにある痛みを私が感じようとしないからで、私に向き合いたくない私は「もう必要ないの」という言葉を相手から聴きたくなくて「見離すことにしたの」と言われたくなくて、相手のいのちに触れると、私の不要さが明らかになると思っていた。
だから、にげる、逃げる、私は無になる、無になると、感じなくなる、反応しなくなる、快も不快も感じなくできる、反応を抑えられる、自分のいのちとつながらなければ、反応を抑えられる、反応を抑えることができると、表面上はつながれる、相手のいのちとはつながらないけど、ひと時は一緒に過ごせる、切られない、相手のいのちとつながらない、理解し合えることはないけど、一緒に居つづけることを選択してきたのは、つながるわけにはいかない、表面上のつながりを保つためには、いのちとつながるわけにはいかない、つながってしまうと、相手の真実とつながり、いよいよほんとうに切れてしまうと思い込んでいたからだった。
私に告ぐ。
逃げたいなら逃げろ。
叫びながら逃げろ。
思いっきり叫べ。
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