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あたたかな終幕。『天官賜福』6巻、墨香銅臭

『天官賜福』の台湾版(平心出版)6巻は、第114章からラストまで。外伝もあります。いやあもう、余韻がすごくて。気持ちを落ち着けるために2度読んでも、はぁ……ため息しか出ません。

以下、自分のための備忘録なので、気になることしか書いていません。余談だらけですし、ネタバレもあります。ご容赦ください。

まず、すごく些細なことから。要所、要所でいい活躍をしてくれる雨師篁が、6巻も最初から登場でうれしいです。それに関連して、翻訳のbugみたいなものも発見。中国語の小説をこんなに真剣に読んだのが初めてなので、些細なことが一々新鮮です。

中国語の簡体字で「你ni」は男女どちらも使えますけど、台湾の繁体字だと男性の「你」と女性の「妳ni」を書き分けます。それで何か不都合があるかというと、普段は特に問題ありません。

でも、『天官賜福』6巻初めで君吾が誰かと通霊する場面はどうかな? このシーンでは、君吾が誰を「ni」と言っているのか謝憐にはわかりませんし、中国のネット小説として連載されていたときには「你」だったはずなので、読者にも誰だかわからず、ちょっとドキドキさせられる場面です。

なのに繁体字版では、読者は「妳」の字を見て、君吾が女性と話をしているとわかってしまいます。女性の神官が霊文と雨師くらいしか出てこない上に、この場面で霊文は除外されるので、誰からの通霊かほぼ特定できるという。作者の手のひらでめいっぱい転がされたい私のドキドキが……1つ消えた(泣)。

これがもし、『ハサミ男』みたいに高度な叙述トリックのミステリー小説だったら、翻訳はかなり最初から神経を使って対策取るんでしょうけれど。『天官賜福』のこの場面は、大したことないとスルーされたんでしょうね。実際、どうしようもないですし。

繁体字と簡体字で字が変わるといえば、謝憐の従弟戚容(チーロン)が最後まで食べなかった谷子の名前について。最初は「谷」が「穀」の簡体字だから、なにか粟とかヒエみたいな穀物(植物)の名前なんだろうなと単純に考えていたんです。田舎の子供にそういう名前ありがちだし、現代ドラマ『歓迎光臨』でも北京なのに「豆子」なんてニックネーム出てきたし。ただ、よく考えたら私の読んでるのは繁体字版だから、簡体字の「谷」のままじゃおかしい。

『天官賜福』で悪役の戚容は、途中退場するのかと思いきや、他の「鬼」たち同様、最後までなんだかんだ物語に絡みました。谷子は戚容だけじゃなく、朗千秋とも関わって、全体的な登場回数でいえば神官の朗千秋より多い。なのに、他の登場人物と違って、谷子の子供らしさにあまりリアリティがないというか。誰に対してもいい子で、無垢のままでスレなくて、成長も変化なし。

物語の中で、谷子だけ微妙に異質な存在っぽくて、不思議だなあと思いながら読んでたとき、菊地先生の『儒教・仏教・道教』に「谷神」の名前を見つけました。なるほど、谷子が「谷神」のイメージなら、最終的に朗千明がいろんな過去を許容するきっかけになったのもわかる気がします。まあ、個人の勝手な感想ですけど。

谷神とは何もない空間を意味する。かげもかたちもなく、どんなものにもしたがう。身を低くして動かず、静かでありつづけ、衰えることがない。すべてのものはここから生じたのだが、その姿は目に見えない。(王弼)

菊地章大『儒教・仏教・道教』

さて、6巻はなんといっても「身在無間、心在桃源」です。三郎を救って、結果として自分も救うことになったのが謝憐の若気の至りのような一言だったとしたら、ラスボスの壮絶な恨みをかって地獄のような試練を味わされるのも、また謝憐の若気の至りすぎる一言が原因という。こういう何事も紙一重な構成、最近本当に好きです。

そして、無間と聞けば思い浮かぶのは映画『無間道』(邦題:インファナル・アフェア)。警官が別人になりすましてマフィアに潜入して生きる地獄と、警察組織に潜入するマフィアの地獄が交錯する名作。トニー・レオン(梁朝偉)とアンディ・ラウ(劉徳華)の共演で最初から最後まで見応えある分、しんどさも半端ない文字通りの「地獄」です。

黒水が、とにかく自分の恨みを晴らすためにだけ鬼王になったように、君吾もただただ自分の恨みが原動力。天界にいても「無間」にいるように生きてきた君吾が、地獄も知らずに「無間」なんて軽く口にできる青二才(謝憐)に、本当の「無間」を教えてやるといわんばかりの800年を費やして、その怨念の果てに自分の足元を崩すことで、ようやく終わった「無間」。

一人ひとりで考えれば「ありがち」な悪意や欲望が、何らかの理由で瞬間的にものすごい数で一点集中すると、とんでもない地獄が実現するエピソードは、なんとなく劉慈欣の『三体』思い出します。中国の作家さんって、こういう「蝗災」的描写に本当に容赦がない。『三体』を読んだオバマ大統領(当時)に「この地獄に比べれば、ホワイトハウスはまだまし」的な感想を言わせただけあります。

後日談的な落ち着いた話の流れの中で、雨師と宣姫のすれ違いは、さり気なく切ないエピソード。洞察力だけでなく、不器用さもまた雨師の魅力。微妙なさじ加減の描写がいいですね。ただ、風信については、最初の名前の字の書き間違いエピソードから、ニックネーム変更のオチ。一本筋が通っている風信だからこそのネタ担当なのですが、やっぱりかわいそうな気が。いえ、面白いですけど。

郎千秋と謝憐については、わだかまりが完全に吹っ切れたわけではなさそうですが、それでも、先祖伝来の赤いサンゴを謝憐に手渡す場面に、じんわり目頭が熱くなりました。戦いの中で、気がつけば朗千秋がナチュラルに謝憐を「師匠!」とか呼んでいましたしね。珊瑚の濃い紅、印象的です。

朗千秋から渡された手の中の珊瑚の小さな濃い紅は、太蒼山の楓につながります。山全体が楓の紅葉で彩られていた謝憐の修行時代。仙楽国滅亡後、山も道観と一緒に燃えて、木々の緑は戻ったけれど、紅葉はなぜか戻って来なかった描写が2巻でした。それが6巻になって、また楓の紅葉に染まります。

そこから、太蒼山全体をともす紅灯の鮮やかイメージの流れ。3巻の中秋節のシーンとも重なって、夜空まで赤いランタンで染まるような最高の映像が読者の脳内に浮かびます。そして、最後はたった一人の大事な人の紅衣へカメラワークが収斂していきます。まるで赤い糸をたぐりよせるように。

『天官賜福』はさっと読んだだけでも感想は尽きないし、すっとばしてストーリーを追った分、今後、読み返すたびにもっといろんなことに気づくはず。まだ1巻と2巻は繁体字版を読んでいませんし、『すばる』6月号のインタビュー記事を読むと、修正版もある模様。3巻以降の日本語版の出版を待ちつつ、繁体字版を何度も読み返すだけで、当分楽しめそうです。


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