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【掌編小説】ピース

昔、母とした約束がある。
夜。歩(あゆむ)はコーヒーを淹れて、ベランダから向かいのマンションの空き部屋をぼんやりと見つめていた。
3月も終わりに差し掛かるというのに、ひやりと風が頬をかすめた。


「死」について母と話したのは、あとにも先にもこの時限りだ。

それは遠い思春期の記憶。もう二十年近く前のことになる。
歩は十二歳で、当時、埼玉県の県営団地に住んでいた。
母は三十五歳、昼間は倉庫で働きながら、女手ひとつで歩を育てていた。
歯に衣着せぬ、あっけらかんとした母親だった。
対する歩は、一人っ子によくあるタイプの、素直だが、斜に構えたところのある子だった。


その日、仕事を終えた母が帰宅し、一緒に夕飯を食べながらテレビを見ていた。
歩は当時流行っていたドラマ「金田一少年の事件簿」にチャンネルを合わせた。

堂本剛演じる金田一一(はじめ)が、コテージで最初の被害者を発見したところだった。
「こういうのニガテ。回していい?」珍しく母が言った。
「別にいいけど。ほかいいのやってないよ」
仕方なく、歩はポチポチとチャンネルをザッピングする。

ふいに、母がテレビの画面を見たまま言った。
「死ぬ瞬間って、人ってどんなこと思いながら死ぬんだろうね」
「知らん。俺も死んだことないもの。意外とあっけないんじゃないの」
「走馬灯とか見るのかな。人生のハイライトってやつ。とりあえず母さん痛いの嫌だな。長生きは別にしたくないけど。あんたが一人前になったら、五十くらいでコロッと楽に死にたい」  

「でもさ、死に方にもよるでしょ。即死だって、本当に即死してるかは本人しか分からないんだから。少なくともお互い、人の恨みは買わないことだね。そもそも生まれた時から運命で決まってるものかもしれないんだし」
「あんたってほんとひねくれてるね。親の顔が見てみたい」

母はそんな歩を横目に、ぱっと思いついたように、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
母は箸を置いて、右手でピースサインを作って僕に見せた。
「じゃあさ、こうしよう。わたしが死ぬときには、ピースしたまま死ねるか試す!」
「これならあんたもちょっと可笑しくて、悲しさ半減するでしょ」

「なんだそれ。全く意味が分かんないんだけど」
母は歩の目を見てニカッと笑っている。
「だから、もしできないまま私が死んじゃったら、それほど苦しいんだって、よっぽどのことなんだって思ってね」


「ピースサインで人生を終えることは難しい」
なんだか名言のようだ。
もしこの名言に注釈をつけるなら、大体次のようになるだろう。

<注>
ここでいうピースサインとは、抽象的な(俗にいう)ハッピーエンドのことを指すのではなく、どこまでも現実的な指の形のことである。
ピースサインで死を迎えるには、物理的にいくつかの制約がある。
自分の死期を悟っていること、交通事故のように突発的な死でないこと、
そして左右いずれかの手と指があり、意識が死の直前まではっきり残っていること。


火葬を終えた母の遺骨が自宅に届いたとき、分かってはいたけど、歩は思い切り泣き崩れた。

享年五十四歳。
結局、隔離された病棟には、歩や、歩の家族を含め誰も入れてもらうことが叶わなかった。
最後に歩が母と面会できたのも、1ヵ月ほど前のことだ。
持病が悪化してからはあっという間で、頭が追いついていかないほどだった。
余りにもあっけなく、若すぎる死だった。


注釈に、もうひとつ付け加えておく。

(中略)最後に、ピースサインのまま死んだことを認めてくれる、証人が必要だということ。


熱いコーヒーは歩の喉を通って、夜風で冷えた身体をじんわりと暖める。
歩は月を探す。

母は最期の最後、自分の運命ってやつに、抗えたんだろうか。
死ぬ前に、ピースサインを作れたんだろうか。
結果は分からない。主治医に尋ねても、気がふれたと思われるだけだ。

俺も、自分の生き方くらい、自分で決めたい。
それと同じくらい、自分の死に方は、自分では決められないとしても、
せめて抵抗だけはして死にたい。

「約束するよ」
歩は、ぎゅっと自分の右手を握りしめた。もちろんピースに。

(了)  

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