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【読書】実は江戸時代は「肉食系」だった…鳥を味わう文化を振り返る?

秋の深まり

もう11月も中頃をすぎ、秋から冬に向けて、月日が経とうとしています。今年の秋こそ、少しは頭が良くなるように…とは思いつつ、食い気が止まらないせいか、体重だけ"成長"しております。

閑話休題。

そんな中、食欲と知識欲を満足してくれそうなものとして、講談社メチエ「鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学」を記事にしたいと思います。著者は民俗学者の東京大学東洋文化研究所・教授の菅豊先生です。

鳥食文化?

以前、魚食に関する本を記事にしましたが↓

本書では

ほんの少し前まで、日本列島に住まう人びとは「鳥食の民」であった。

から始まります。

この著書のキモとなる鳥の美食学ガストロノミー、つまり鳥食文化から日本の歴史を考える的な内容となっています。

前振りとして、赤穂浪士とTKG(卵かけご飯)、吾輩も山下の雁鍋を食べたい…など食欲、いや、鳥食とは何だったのか?の興味がそそられます。

そもそもいつ頃から…

日本では、縄文時代からカモ類・キジ類が食べられていた痕跡はあったようです。その後、弥生時代になるとツル類の骨も出土されているとのことです。このくらいの時期に低湿地に定住していたから、その辺にいるツル類も食べていただろうと思われます。加えて、家畜化されたニワトリの骨も出土されていたようです。ただ、ニワトリはどちらかというと時計の役割だったと思われます。

その後、平安時代から中世にかけて、紆余曲折はあったようですが、鳥食文化が根付いていきます。

鎌倉時代の鳥食レシピには、現在では食品安全の観点から難しい生鳥(鳥刺)も普通に食べられていたようです。

室町時代になると、鳥食レシピも種類が増え、徳川幕府による支配となる江戸時代に鳥食文化が一番輝きを見せます。

江戸時代

まず、私が気になったのは庖丁人の存在。中世から庖丁人がいたようですが、元々、庖丁は魚鳥に手を加えて食べ物となす”行為”で、どちらかというと庖丁人は料理を作る所作も楽しませていたとのこと。庖丁道と呼ばれたくらいの芸事であり、今でいう一流シェフの味を…みたいではなかったようです。

あとは、江戸時代初期に刊行されたといわれる料理物語には

ツル(鶴)、ハクチョウ(白鳥)、ガン(雁)、カモ(鴨)、キジ(雉子)、ヤマドリ(山鳥)、バン(鸞)、ケリ(鳬)、サギ(鷺)、ゴイサギ(五位)、ウズラ(鶉)、ヒバリ(雲雀)、ハト(ハト)、シギ(鴫)、クイナ(水鶏)、ツグミ(桃花鳥)、スズメ(雀)、ニワトリ(鶏)

の鳥料理の話があり、当時食用にしていた鳥は多かったと推察されます。

江戸時代も後期になると、鴨南蛮鉄火飯がポピュラーフードになったようですから、鳥食文化はある種の生活の一部になっていたと言えるでしょう。

鳥を食べるのですから

当然、鳥を庶民が食べるということは、鳥を取る人と売り捌く人が必要になります。とはいっても、やはり時の将軍様の意向により、業務が停滞することもありました。

まずは、生類憐みの令

もちろん、鳥商人たちの仕事を奪うことは想像に難くないと思います。ただ、鳥食の潜在的なニーズに変わりはないですから、商人はあの手この手で生き延びようとしました。

しかし、もう一つの側面、一時的ですが、鷹狩をしなくなったことで、鷹場を管理する必要がなくなりました。

タカは生態系で考えると最上位に位置します。したがって、(自然にいる)タカ鷹狩をしようと思えば、タカが住みやすい環境を人為的に作る、いわば禁猟区鷹場だったわけです。しかし、鳥食自体のニーズは変わらないとなると、禁猟区乱獲がおき、見事なまでのコモンズの悲劇が発生したわけです。

その後、ペリーと一緒に来たアメリカ人、その他外国人が勝手に野鳥の狩猟なんかをやっちゃうのですが、当時の幕府ではそれを取り締まる力もなく、また、鳥の流通システムもぐちゃぐちゃに。明治維新前に鷹場は廃止され、江戸時代の鳥管理システムや鳥商売の制度は終焉を迎えます。

手賀沼を襲う時代の波

話を戻して。

江戸時代の庶民が鳥を食べたがっていたわけですが、現在のような温度管理であったり、交通インフラが発達していたわけではありません。したがって、消費地と生産地がある程度近くないと上手くないわけです。

そこで、本書で注目しているのは手賀沼です。

手賀沼は千葉県にある利根川水系の湖沼です。現在では湖沼水質保全特別措置法の指定湖沼となっています。

そんな手賀沼ですが、江戸時代以降水鳥の供給地となっていました。この地で行われていた水鳥猟手賀沼の自然の特性を最大限に活用した、今でいう持続可能な手法を用いて、共有地として管理されていました。その結果、冬場の農閑期に副業として水鳥猟を行うことで、安定的な収入を確保していました。

しかし、手賀沼にも、明治維新以降の荒波が容赦なく襲います。

西洋式狩猟たる狩猟法の法律化、近代化に伴う国土開発、鳥獣保護の思想、そして戦後の食糧政策・失業対策で行われた手賀沼干拓…

結果として、明治以降水鳥は西洋流の狩猟対象となって水鳥の文化がなくなるだけでなく、全国でもトップランクのCOD(化学的酸素要求量)となる湖沼へと変貌しました。

食文化が消える過程

現在の日本でツルを食用に…などというのは妄言に近いでしょう。

また、以前、魚食↑↑の本では、ウナギやマグロなんかに代表される日本の重要な食文化でありながら、より厳格な資源管理以上が要求されていること…しかし、日本の鳥食においてはより先行し過ぎて、すでに野鳥を食す文化が廃れてしまったこと…

ここから学ぶことは何だろうと考えさせられました。

人間の食というのは生態系サービスの恩恵のごく一部を享受して、始めて成立します。そのための共有資源の管理の必要性は改めて議論することはないと思います。ウナギが置かれている状況が好例でしょう。

しかし、本書で取り上げられた鳥(野鳥)の文化が衰退した経過、さらに本書の最後に提示しているクジラ(鯨)を食べる文化の流れを見ていると、もちろん持続可能性や資源管理も必要な要素ではありながら、動物愛護の”思想”が必ずしも”正しい”とは言い難いと思います。

本書はあくまで鳥食からみた日本文化の話ですが、そのまわりにある時代背景や生活の様子、文化の栄枯盛衰が丹念に織り込まれた快作であり、少なくとも知識欲はお腹いっぱいにできます。鳥肉嫌いの方にも一度は召し上がっていただきたいメニューですね。(了)

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