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渡辺利夫『放哉と山頭火:死を生きる』を読んで

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 2015.6.10 発行  ちくま文庫

内容
 学歴エリートの道を転げ落ち、業病を抱えて朝鮮、満州、京都、神戸、若狭、小豆島を転々、引きずる死の影を清澄に詩いあげる放哉。自裁せる母への哀切の思いを抱き、ひたひた、ただひたひたと各地を歩いて、生きて在ることの孤独と寂寥を詩う山頭火。二人が残した厖大な自由律句の中に、人生の真実を読み解く、アジア研究の碩学による省察の旅。

裏表紙より

 尾崎放哉種田山頭火という二人の自由律俳句の巨匠に焦点を当てている評論。

 尾崎放哉は、学歴エリートから転落し、朝鮮、満州、京都、神戸、若狭、小豆島を転々としました。彼の俳句は、孤独で、死の影を美しく詠み上げています。

 種田山頭火は、自由律俳句のツートップと言える才人でありながら、彼もまた乞食同然の貧困生活を送りました。彼の人生は壮絶で、自分の無力さと孤独を感じながら生きてきたことが伝わります。

 彼らの共通点は、家柄も学歴もありながら、世を捨て、酒癖も悪く、自己嫌悪に陥り、生きていくことの苦しさを感じながら句を作り続けたことにあります。

 放哉と山頭火の詩は、不幸や孤独から生まれたものでありながら、その美しさは心に響きます。

 人間関係で悩みを抱えることは多いです。

 今生きている現世からの逃避、過去への執着からの解放は、誰もが抱えたことのあるものです。それらを持っていない人は少ないと思います。

 深い孤独の中で、死を選んだ放哉。放哉のような人間にとっても救いは死を直前にして、ようやくもたらされたと考えます。

 

 あとがきでは、山頭火は「苦痛を戦うて勝てるものではない。打つたからとて砕ける者ではない。苦痛は抱きしめて初めて融けるものである」と述べたと書かれています。

 自由を追い求めましたが、叶わず、結局最後は、死を救済としました。

もりもり盛り上がる雲へと歩む

 これが辞世の句にあるのは、山頭火にとっての賛歌だと言えます。

 放哉で一番有名な句と言ったらこの句でしょう。

咳をしても一人

 これほどに人間の寂しさと孤独、人生においての深い悲しみを表現しているのはさすがとしかいいようがありません。ただ、この句は寂しさ、悲しさだけでなく、放哉の人生を顧みると、己を理解しない他者への恨み辛み、憎しみが込められていると感じてしまいます。

 放哉と山頭火に共通するのは、酒好きで、失敗を繰り返し、周りに迷惑をかけながら助けてもらい、人生を過ごした点にあります。ただ、二人とも特に「人生から逃げたい」という想いが常に頭の中にあったのだと思います。こんなにも生きていくことが大変な状況下で二人の様々な苦悩が、人生を通して書かれています。

 二人のこういう暮らしはいいなというか、憧れというか、自由奔放な生き方は羨ましく思ったりもしましたが、考えてみると、自分にはこういうことができないから「そういう暮らしをしてみたい」という想いを抱くのだと思いました。

 放哉と山頭火の人生を知る中で、ここまでの苦しい人生を送ってきたからこそ、人の心をえぐるような句が書けるのではないかと改めて思いました。

 放哉が心打たれた西田天香『懺悔の生活』は機会があれば読んでみたいです。

 放哉と山頭火は偉大な俳人でありながらも、ダメな人物像と書かれてはいますが、放浪者というか、世捨て人みたいな生活をしながらも、誰かしらの助けをもらいながらなんとか生きていく姿は、途方もなく、私だったら最初の序盤の序盤で、ゲームオーバーだったでしょう。

 山頭火の最期は、旅立った感じはしますが、放哉の場合、病に苦しみながらこの世に生きた証を刻むために、一人ぼっちで俳句を書き続けていたと思います。俳句に全てを捧げる姿はただ純粋に凄まじかったです。

印象に残った俳句・文章

つくづく淋しい我が影よ動かしてみる 放哉

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 60頁

(省略)そして自分たちの求める俳句は、「緊張した言葉を強いリズムをもって捉えた印象の詩でなければならない」と主張した。井泉水は、さらにこういう。
 「芸術上の制作は常に内部から迸らなければならない。外在的に牽引せられるべきものではない。生命ということは内的である。……生命は自ら萌え出て繁って行く力であるが故に、他の何物にも代えられない自己が唯一正真のものであるが故に、内的というのである」

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 66‐67頁

 この文章に感銘を受けた放哉。


淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る 放哉

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 87頁

 ひたひたと足音もなく淋しさに一人向き合う姿を想像します。生きている証として、伸びる爪、開く指を見つめる放哉。その感性というか、感覚に驚かされます。

山は海の夕陽をうけてかくすところ無し 放哉

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 131頁

春の山のうしろから烟が出だした 放哉

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 223頁

 この句が生まれた経緯を知った山頭火は、激しく心を打たれます。

鴉啼いてわたしも一人 山頭火

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 225頁

 自分を救済してくれないかと願いながら、放哉の句に寄り添った句。これを知り、とてつもなく美しいと感じました。

蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか 山頭火

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 232頁

いつまで死ねないからだの爪をきる 山頭火

『放哉と山頭火:死を生きる』渡辺利夫 264頁

 ここまでお読みいただきありがとうございました。また次の記事でお会いできたらと思います。

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