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【mixology】心を動かしてきたモノの正体

2019年は人生の転換期だった。私は仕事を退職し、ユーラシア大陸横断を決行した。自らの手で梶を切っていた感覚を今でもよく覚えている。最近は旅行中に考えていたことを整理している。数ヶ月前に書き上げた、別記事「【ユーラシア大陸横断】道中で気付いた、この先の未来について」は、非常に大きく抽象的なテーマだったが、今回は小さいスケールで、個人的なテーマを選んだ。日記みたいな感じ。

人生の転換期


私は仕事に没頭し、上司や先輩、同僚にも恵まれていた。顧客とも関係良好で、下の名前で読んでもらったり、こっそりご飯に連れて行ってもらったりしていた。かなり幸せなサラリーマン生活を送っていたと思う。

日々のMR業務である医薬品情報の提供・収集だけでなく、新しい研究会の設立や、講演会の実務担当、医療関係者のキャリアのサポートなど、従来のMRとしての仕事を越えた活動を通じて、会社からもそれなりに評価を貰っていた。3年目には、周りのサポートのおかげで、500名ほどのMRの中で上位10位の成績に入り、社長賞を貰った。役職も主任に上がり、充実した社会人生活に喜びを感じていた。しかし、この仕事ではどうしてもできない、"やりたいこと"が常に心に引っかかっていた。

"自分で作ったモノで、人を喜ばせたい"。これは昔から考えていた"テーマ"だったが、就職活動を始める段階でそれを心の隅っこに追いやり、挑戦することを諦めていた。それでも、MRの仕事の中で、常に"何か生み出せないか"と考えていたし、それがある程度、仕事の成果に繋がっていたように思う。

"何を作りたいのか。自分にしか作れない物は何か"。常にそれを考えながら仕事を続けていると、ある日突然、会社の事業が一変した。販売していた医薬品の特許が切れてしまい、外部要因で三分の一の売り上げ(200億円)が吹き飛んでしまった。そして、それに伴い経営陣は従業員の削減という血も涙もない決断をし、社内に大きな亀裂が走った。対象は勤続年数2年以上。業界の中でも異例の事態だった。上司・同僚は絶望していたが、私は「人生を転換させる大きなチャンスがやってきた」と思った。それと同時に、「サラリーマンが安泰だなんて時代は終わった。結局、自分の身は自分で守るしかない。会社の看板ではなく、自分の名前で仕事ができるようにならないとダメだ」と思った。

親や友人、尊敬している上司・先輩にも相談し、背中を押してもらった。そして生活資金・キャリアのリスクを承知の上で、2019年9月30日に退職した。

心を動かしてきたモノの正体

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私は、わがままな人間だ。この絶好の機会に、もう一つ人生でやりたいことをやってしまおうと考えた。それは「ユーラシア大陸横断」だった。これは幼い頃からの夢で、島国を飛び出して大陸がどれほど大きいのか体感してみたかった。学生時代は時間が十分あったものの、勇気がなかったためこの夢を実現することができなかった。サラリーマン時代はただ単に時間がなかった。それでも長期休暇がある度に友人と海外旅行に出かけて、ガス抜きをしていたが、海外に行けば行くほど「ユーラシア大陸横断」への想いが膨らんでいった。

いつの間にかその気持ちが爆発し、私は退職日に中国の西安へと向かった。約4ヶ月間でシルクロードを渡り、ユーラシア大陸のもっとも西にあるポルトガルのリスボンまで可能な限り陸路を使って横断した。この4ヶ月間は、27年間の人生でもっとも充実した期間であり、新しい出会いや再会、受けたことがない差別や歓迎に驚きの連続だった。横断の道中では、何度も自分自身と向き合う機会があった。「"自分探し"なんて気取ったことはせずに、ただ旅行を楽しみたい!」と心に誓っていたにも関わらず、いつの間にかクソ真面目なことを毎日考えていた。そして、正解のない問いに対して、じっくりと自分なりの答えを作っていった。

"自分にしか作れない物は何か"。その答えを出すために、まずは単純に好きな物を羅列することからはじめた。メモ帳に書き殴り、最終的に残ったのは「音楽・料理・海外旅行・医薬品」この4つだった。これらに共通する要素は何かと考え続けていると、「mixology」という言葉が閃いた。mixologyとは自分が作った造語であり、従来のモノ・考え方を掛け合わせて、新しい価値を生み出すという考え方だ。音楽は、音のmixology。料理は、材料のmixology。海外旅行は、人・文化のmixology。医薬品は、化学のmixology。その中でも、特に自分の価値観に影響を与えたのは海外旅行だった。そして、海外旅行が好きな理由をさらに深く考え抜いた際に、私は「匂い」にたどり着いた。

昨今、革新的なIT技術の発展により、何かを経験することがとても簡単になった。海外旅行にも手軽に行けるようになった。さらに最近では、YouTubeで他人の旅行動画を見て満足する人もいるらしい。しかし、私はどうしても自分で現地に行かないと気が済まないタイプで、その究極の理由は「匂い」だった。海外旅行の経験がある人はピンとくると思うが、海外には海外の匂いがある。空港からその匂いは明らかに日本とは異なり、「異国の地に来たなぁ」という実感が湧いてくるのだ。

インドで嗅いだ、排気ガス・スパイス・糞尿の匂い。香港で嗅いだ、汗・埃・鉄の匂い。キューバで嗅いだ、葉巻・カビ・ラム酒の匂い。タイで嗅いだ、石鹸・生ゴミ・油の匂い。決して"美しい香り"とは言えないが、私にとってかけがえのない、"青春の香り"である。そして、それらの「匂い」が私の心を動かしていたのだ

考えてみれば、きっかけは高校2年生の夏休みに行った、ドイツでのホームステイだったのかもしれない。人生で初めての海外で、ベルリン空港に着いた瞬間に「これが海外の匂いなのかー」とうっとりしていたのをよく覚えている。滞在時には家族・友人用のお土産はたくさん買ったが、なぜか自分用のお土産を見つけられないでいた。帰りに空港で何か買って帰ればいいかなと思っていたが、最終日にホストファミリーと一緒に出掛けたショッピングモールで、たまたま香水のサンプルを貰った。その香水は、ベルリン空港で初めて嗅いだ「外国の匂い」だった。結局、自分用のお土産はこれになった。今思えば、ベルリン空港で嗅いでいたのは、空港免税店のコスメ・香水売り場の匂いだったのかもしれない。しかし、当時の私にとって、その匂いが「海外の匂い」だった。

それ以降、私は海外旅行に行くたびに現地で香水を買っている。「異国の匂い」そのものを持ち帰ることができないが、旅行中にその香水をつけることで、思い出を香水に染み込ませるのである。そして、帰国後にその香水をふると、不思議なことに、海外旅行の楽しい記憶がフラッシュバックし、心が懐かしい気持ちで満たされるのだ。

「香り」には写真や動画では表現できない神秘的な鮮明さがあり、それに付随された記憶はいつになっても色褪せることはない。就寝前にその香水をつけて、海外旅行の楽しい思い出にふけるなんてことを今でもよくやる。知らず知らず、私は自分で「香り」の楽しみ方を習得していた。そして、香水は香料のmixologyであり、人生に大きな影響を与える要素を持っている。そんな背景で、香水の世界をもっと深く知りたいと思うようになった。

次の一歩を

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それからのユーラシア大陸横断の道中は、各国の香水ブランドメーカーに直接足を運び、調香師に勉強方法を教えてもらったり、調香の現場を見学させてもらった。気付けば30社以上のブランドに足を運んでいた。

フランスのパリにいた時は、パリ在住の日本人の調香師に会いに行った。彼女は、日本人で初めてフランスの調香学校を卒業し、自身でブランドを立ち上げ、現在も活躍されている方だ。オーダーメイドの香水を依頼し、調香師になるための相談もさせてもらった。そして香水を本気で勉強し、自分で香水を作りたいと思った。「自分で作ったモノで、人を喜ばせたい」という目標が、「自分で作った香水で、人を喜ばせたい」へと変化した瞬間だった。

側から見れば「なぜいきなり香水?」と思われるかもしれないが、過去に積み上げてきた趣味・仕事とすべてリンクしているつもりだ。全てはmixologyという言葉に集約することができる。製薬企業で働いた時に学んだ化学の知識や、耳鼻咽喉科領域の生理学的な知識も十分活かすことができる。また料理で使う香辛料は、香料としてもよく使われているし、処方を考えるときにイメージが湧きやくなる。音楽理論と、調香の理論は繋がっている部分があり、理解する上で非常に役に立っている。まだまだ香りの知識・経験が少ないが、ゆくゆくはmixiologyに則って「音楽」と「香り」を掛け合わせた新しいムーブメントを起こしたいと考えている。

その日を楽しみに、まずは一歩を踏み出したばかりだ。

GAL COSTA 『DE VOLTA AO COMEÇO』

※写真は全て自分で撮影したものです。

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