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第21巻


本巻は全巻の三分の二に当たる。19から22巻辺りが、あだちさんにとって製作にもっとも苦労したのではないだろか。
千川高校・比呂が栄京学園・広田との正面衝突を乗り越えたあと、読者が期待するのは明和第一・英雄との対決だ。だがそれをするには人間関係の整理がついていない。何よりまだ二年生の夏である。高校生活はまだ一年あるのだ。
つまり、クライマックスのための消化試合をここではこなすことになる。製作してる方は消化試だとわかっているし、読者だって薄々は気がつく。こういう時に盛り上げていくのは本当に難しい。
あだちさんは新キャラクタとその背景を出すことでこの難所を切り抜けようとする。そのキャラクタはいわば使い捨てなので、広田のような深みは持たせなくていい。
主人公の動きは最小限に抑えるのも大切。ここをやり過ぎてしまうと新キャラクタとの因縁ができてしまい、余計なエピソードが生まれてしまうからだ。

第1話 手がつけられない
冒頭にカラーページが4ページ入って全部で24ページ。
「冒頭はつかみで、そんなに派手なシーンを持ってこれない。一番盛り上がるクライマックスでカラーページをもってくるべきだ」
という漫画家さんがいて、理屈の上ではボクもその通りだと思う。しかし週刊誌でそれが難しい理由もある。カラーページは平均して二週間から三週間、先に入稿しなければならないからだ。これは色調整、色校正が通常のモノクロ印刷とは違う工程で手間が多いためである。
クライマックスは大体一本の後半に来るから、その回のネームは全部作っておかなければならない。となると、ネームを先行して三本は作らなければならなくなる。一話完結ならともかく、続き物の週刊連載でいま現在の締切をこなしながらこの作業はかなり負担だ。
ということで、負担の少ない冒頭ページにカラーを入れることが多いのだ。

あだちさんはさらに冒頭カラーでは、どう動いても対処できるように物語とあまり関係のない絵を用意している。大体は女の子の色っぽい姿である。この回もひかりと春華の水着姿。せっかくカラーなんだから目を引く方がいい、という配慮だ。

本回は変則な三幕構成。
P5~19  15ページが第一幕 
P20~25 6ページが第二幕
P26~28 3ページが第三幕

注目はP17から18の空振りのシーン。ボールの動きを先行させバットはそれに追随するような順番になっている。これが
ボールの速度についていないバット
を表している。バットを先に描くと同じ空振りでも
ボールの高低(または変化)についていけないバット
という感じになる。
こういうシーンが狙い通り描けない時、コマの順番を入れ替えてみると解決ができたりする。


第4話 速フォー
全体は緩やかな四幕構成。
P65~P69 P66とP67半ばはテレビ画面の中の話と考えられる
P70~P75 
P76~P78 P76、77は同様にテレビ画面の中
P79~P82 P82は厳密には次回予告と言えるかも

アクションのみのページと会話のみのページが交互に入って、読者を飽きさせないようにしている。会話部分でも状況を説明するだけでなく、登場人物の感情が出ていて読者の気持ちを引っ張る。感情を出す場合大切なのは、出す人物と受ける人物のワンセットになるようにすることだ。P75の冒頭で「木根さんの」と話すところが典型で、むっとした顔の木根を入れている。こうすると読者がその会話の漫画の中での位置づけを理解しやすい。
漫画の中のキャラクタは実物とは違う。例えば可愛い女の子を出す場合、漫画家が可愛く描こうと努力するのは必要である。それに加えて登場人物の誰かによる「あの子は可愛い」という言葉が必要なのである。読者はその言葉を基準にして「この漫画ではこの顔が可愛いのだな」と読み進めていくからだ。


第6話 誕生日プレゼント
最終ページに一番の山場が来る。最終ページの状況を作るために残りのページが存在するように作られている。この時のコツは、最後のページまで引っ張るためのテクニックはいろいろ使っても、話をあまり盛り上げないように気を付ける事だ。ボクがこのテクニックを遣う時は
見せ場以外は息を潜めるように描く
という感じでやっていた。
本回も重要な情報は前の方にない。あだちさんは連載の一話の中でもバランス良く物語を配置する人なのだが、こういうテクニックもつかえるのである。

このテクニックは週刊少年サンデーのような偶数ページ構成だと少しやりにくい。週刊少年マガジンや週刊少年ジャンプのような奇数ページ連載だと、最終が見開きで終わるので大ゴマでハッタリの効いた絵が入れやすくなる。2000年代から10年間くらいの週刊少年マガジンは最終ページに見せ場を持ってくる手法を素晴らしく洗練させていた。毎回毎回
「次の回はどうなるんだ?」
と思わせられた(こういう感覚を「次回への引きが強い」などという)。
しかしあまりにその傾向が行き過ぎると、毎回が次回の予告になってしまって内容が空疎になってしまう。

ページ数の話もすると、週刊少年サンデーのような偶数ページ連載が正統的なものだ。奇数の連載は1970年代後半に週刊少年ジャンプが始めたものだと思う。
奇数の効能は上で書いたようなものだが、偶数はなにがいいか。
日本の雑誌の読み物は見開きの左から始まる。これはサンデーもジャンプも同じだ。偶数は右側で終わるのでその左ページから次の漫画が始まる。これはごく自然で合理的だ。
しかし奇数は1ページ分、何かを入ることになる。これは編集上の手間をわざわざ作ることになってしまうのだ。

第7話 タイプじゃない
キャラクターを作る時には三つの側面が必要だ。

① 外見。あるいは人に見せたい様子
② 本心
③ 行動・発言

これらを場面場面に合わせて組み合わせる。
①は例えば、国内有数の癌専門外科医として若くして名望を一身に受ける。そういう人物の振る舞いは常に大人のそれだろう。誰と会ってもにこやかで魅力的だ。
しかし②は違う。実は小心。自信のなさが権力を求める。かといって、実直・素朴な部分がなくなりきるわけではない。
③。だからいざとなった時、保身のためなら誰でも切り捨てる。嘘もつく。裏切りもする。そして自分自身も傷つけていく。
山崎豊子『白い巨塔』の財前五郎のキャラクターである。

本回はあだちさんのキャラクター描写の技が光る。
冒頭、伊羽商業の四番打者を比呂は敬遠する。これが①。
②。ここまで野球を楽しみまくり、強打者との対決を楽しんできた比呂は内心忸怩たる思い。
だから③。敬遠のボールの剛速球を投げる。怒りを込めて。
漫画の場合、一人称の描写が多用しにくい(画面が煩わしくなるから)。また生身の俳優ほど表情などの情報が出せない。あだちさんはその分を周囲の解説で補う。千川の古賀監督、伊羽商・月形、明和第一・英雄が比呂の心中を解説していく。読者はそれらを通じて比呂の気持ちを理解していく。

さらに、この後に名人芸が来る。P129からの比呂と春華の会話である。
春華は、①の部分では千川高校マネージャとして比呂の行為を誰よりも理解している。それは男にとって都合のいいお人形みたいな立ち位置だった。
が、ここでは生身の女の子らしい感情をむき出しにする。それが「どうしても勝ちたいみたいね」そして「ひかりさんの誕生日だから?」という言葉だ。これは嫉妬を表した③だ。
春華の内心②は、絶対エース・比呂への信頼感の揺るぎを感じている。また比呂がそこまで自分を押さえ込む理由はひかりだろうという推測も感じる。この②が勝って強く出た言葉が上の言葉だ。
逆に①が勝つと、その後に出る「絶対負けるなよ」という言葉になる。

一方、比呂の言葉の背景は逆だ。春華の「ひかりさんの誕生日だから?」に対しては自分に憤り春華にいきどおって「そうだよ」と、言う。怒りながらも春華の感情をいなそうとし、過去はそうだったと春華に見せたい自分を見せる。これは比呂の①だ。
ところが、春華が自分の嫉妬、怒りを抑え込んでマネジャーとしての言葉にまとめた時、比呂は「ああ」という本心②を漏らす。①、②へのチェンジを、春華のセリフのあとに挿入される比呂の顔で読者に示している。特に比呂の②セリフの前、彼は春華の顔を見やる。顔ではなく心を見るような風情である。
このあたりは絶妙である。

   春華                比呂   
「ひかりさんの誕生日だから?」ーーーー→「そうだよ」
(②が強く出た③)            (①が強く出た③)
「絶対負けるなよ」      ーーーー→「ああ」
(①が強く出た③)            (②が強く出た③)



第9話 切れるもんか
24ページ。コンスタントに10話収録を続けていた単行本がこの間は9話収録になる。24ページの回が何回かあるからだろう。
雑誌の各連載、読み切り作品などのページ配分を決めるのを「台割りを引く」と言う。漫画家がするのではなく編集部が決める。編集部の、大体は編集長が決める。「台」というのは印刷機の台数に由来する。自分の台割りを引けるようになるのはオーケストラの正指揮者になるような興奮と責任を感じるものだ。

台割りの常識として、人気の連載はカラーを入れたりページ数を増やしたりの読者サービスをする。作者にとってこの構成の難しい時期にページがいつもと違うのは、いよいよ気を遣って大変だったと思う。
同じページ数で連載を続けていると、その回描くことが決まったら「この辺りでこんな感じになって…」という目分量が利くようになるからだ。しかもその目分量がかなり正確ににできるものだ。
あだちさんは三人の千川選手をつかって三幕構成にしている。

P155~P163 柳
P164~P170 比呂
P171~P176 野田
野田パートで千川に初めての得点が入るが、さほど盛り上がらない。これは比呂パートの最終場面で相手校一塁手の月形が物思わしげに比呂を見やる場面、野田パートの最終ページでの表情を隠す比呂を出しているからである。読者はここで未解決尾問題があるのに気がつく。何が未解決なのか、どう解決するのかを残しているので得点したにも関わらず不安を感じる。
このように未解決問題を散らしていって、予め読者の気分を煽っていくのは大切なやり方である。



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