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最強(たぶん) 漫画で漫画術8

構図2 間違ってるとわかる

で、そのあるんだかないんだか、実際はどんなもんだよっていう構図。
もちろんあります。
良い絵ってのは良い構図で作られています。が、良いものってのは、何がいいかどこがいいのか、実はとてもわかりにくい。例を見ましょう。

図は俵屋宗達の『風神雷神図屏風』。俵屋宗達は生没年不詳で本人の素性もよくわかっていないが、安土桃山から江戸時代の人。この屏風は日本絵画史上屈指の画題で画面の両外側から躍り込んでくる二柱の神の躍動感が素晴らしい。後年たくさんの人が同じ画題に挑戦しているのは、この際だった対立感のある構図が素晴らしいからだ。
って言っても「はぁ?」って思うでしょうね。
では、変な風神雷神にしてみましょう。

はい。
急に仲良しになっちゃっいました。さっきまで激しく対立してたのに。
この二つの図は同じ内容を描いています。画面の外側から躍り込んでくる二柱の神ですね。しかし、構図が違う。構図が違うと、絵から伝わるものがまるで違うのです。

もう一つみましょう。今度は葛飾北斎(1760?~1849)『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』(1831~33)。浮世絵の名品中の名品。富嶽っておは富士山のもったいぶった言い方ですね。それの36の風景シリーズ。実際は46枚だかあったはず。
小さな漁船をきりきりと舞わせる巨大な波の裏側に富士山が見えます。
「いっくらなんでもこんなバカでっかい波はないだろうよ」
と、北斎が冷静に描いたとしましょう。こんな感じね。

はい、面白くもなんともなくなったと思います。そうなんです、絵というのは理屈に合ってればいいというものではないのです。波を強烈に打ち出す構図を遣う事で、この絵は不朽の名作になったわけです。

構図というものはこのように便利なものなんですが、同時に難しいものでもあります。北斎晩年のライバルであった歌川広重(1797~1858)は、素晴らしい構図の使い手でしたが(海外の画家にもたくさんまねされました)、それでも判断を誤ったりしてます。例えばこうです。


『東海道五十三次 朝の景』保永堂版(1833~1834)。もっともよく知られた浮世絵のシリーズで、お茶漬けの袋に入っていましたね。日本橋の手前に魚売り、向こうから大名行列が近づいてくる、明け切らない朝の清々しくも緊張感溢れる様子です。

ところが名手広重でもしくじります。後版といって後から作り直した野があります。これ。

ごちゃごちゃですね。本当に朝の風景かよっていうくらいごちゃごちゃ。これは、大名行列の前方をすっきりあけるという構図をとらなかったせいで起こったことです。

構図って結構ややこしいです。そんな話を。しばらくしようと思います。

図は歌川広重。お弟子さんが描きました。


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