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日記(2018年)

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2018年8月の記事一覧

書くことが似通っていても

毎日何かしらnoteに書くようにしてから1カ月が過ぎた。当初思っていたよりは書けている。 書き続けていて見えたことだけど、様々な出来事なり考えなりを書いてはいるが、落とし所が結構似通っている気がする。いまの自分が書いていて、物事に対するいまの自分の捉え方を文章にしているわけだから、当然と言えば当然の話ではあるが。 それに気づいたとき、思考が停滞してんのだろうかとちょっと思ったが、考えてみるとまだ1ヶ月だ。そんなに変化していたらむしろおかしい。この頻度で自分の考えや出来事を

日記のためのメモの居場所

日記のようにnoteを書くようになってから、ちょっとしたメモを残すことも増えた。残しておかないと後でnoteを書くときには忘れてしまっていることが多いことが主な理由。 で、当初は元々利用しているEvernoteや、手軽に日記やライフログを記録できる「瞬間日記」や「DayOne」みたいなものに、その瞬間に感じた事を言葉に残しておくことも試しては見たものの、このnoteがそれに近いこともあって、書くことがだぶってしまう。 また、この辺は自分の特性なのかもしれないが、単一の目的

ただの失敗

高校の頃だと思うが、「面白い」が正義みたいな空気が苦手だった。学生ノリが苦手と言い換えても良いかもしれない。 スポーツができたり、面白いこと言えたり、単純にルックスが良かったりと、そう言ったシンプルな特性を持った人間が目立ち、人気があったりするのは高校くらいまでだと思う。 それ自体は特になんとも思わなかった。スポーツにしろ面白さにしろ、個性が強い人間が揃っていると体育祭や文化祭といったイベントは楽しくなるし、自分がそうしたイベントに関わることも楽しかった。 ただ、

乗せてもらうだけの人の悩み

車に乗せてもらうことが苦手だ。 25歳で家を出て一人暮らしをするまで、自動車がほぼいらない生活をしていた。雨の日にバスに乗ることはたまにあったが、晴れの日にはそのバスを自転車で抜いていくような場所だった。後は大体電車で済んでしまう。 もちろん、車があったら生活の幅は広がっていたとは思うが、生きていく上での必需品ではなかったため、乗りたいとも運転したいとも思わずにこれまでの人生の大半を過ごしてしまった。 運転免許は取得したものの、身分証明書以上の役に立つこともなく、大学の

体験しなくてもわかること、わからないこと

チームやグループで利用するSaaSやツールが好きで、若い頃から新しいものがリリースされると、触れるものであればとりあえず触ってきた。今は自社の環境についてもある程度自由に選べる立場ではあるので、自社に合うものであれば実際に契約して利用することもある。 そうしたことを繰り返していると、新しいものが出てきても何ができて、どんな意図で作られたものなのかは大体わかるようになる。作り手にそれを聞いてみても外すことはほとんどなくなります。 でも、触って見ると新しい発見があり、運用する

神楽坂の流儀。。。なのか?

6月末からオフィスを神楽坂に移転した。生活の拠点として神楽坂で過ごすのは初めてのこと。良い街であるのは何となく知っていたが、神楽坂を狙ってオフィス物件を探していたわけではなく、あれこれ事情がある中で選んだ結果として神楽坂に拠点を構えることになった感じ。これを縁と呼ぶのだろう。 大枠のイメージ通り神楽坂は良い街で、都心でありながら生活感溢れる商店街や、細く迷路のような裏路地や、色々な店が入り混じりながらも景観を大事にしている街並み。そして何か静かだ。車通りが少ないからだろうか

自分が生きる世界を美しいと思える余裕を持ちたい

何を見ても美しく見える時がある。近所をただ歩いていても、通勤電車に乗っているだけでも、これといって特別な場所でもない場所で目を奪われる瞬間がある。 自分が生きている見慣れた場所も美しいと感じられることを教えてくれたのはアニメで、「耳をすませば」を映画館で観た時だった気がする。1995年公開の映画だから、もあ20年以上前のことになる。冒頭の主人公が住む街の描写に魅了され、その後に自分の世界を改めて見てみると「案外きれいなんだな」とか考えたりしていた。 その後、映画にしろ写真

ツール好きのジレンマ

昔から自分の思考を助けてくれるツールが好きだった(過去形ではないか)。マインドマップツール(これとか)とか、アウトラインエディタ(これとか)とか、書きながら考えてをまとめていくタイプのアプリですね。 どれも一定期間利用していくと慣れてきて、個人的に利用する範囲では機能することが多かったのだが、当時、いつも困っていたのが職場の仲間をはじめとする関係者への共有だった。 特殊なツールであればあるほど共有は難しい。前回のテック・ワーク・トークでも触れた話。 例えばマインドマップで

ようかいしりとり しようかい

息子の夏休みの宿題のひとつに「親子読書」ってのがある。親子で本を一冊選び、お互いの感想を出しあって楽しみ、それをまとめてプリントに書くものだ。プリントの書かれ方が親に向けたものだったので、宿題と一緒になってはいたけれど、宿題ではないのかもしれない。 夏休みの頭に息子が図書館で借りてきた本でめぼしいものは、読書感想文用に息子が選んでしまったので、通りがかった本屋で絵本を物色し、選んだのが「ようかいしりとり」。 「ようかいしりとり」は2、3年前の「おかあさんといっしょ」で

テクノロジーの進歩に助けられながら

昨日の続きだが、定期的に同じことに興味を持って取り組んでも以前とは異なる体験を得られる背景には、テクノロジーやツール、サービスの進化や広がりが大きく影響してる。 自分が音声コンテンツにハマったのは、ポッドキャストが面白いことに気がついたからではあるが、その同時期にVoicyがリリースしていたり、NewsPicks Liveが始まっていたり、(金銭的に)手の届く範囲で魅力的なサービスが多数あったことも大きい。 また、自力でポッドキャストを配信することができたのも、note、

興味と行動の周期とアップデート

昨年末からずっと、「聴く」コンテンツに熱中していた。 ポッドキャストを中心に、VoicyやNoteなどの音声コンテンツ、オーディオブックも数冊聴いたかな。後はNewsPicks Liveやニコニコの対談、講演動画を音だけ聴く。主にアプリ側でバックグラウンド再生ができて、聴きながら仕事や調べものなど、他のことができることが快適で、色々と聴き漁った。 最近はテキストコンテンツに触れることが増えてきた。noteを毎日更新するようになったのがきっかけで、書き始めると自分の未熟さを

たいした運動ではないと思っていたけど

大学時代は野球をやっていた。 小中と少年野球や部活で野球をやっていて、それに飽きて高校で文化系の部に所属してみたものの、微妙に合わなくて退部。そんなこんなで高校では部に所属するタイミングを逃して帰宅部になってしまった。 八割がた何らかの部に所属している高校において、側からみるとその団結力やら仲間意識は羨ましく、高校生活はそこそこ楽しかったが不完全燃焼でもあり、その反動から大学に入ったら野球部に入ることは決めていた。 準硬式野球というカテゴリーは大学に入ってから初めて知っ

家族旅行の面白み

どこに行きたいかと息子に聞くと、どこにも行きたくないと言う。なぜかと聞くとずっと旅館にいたいからと言う。 なるほど。確かに自分も家族旅行は旅館やホテルそのものが好きだった。 普段と違う場所で家族と寝たり、ご飯を食べたり。温泉にみんなで入った後に部屋に戻り、道中のコンビニで買った飲み物とお菓子でちょっと宴会。彼にとっては初めての部屋飲みだ。そりゃ楽しい。 そうした旅館の夜の楽しみを彼から感じたのは初めてのこと。いつになくご飯を沢山食べてむせているのも、楽しい時

感情と自覚と意識と。

常に心を鎮めて、荒ぶることもなく、人に常に優しく生きられたらいいのにな。 自分が落ち着いていられるためには基本全ての他人の言動に寛容でいる必要があるんだと最近思った。こないだの書いたことにも通じる話だけど、プライベートでも仕事でもあまり関係ない。特例を作って放置していると、自分が予期せぬところでも出てしまうのではないか。日頃の思考にも影響を与えてしまうのではないか。 結局は自分の感情や思考のことだから、そこに境目はないのだが。。。それもバランスであることが難しい。感情に起