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休学後に卒論執筆の時期を迎えたメンタル崩壊大学生。

この状態を打開するためにも、この文章とともにこんな負の感情は葬りたい。そして、noteを始めとしたSNS上に負の感情をぶち撒けることがあまり良くは思われていないから、そこの固定観念をちょっとだけ打ち破ってやりたいな、なんて思う。

※5月の頭にこの記事を書き出して、でもこんなメンタルだから、なんだかやる気がしなくなって放置していてやっと今書いている。本当に自分が心の底から書きたい!と思って書いているnoteではないのかも知れないけれど、これを読める形で残すことには価値があると思う。また同じようなことを繰り返さなくて済むと思うし、同じような苦しい思いをしている人がいたら、読んで「同じ1人の人間が苦しんでるじゃん、だったらなんとなくだけど大丈夫そうだな」とか思ってもらえるんじゃないかな?と。

ダメなパターン

【負の連鎖】
①卒業論文がなかなか思うように進まない(完璧主義:理想が高すぎ)
②自己肯定感低下
③目一杯友達との時間も楽しめない

最近はこのループを繰り返してきてしまった気がしている。これがシンプルに言ってメンタルが落ちた原因の中で一番わかりやすいものだと思う。卒論と言うと、壮大なもので、自分の中では構成までしっかり考え抜かれた超大作を1人の力で書き上げるかのような勢いで意気込んでしまいがち。でも実際は教授やゼミのメンバー、そして先行研究や書籍、Google様様の力を借りて完成させるもの。それなのに、1人で変に力んでしまっているから全然前に進めなくて、負のスパイラルに飲み込まれていってしまうんだろうな。醜くてもなんでもいいからとりあえず書けばいいのに、それがどうも苦手になってしまったみたいだ。まあ、そんな訳で最近の僕はまさに「先延ばしグセ」を発動中。やらなきゃいけないってわかってるのに全然手がつかない。でも、いざ始めてみたら進むやつなんだけど、信じられないくらい最近は腰が重い。小さな達成できそうな目標にデカい卒業論文というモンスターを分割して、倒せば良いのもわかっているけれど、どうもそれに手こずっているのがここ最近。

卒論、どうせやるなら真面目に良いもの書き上げたいと思う。その一方で、こんなのどうせ自分と指導教員しか読まないクソ執筆物。だから、こんなことに自分の楽しい人生を蝕まれている場合じゃない!これは今日メッセージのやりとりしていた親友の言葉を借りてみた。

意思が雑魚

最近は、「メンタル」という言い訳のせいなのかなんなのかわからないけれど、「自分との約束」が守れない。〇〇時には起きて〇〇へ行って〇〇をしよう、そのあとは〇〇と会って美味しいご飯を食べてお喋りを楽しんで、またその後はやらなきゃならないことに戻ろう!こんな調子が「普段の自分らしさ」だと思うのだが、なんだか最近はちょっと違う。夜から朝(昼?)までで13時間寝て、その後もまた昼寝してしまって、みたいな調子だ。これって鬱の症状の一つで「過眠」っていうやつがあるらしいけど、これなのでは?と思ってしまう。こうして「自分との約束」に失敗することを続けていると、どんどんと自分への信頼が無くなっていってしまう。行き過ぎて完全に自分への信頼を失う前に、自分との小さな約束を果たすことから繰り返して、自分への信用を取り戻さないとな。

捌け口

こういう発想を続けていると、「自分は病人だからしょうがない」みたいな発想が現実のものになってしまうから良くないよね。だから、本当はこんな「メンタル崩壊大学生」みたいな縁起でもないタイトルの文章を書くこと自体よろしくないのはわかってる。でも、最近は常に頭にモヤがかかった感じ+すぐに疲れるし、何かが変。だからこそ、こうして吐き出してスッキリさせないといけない。※冒頭で書いた通り、同じような苦しさを感じている人に届けばいいなという思いがもちろんある。

現実と理想

自分は国際関係学部で勉強しているんだから、国際情勢についても詳しくて、一般教養のある人間でありたいという思いが強い。でも、実際1年半の休学を経て復学してみると、後輩の方がゼミでのディスカッションで熱く語っていたり、歳下の友達の方が圧倒的に詳しいトピックが多かったり、プライドが高い自分からうすると、割としんどい。昔から割となんでも物知りなキャラだったんだけど、最近はどうもそうじゃなくて、そんな自分をまだ受け入れられていない。まあ、1年半もある意味外界と隔絶されたような生活を自分で選んでしていたんだからしょうがないか。

もう一つ、現実と理想のギャップで死ぬほど辛いのが「体力の低下」。ジムに行ったら恐ろしいほど筋肉痛になった。体重こそ変わってないのに筋肉が落ちて、スーツのズボンのお尻の部分ががゆるくなった。山を登ってもすぐに乳酸が溜まるし、前みたいに軽快に駆け上がれない。全力疾走しようとしても身体がついて行く気がしない。もう自分も身体能力のピークの年齢を過ぎてしまったのか。でも、まだ取り返すには遅過ぎはしない。だからランニングとかから徐々に戻していきたい。でも、最近は友達に誘ってもらってようやく行ける程度(涙)

恵まれるってありがたすぎる

自分は与えられている環境としてはとても恵まれている。だからこそのプレッシャー(「恵まれた者としての理想」と「自分の現実」とのギャップから来る)も勝手に感じている。まず、金銭的な面で支えてくれている両親や祖父母から注がれる愛と期待に必死で応えたい。けど、なんだか応えきれている気がしなくてしんどい。こんなに与えられるべきものは与えられているんだから、それ相応の結果でお返ししないといけないと。自分としても誇れるような結果で喜ばせたい、とか思う。※綺麗事とかじゃなくて。

でも、こんなメンタルで文章に愚痴とネガティブさをただ並べている自分のこの現状にはもう涙が出そうだ。こんなはずじゃないし、頑張れない理由を並べて何もしてない自分を自分でも誇りに思えるわけがないし、親・友達が見てもこんな自分は「みんなが好きな自分」じゃないと思う。こんなメンタルが雑魚な時期に、もがいているのも含めて笠井康弘だと言ってくれる友達がいることは本当にありがたい。けど、だからこそ早くこんなところからは抜け出さないと。頑張れ自分!なんで動き出せないんだ?!

逃げなのかもね

でも、自分は、「頑張り切れない人間だなぁ」と最近はよく思う。結局、いつもいつも逃げてばかり。自分の中で「逃げ」なのかと言われたらそうじゃないと言いたいけれど、一般的に言えば、高校時代も受験じゃなくて推薦で就職活動も大手じゃなくてベンチャーな僕は「逃げてばかり」かも知れない。真正面から何かにぶつかって頑張り切った経験って無いんじゃないかと思ってしまう。でも「頑張り切りたいのか?」そもそも。こんなことも考える。でも、タフにガツガツ努力できる人には憧れる。自分にないものを持っている感じがする。

思い込みが激しい

「こうじゃなきゃ」「こうありたい」がどんどんと自分の中で強く、レベルが高くなっている。だから苦しい。自分への期待値がどんどんと上がる。今までの自分と同じじゃなんだか許せない。留学中はあれだけ自分の趣味とかのんびりする時間を殺して、1年勉強漬け出来ていたんだから、卒論でも同じテンションで毎日図書館籠りですぐに終わらせられるだろうとか、根拠のない自分への期待ばかりが膨らんでしまう。

バランス崩壊

趣味とやらなきゃいけないことのバランス配分は今までとても得意だと思っていたのに、最近はどうも不器用。「卒論をめっちゃ進めてやる!」と意気込んで図書館に行ったり、部屋に戻ってから作業をしたりする。一日中ずっと卒論のことを考えてる「割には」進んでいない。そんな日が続くとなんだか自分がとんでもなく無能な気がして、馬鹿な気がしてやってられなくなる。なんでこんなに一生懸命進めようとしているのに、どこから手を付けたら良いのかすらわかっていないような状況。全体を見渡す力はないのか?こんだけ大学に居ながらも「アカデミックな書く力」は皆無か?と虚しくなってくる。

自分の頭で考える

今までの大学生活ではテーマが設定されている、あるいは2500文字ほどで授業の内容を踏まえて自由に記述するレポートがほとんどだった。留学中の期末テストの形式も、テーマが明確に設定されているエッセイだったり、授業内での試験実施型だったり。よく考えてみると、自分の頭でゼロから何を言いたいのか、そのためにどんな論拠を持ってきて文章に説得力を持たせるのか、とかを考えたことがなかったのかも知れない。自分で考えて答えを出していく事が本当に苦手だなぁと。危機感でしか無い。

今までの大学生活だって、留学中だって、頑張っていたけど、ある意味思考停止で目の前に与えられたことだけを全力でやっていただけ。その合間で仲間とご飯食べたり、飲んだり、スポーツしたり、趣味をしたり。頭使わなくて楽だよね。とっても幸せだよ。あの頃に戻りたい。単純に学校のやるべきことさえやればあとは楽しい事ばかりの毎日で、すごく幸せだった。

戻りたいって言ったけれど、やっぱり戻りたくないような気もする。今は自分にとって大事なタイミングで何か大きい転換点なんだと思う。今こうして立ち止まっている形(学期のど真ん中で、立ち止まりたい訳じゃない)だけど、これにも何かの意味があるはず。人生無駄な糧なしって言葉が好きだから、そう信じたい。

ストイックがデフォ?

めちゃめちゃストイックにやらないと追いつけない環境だった2021年秋からの留学を経て、とっても自分の中でのルールというか基準が厳しくなってしまった。毎日図書館に籠もるのがデフォの生活だった。120%で努力しているのが普通な毎日だった。そうじゃないと、周りはみんな母語+学部の専門領域でやってるから到底ついていけない。自分で留学という環境を選んでいる以上は必死で喰らいつくしかないと思って頑張った。

その結果、成績は上出来だった。でも、この成績を貰うためだけに今まで留学を実現させるために頑張ってきたわけじゃないのに、「成績を貰う」ただそれだけのために色々と抑え込んで努力し続けた。授業に出ているか、勉強しているか、友達と一緒に時間を過ごしているか、日本の家族や友達と電話しているか、食事しているか、寝ているか。勉強に時間を相当割かないとついていけなかったから、無駄を削ぎ落とす以外の手段はなかった。とんでもなくシンプルな生活だった。結果、最後の期末試験後、燃え尽きてしまった。今思えば、色々と自分に禁止事項を課して、ストイックにめちゃめちゃ頑張れるタイプでもないのに、無理しすぎちゃったかな、なんて思う。でもこれも解釈次第。すごく貴重で良い経験なのは間違いないから、上手く自分の中でもう一度消化したい。

我慢が多い

留学中(2021秋〜2022夏)だけじゃなくて、趣味の写真だけじゃなくて、服、食事(料理)、自転車、スキーも、たくさん我慢しているのはこのメンタルの原因の1つかも。まず一番の理由としては実家が札幌で、荷物は大阪の祖父母のところに大半が置いてあって、今は京都が拠点だということ。もう、誰も悪くない。強いて言うなら自分が変な時期に留学を無理やり決行させてもらったからこうなっている。自業自得。でも、手元に自分のモノが揃わないというストレスは割と大きい。(お金で解決するのは非現実的なので愚痴で留めておく)

服も本当は全部手元にあったらもう好きじゃないものは処分して、好きなのは良い季節に着れるのに。料理をしようとしても寮の共用のキッチンはあんまり綺麗じゃないし、いちいち調理器具・調味料セットを全て買い揃えるのも面倒だなぁとか。今まで読んでいた、読もうと思っていた本だって大阪の祖父母のところに行けば全部あるし、読みたい資料だって全部手に入るけど、スーツケースに突っ込んで全部京都まで運んで来て、また8月末にはまた大阪に戻すだなんてめんどくさいなあとか。言い訳ばっかりしちゃう。

燃え尽きの治療

留学後の2022秋は、「燃え尽き」から回復すべく、家族とゆっくりとした時間を過ごし、ちょっとずつ地元の信頼できる仲間と会って、元気をチャージして元通りになっていった。そしてどんどん今までみたいに忙しい毎日へと自分は戻っていった。けれど、今思えばその根本は上手く治療できていなかったのかも知れない。治療というか、根源を断ち切る?根源の考え方を良い方向に向けてあげる・再解釈してあげることが出来ていなかったのかも。最近のメンタルが落ちている感覚は、その続きな気がしている。ぶり返した、みたいな感覚もある。

これでいいのか

最近の4教科しか取っていない大学生活は、なんだか変な感じがする。勉強にこんなに時間を使える時期も最後なのかなと思って3教科は興味本位で取ってみた。ただ、スカスカの時間割を見て、「これで良いのかな…?」みたいな不安が常にある。余裕があるはずなのに、卒業論文はイマイチ捗らない。直近のやらなきゃいけないことで言えばそんなに切羽は詰まっていないけれど、そのせいでなんだか緩んでしまう

人と話すのがトラウマ?

メンタルが落ち始めたきっかけとして、これはかなり大きい。人とのコミュニケーションにおいての自信を完全に失った。最近は人と会うのが億劫でしょうがない。自分でも自分に驚いている。もう、パニック沙汰だ。初対面の人と会話が盛り上がらない経験の連続で、もう限界。寮、ゼミ、学生団体…と。みんなと仲良く出来るような世界じゃないとは理解しているけれど、人とのコミュニケーションが大好きな自分としては、コミュニケーションは得意だしいつだって盛り上がって楽しいもの。だけど、最近はなんだかそうでもない。シーンとした雰囲気で誰も進んで話したり質問したりしないような空間のギクシャクした空気感を何度も味わっている。それだけじゃなくて、自分が飛び込めないような話題しかないような場にも出くわした。自分の知識があまりにも薄いから楽しめないのかな…とか色々思い詰めるようになった。

普段は人といることが大好きで、人と会えるとなるとテンションが上がるんだけど、最近はちょっと違う。いつもの仲良しと過ごしていても自分で勝手に「気まずさ」を感じてしまう。人と一緒にいるときに、常に言葉を交わしていないといけない訳じゃないのに、言葉がないだけで、勝手に気まずいと強く感じてしまうのが最近の自分なのかも知れない。

コロナ→コミュ障

関係値があまりない人たちとの飲み会、初めてのメンバーでの食事。よく考えたらサークルとか学生団体の先輩とかと一緒に飲みに行っていたのは4年前の2019年。2020年からの自分一人と仲良しの友達だけで完結してしまうすごくモノトーンな生活が染み付きすぎたのかも知れない。2021夏からの留学中だって、自分が住んでいた寮は「Honors」というところで、要するに勉強熱心な人が多いようなところで学期が始まった途端、みんなは自室に籠もるか図書館に行って必死に勉強していた。だから、本当に限られたメンツとだけ授業を受けて、一緒に勉強して、ご飯を食べて、という生活だった。ところが、2022年秋からの就職活動を実家でしていた期間は、ものすごい勢いで新しい人(社会人の方中心、インターンで一緒になった学生もいる)と会いまくった。そして2023春、また国際寮での生活+知らない人ばかりの大学での授業・ゼミで数え切れないほどの人と出会っている。なかなか普通じゃない。

友達の数に責任を持てない感覚

最近の悩みというか、頭の片隅にいつもある考え事がこれ。僕は、自分で言うのもあれだけど、友達が多い方だと思う。それも、広く薄くではなくて、比較的深い人がたくさんいるタイプ。でも、それは今まで好きで友達と時間を過ごすことに全振りしてきたからであって、この先も同じスタイルを続けられるかと言われると怪しい。けれど、どんどんと新しい人との繋がりは増えていく。寮の友達といると、その友達の友達がやってきたりする。ゼミの後輩も、せっかく同じ教室で勉強する仲間なんだから、名前を頑張って覚えて仲良くしようとする。でも、また半年経ったらバイバイなわけで、「深い関係性」に育つまで行かないうちに、毎週会える環境ではなくなってしまう。

こんなことを言い出すと人生やっていられないと思うけれど、友情はポケモンの経験値を上げていくみたいなものだと思っている。だから、僕と関わってくれるたくさんの人がいる中でも、「精査」しないといけない。自分だけじゃなくて、もちろん相手も「精査」せざるを得ない。その中で、お互いが「仲良くしたい!」と思えるパターンがある。それがいかに貴重で価値あるものか、最近はよく感じる。お互いの仲良くしたい思いと波長が上手く重なった場合は、短期間でも信じられないくらいの信頼度が築かれる場合もあると思う。それは留学中にすごく感じた。「こんなに短期間で仲良くなれて、腹を割って話が出来るのか…!」と。一度そうした関係性の基準値を超えるくらいの経験値を獲得できたら、なにかある度にお互い気軽に連絡できる素晴らしい友であり続けてくれるのだと思う。

まだ23歳で、これから先を見たことがないからわからないけれど、「基準値を超えた関係性」未満の薄い関係性が広がり続けていく人生はなんだか寂しいなと思う。だからこそ、もうそろそろ、人間関係を今まで以上にシビアに絞っていく(精査することを迫られる)時期が来ているのかもな、と感じる。社会人になった仲間たちの「時間のシビアさ」を見聞きしていると、現実を突きつけられている気分だ。

独り⇔みんな

この2023春から半年間の寮生活も、どうせならみんなで楽しんで有意義なものにしたい。せっかくの機会なんだから、みんなと楽しみながらも卒業論文や自分の勉強など、やるべきこともしっかりとこなしたい。0か100、黒か白かじゃなくて良い。欲張ろうと思えばどっちも実現出来るはず。でも、自分は本当に不器用で、最近はこのバランスが悪い。こんな貴重な一学期なのに、メンタルとかいうスタートライン手前の問題で手間取っている自分にはうんざりだ。

それこそ、この最後の一学期はたった半年かも知れないけれど、最高な仲間との出会いを最大限に楽しまないともったいない。似た志でこの国際寮で暮らすことを決めたメンバー、大事にしたい。なんだけど、序盤でも書いたように、どうも卒業論文の進め方の最適解がわからなくて、つまずいてやる気を失ってしまっている。そして1人で頭を抱えている時間が長くなればなるほど、共用スペースでみんなが楽しそうに盛り上がっているところに入る余裕も無くなっていくという負の連鎖

居場所探し

2022秋からの半年間の「就活期間」は色々な人と会って、新しい価値観に触れられて凄く楽しかった。ただ、その一方で虚勢を張って自分は頑張っていたのかな?とも思う。留学から帰ってきてから、いつもの居場所(メンバー)がいない中で、自分の居場所を必死で探していたのかも。地元のメンバーだってみんな首都圏で大学に行っていたり、医学部の実習中だったり、もう仕事をしていたり。いつものみんなが前と同じようには構ってくれない。ある意味、「留学前と同じ居場所」がそこには無かった。でも、たまたま札幌で生き生きと仕事をしている方々のコミュニティに出会えて、色々と世界観が広がった。でも、せっかくちょっと馴染めてきた(ちゃんと話をしたことがある人の数が増えてきた)と思ったら、また京都に戻る時期。留学先でも、せっかく信頼できる仲間に囲まれて落ち着いてきたと思って少ししたら帰る時期か…という感情が強かった。自分で他のみんなとズレる選択をしたくてしているんだけど、居場所探し、難しい。

喪失感

留学、休学を経て「多く」を失ったような気分になっている。久しぶりに京都に戻ってきたは良いけれど、気心の知れた友達みんながすぐそばにいない状況。1年半学校から離れていると、今まで4年の春学期まで積み上げてきた知識もほぼ全て忘れている。そして留学前の「人生を生きていた感覚」すらも思い出せない。今思えば、あの時は授業とバイトとサークルをこなしているだけで謎の「やり遂げた感」を感じているおめでたいやつだったのかも知れない、と思う。

妙に引いて見てしまう

一方で、そんな引いた見方をするくらいなら、もう一度同じおめでたいけどハッピーな毎日を送ればいいじゃないか。とも思う。メンタルが落ちているからなのか、目標・ゴールを見失ってしまっている状態だからなのか、なににつけても「こんなことして何になるんだろう?」とか全体的に冷めた目で物事を見てしまう。そんな自分がすごく嫌い。すぐに損得勘定というか「合理的かどうか?」とか考えてしまう。

今までは「趣味の時間は単純に好きだからやりたい!」って感じだったのに。今までの大学生活の美しい無駄な時間を素直に受け入れられなくなってしまった。最近だと写真を撮って、編集までしてると時間がかかりすぎるからやめておこうか…とか。何かと言い訳をつけて、守りの姿勢が多くなった気がする。新しいことでも、「合理的」に考えてNOをたくさん言うようになった。

こんな自分はなんか自分らしくない。けど、「らしくない」って言い方もあんまり好きじゃないな、「今の自分の自分らしさ」を受け入れたい。その受け入れるってのが一番難しいやつなんだろうけれど。

最後に

まとまりもクソもないただの愚痴を羅列しただけのnoteでした。でも、こんだけネガティブを吐き出したら、あとは良いように解釈していくだけな気がする。そして、結構この各作業に夢中だった間は久しぶりに邪念がなかった。余計な負の思考に駆られず、集中できてある意味幸せだった。長いnoteでしたが、好きなところだけ掻い摘んででも読んでいただけたのなら幸いです。最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。