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「鬱の症状」ってどんな感じなの?体験記。

一気に負のスパイラル脱出?

2023/06/23(金)

自分の中で鬱であることを認められてから、周りにも話せるようになった。それまでは、「鬱」を言い訳に逃げるだなんて、そんな弱い自分は許せない。という発想から、仲良しにですら現状について伝えられていなかった。

ということで、うつになるとどんな感じなのかを伝えたいと思います。

うつの症状(笠井康弘の場合)

・人と全く話したくない、会いたくない。(話したいことがゼロ)
・趣味への興味関心が消えた(趣味も心身への負担でしかない)
・集中できない(頭にモヤがかかっている+こめかみに圧迫感)
・倦怠感(ほぼ筋肉痛に近い感覚のときも、いつも外にしかいないし朝型な俺が布団から出るのに苦戦)
・過眠(酷い時は、1日16時間×5日とか。とにかく起きていられない。)

👆この症状一覧とその前後の文脈についてはこちらの記事を是非

言葉が出ない

3月半ばは、ただなんとなく人と会う気分じゃないなぁ。と思いながらも人と会うと楽しかった。確かに、疲れはいつも以上だったけれど、気のせいだろうと思っていた。そのまましばらくいつも通りに人と会う生活をしていたら、1ヶ月も経たないうちに「ひねり出さないと話したいことが一切ない」という状況になった。

本当は特に何も話したくないけれど、せっかく人といるしムスッとしていると思われても困ると思って普通に振る舞っていた。でも、いつもと違う無理しながらのコミュニケーションは楽しくない。そして周りもなんだか楽しくないのではないかと感じ始めた。自分がおかしいから周りにも楽しくない感じを伝搬させてしまっているのではないか?ずっとそんなことを考えていた。「自分がつまらない人間」である証拠集めを勝手に自分でし始めていた。そうすると、今まで考えたことすらなかったが、ただ人と話す自信が無くなった。そうすると今度は、人と会うことに恐怖感を覚えるようになった。

仲のいい幼馴染に電話をしようとも思えない。札幌の家族にはいつも「元気にやっているよ」と伝える意味でもよく電話をかけている。だから、これは続けていたけれど、電話で自分の口から言葉は一切でない。少しだけ状況を話したら、あとはただ親の話を頷きながら静かに聞いているだけ。お喋りな親子で普段ならずっと話しているのに、それすらも出来なかった。

人との関わりですり減る

特に、「関係値の無い不特定多数の人と話す状況」ですり減ってしまう。だから、最近は大学の授業にも一切行っていない。バカみたいな話だけど、人と話すだけとはいえ、疲れすぎて普通の時間に寝ても翌日は昼過ぎまで寝込んでしまったりする。普段は活動的でバイタリティの塊だと言われる自分だからこそ、この現実を受け止めるのはかなり辛かった。

普段だったら楽しくて、自分にとっては元気になれる時間のはずの新しい人との出会いやちょっとした会話でエネルギーが全て持っていかれて、楽しめたと思っても、疲れ果ててエネルギー値がマイナスになってしまう。だから翌日は寝込んでしまう。嘘じゃない、本当に。

好きなことにも無関心

多趣味な自分ではあるが、ここ数ヶ月の間は特に、すべての趣味に無関心だった。写真も携帯では撮るけど、カメラを持ち出してまで撮りたくない。撮ったらまた編集までしてしまうから卒論が進まない。だから一時的に封印しておく方が良いと自分に言い聞かせていた。カメラを持ち出すという行為がそもそも億劫で、重たい本体+レンズをぶら下げたまま歩くのがしんどいから嫌だった。(写真に関してはあんなにも大好きなことなのに、未だにやりたいと思えない)

服も普段は特別おしゃれじゃないにしても、気分によって何が着たいとか色々考えていた。けど、それすらも面倒で、黒か白+単色の服しか着ていなかった。髪の毛をセットするのも極めて億劫で、キャップ・バケットハット・ビーニーをかぶってばかり。最近になってやっと今日はこれが着たいなぁとか、前日の夜に余裕があれば楽しく考えられるようになってきている。

最近は、趣味の1つである「書くこと」が今までと全く同じとは言わないけれど楽しめるようになってきた。「書きたい」って思えていること自体が大進歩だし、それを通して気持ちが楽になるレベルまできてるからこれはなかなか快方に向かっている。ただし、まだ鬱になる前みたいに書いていると夢中になれてただ楽しい訳じゃなくて、かなり疲れるという代償がある。ペースを上げすぎないように気をつけないといけない。そうじゃないと、またすぐにとんでもない疲労感に襲われて「どん底」に逆戻りしてしまうんだと思う。

倦怠感・集中力低下

かなーり困るのは異常なまでの倦怠感と集中力のなさ。1番実感したのは、卒業論文に取り組んでいる時だった。構成(章立て)を考えていても、頭の中で少し何かを組み立てても、すべてが空中分解していくイメージだ。ドキュメント上に書いても、紙に書いても、全然考えがまとまらなかった。論拠をネット上で探している時も、因果関係が途中でわからなくなってくる。言いたいことAに対して、論拠Bを探していたはずなんだけど、AとBってそもそも因果関係しっかりしてるのか…?大丈夫か…?と異常に不安になってきて、気付いたら全然集中できていなかった。

これはまだ鬱の症状が少しずつ出始めて(ぶり返し初めて)いて、まだ症状は軽い時期だった。ただ、疲れているのか、自分が怠けていて集中し切っていないからだと思っていた。でも、一生懸命に集中してやろうと思えば思うほどに上手く行かなくて、自信が無くなっていった。いつも自分が集中するためにやっていることを全て試してみた。頭が1番冴えている朝一番にやろうとしても、歩いて、階段を上って脳に血流を送って切り替えようとしても、スターバックスに行っていつものドリップコーヒーを頼んで集中しようとしても全然上手く行かなかった。上手く行かないのに、集中しようとして頑張ると異常な疲れにすぐに襲われて、よく耐えられた日でも昼過ぎにはベッドに倒れ込みたくなる

いつもなら疲れが取れるからと、目覚ましをかけて昼寝をしても全く倦怠感は取れないし、集中力も回復しない。もう開き直って目覚まし無しで昼寝をしたら、外が暗かったりもした。そして、朝一番にやろうとしてもどうしても起きられなくて、二度寝したら午後だったり。締切が当然あるから焦っているのに何も集中できなくて、寝ても寝ても起きられなくて、全く前に進めない「無能でどうしようもない自分」を殺してやろうかと何度も思った。

優柔不断の極み

何に関してもキャパがすごく小さくて、すごく疲れてしまう。だから、決断をするのにも一苦労。普段なら「俺は今日はこれの気分!」とか友達何人かの中でも1番に声を上げるタイプだけど、そうはいかない。「自分がどうしたいのか」すらもわからない。好きに出かけて良いと言われても、行先、食べもの、順序、服装、時間…考えうる全ての要素で悩んでしまう。その場で座り込んだり、立ち尽くしたまま、ひどい時だと1時間、2時間と時間が過ぎていった。

19時を少し過ぎてお腹が空いていた。晩御飯を作る気力はとてもなくて、ラーメンが食べに行きたかった。けれど雨が降っていて、1番楽でよく履いている白いスニーカーは履きたくない。そんなことが頭をグルグルしているうちに20時を過ぎ、今度は晩御飯の時間にしては遅すぎるから行くのをやめた方がいいか?と考え出し、やっと20:30に雨の中部屋を出発してラーメンを食べて、ただ帰ってきたりもした。思い立ってから動けるまで1時間半

家事がとっても億劫

割りと几帳面で綺麗好きなタイプの自分にとってお掃除は普段は趣味みたいなもの。音楽をかけながら家事(料理、洗濯など)をする時間が意外と良い息抜きになったりしていた。だけど、料理も洗濯もとにかく辛い。

今の寮の環境だと、他の人もキッチンにいる。別に会話をしなきゃいけないわけじゃないのに、言葉も出ないし自信がなくなっている状態だから、他の人が同じ空間にいるだけで強いストレスを感じる。なんて表現したら良いのかわからないが、恐らく「怖い」という言葉がしっくりくる。

洗濯だって、しないと着る服がなくなっていく。それでも、もう洗濯をしないと服が足りなくなるというギリギリのタイミングにならないと洗濯すら出来ない。寮だから、自分の部屋の中では完結できなくて、一旦2階まで洗濯物を入れたバスケットを持って行って、洗濯機を回して30分経ったら取りに行って部屋に干すだけなのに、これが一苦労。そして、乾いた洗濯物も畳んで所定の戻すのが出来なかったりもした。ハンガーから外しただけで疲れ果てて、少し休憩を挟まないと靴下は引き出しに…などと次の行動が始められないことも。

シャワーを浴びることも物凄く億劫。4月でまだ汗が出ないような季節は、翌日誰にも合わなくて良い日はシャワーをしないまま寝てそのまま次の日も過ごしてしまったりしていた。学校で授業に出る前夜は、シャワーをしないと…と思いながらまたしばらく時間がただ流れてからやっとシャワーを浴びられる感じだった。普段だったら1日の終わりにお風呂と同じとまではいかなくても、少しはさっぱりする瞬間のはずなのに、残るのは疲労感だけだ。

学校に行けない

そもそも、学校に行くということ自体、「言葉が出ない+人に囲まれるだけでストレス」な状態だから、自分を奮い立たせてやっとの思いで行っていた。4月はまだ気力で行けていた。「これすらも行けなかったら人間として終わってる」と自分に声をかけながら、必死の思いで学校に向かっていた。しかし、5月になると、学校に行くことでどれだけ自分がすり減るかを頭と身体が理解ているからか、目は開いていても、全くベッドから起き上がれずそのまま授業を飛んでしまうようになった。

2018年の入学から2021年の留学前の夏まで、朝は得意だから行こうと思った授業に遅刻なんてしたことなかった自分がなぜ起き上がることすら出来ないのか、理解に苦しんだし、とてつもない苛立ちを感じていた。自分の脳の司令が、身体によって無視されているような感覚だ。

当たり前の、普段の自分なら超簡単なことがことごとく出来ない。これほどの苛立ちとストレスは人生でなかなか無い。絶望感でしかない。もう、何が起こっているのかわからないし、不思議で不思議でしょうがない。その現実を見つめる度に、このまま自分はどうなってしまうんだろうか?と焦り、自己嫌悪を深めていった。自分を卑下することがどれだけ無意味かわかっているから、やめたくてもやめられない。

現在進行系

今は、一番酷い時よりはかなりマシになって、家族や昔からの親友とは電話もできるようになったし、普通の時間に寝ているのに14時に起床することもほぼ無くなった。普通の人間らしい時間に起きて、それなりに活動出来るようになった。だけど、まだまだ人と会うこと・話すことが「トラウマ」っぽい感じがしている。2ヶ月以上の間、頑固な自分は現状を認められなくて、周りに何も助けを求められないまま、悶々とした毎日を過ごしていた。どん底を抜け出したであろう今のタイミングで振り返ってみると、まあ、馬鹿みたいに思える。確かにそうだ。だけど、こんな事があった。そして今もこんな感覚を経験している。

さいごに

どん底だった時期の弁解・言い訳って訳じゃない(と言いながら、意図としてはそうかも知れない)けど鬱の症状について書いてみました。目に見えて具合が悪そうとかそんな性質のものじゃなくて、気力で普通っぽく振る舞えてしまうからこそ、経験してない人にはわかりにくいんだと思います。だからこそ、これくらい詳しく書きました。「何書いてるんだこいつ…」と思う人が多いと思うけれど、本人目線ではこんな「鬱な世界」しか見えないんです。

今までの自分は「理解がないタイプ」だったと思います。具体的な経験談とかも聞いたことがあまりなかったから、想像がつかなくて当たり前だと思います。だからこそ、鬱(自分の症状はかなり軽度だからなおさら)はただの「甘え」にしか見えないことも少なくないはずです。自分自身も「うつ=甘え」だという思い込みが強いタイプだったから、症状は確実に鬱なのに適切に休む選択がつい最近まで出来ていませんでした。どこかで鬱経験者の話を小耳には挟んだ事があったかも知れませんが、信じていませんでした。だからこそ、うつだとこんな感覚ですよというのを共有したくてこのnoteを書きました。

みなさんには、こんな経験をして欲しくありません。ここまでたくさん書いてきた「鬱の症状っぽいもの」を察知したら、早い段階で休む勇気を持って欲しいです。僕の社会人の知り合いは、家族がいるプレッシャー、そして自分が欠けると回らなくなる仕事など、学生とは比にならない責任がある環境下で長期間に渡って無理をしてしまって3ヶ月にも渡るどん底を経験しています。そう考えると、今回の自分はただ自分で自分をいじめてしまって鬱になっただけだし、非常に早い段階で気付けました。だから、もうすでにこんな文章を休み休みではありますが、書けています。そして、将来も同じような苦しみ方はしなくて済むのかなと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

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