見出し画像

八月の光、が、去る前に

 八月の空の明るさには異様なものがありませんか。

 『八月の光』と言えば、ウィリアム・フォークナーの小説で、そこに描かれるアメリカ南部の夏の光も異様なのですが、日本人にとっては、フォークナーより何より、八月は“ピカドン”の光に覆い尽くされているように感じます。
 あの二度に及んだ原爆の、異様に明るく、同時に、想像を絶する暗さを持つ光がどうしても迫ってくるのが日本人の八月ではないでしょうか。

 わたしは八月、たいていはニューヨーク近辺にいるのですが、日本人なので、こちらで見上げる空も、やはり異様に感じます。
 いいえ、もしかすると、日本人ばかりでなく世界中の人々が、日本の降伏文書調印で世界大戦がやっと幕を閉じた1945年から、決して元には戻らない異様な光の元に生きているのかもしれません。

 いきなり映画の話になりますが、テレンス・マリックの作品は、映像それ自体が語りかけてくれるものがあるので、自宅の小さなスクリーンではなく映画館で観ることにしています。
 五年も前の、A Hidden Life (邦題『名もなき生涯』)を見損なったままだったのはそのためです。この作品はまた、大好きなブルーノ・ガンツの遺作でもあり、観てしまうのがもったいない、という思いもありました。
 今年に入ってやっと自宅で観たこの作品のことを書きたいのですが、映画のことを書くとは何を書くことなのでしょうか。いわゆるネタバレでは困りますし。また映画を観ていない読者にとっては、内容は明かせないけど良かったの〜!と言われても意味ありませんし。

 ということで、『名もなき生涯』と検索してみたら、もうかなりネタバレはあるようだったので、ストーリーの方は、簡潔にまとまっているwikipediaから、一部抜粋させていただくことにします。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに併合されたオーストリアを舞台に、良心的兵役拒否の立場から度重なる従軍命令とナチスの軍門に降った教会の指示に従わず、ひたすらに自分の信念と妻や娘への愛に生き、36歳で処刑された実在の農夫フランツ・イェーガーシュテッターの生涯を描く。イェーガーシュテッターは、カトリック教会の殉教者であり、福者である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

― ナチスの度重なる従軍命令に逆らい、自らの信念と家族への愛を貫き、3処刑されたオーストリアの農夫フランツ・イェーガーシュテッターの生涯。

 さらに縮めると二行でまとめられてしまいますが、ナチス・ドイツがオーストリアに侵攻したのは1938年3月で、以降、彼はナチスへの忠誠の誓い(ヒトラー宣誓)を拒み続けました。度重なる拷問後、1943年8月9日に処刑されました。享年36歳。

 戦争拒否。ナチスへの宣誓拒否。その理由は?
 1) 神(聖なるものに従う)
 2) 妻と娘との愛(を諦めない)
 3) 生活(愛の営み=生活を守る)
 以上、三つのため、です。

 当然の選択ですよね?
 1,2,3のどれひとつ、なくて良いものはありません。
 それでも、彼は、その三つを手放すまいとして、逆に全部を剥ぎ取られることになった・・・と、まずは誰もが思うのです。映画の中でも、「いいんだよ。心の中でどう思ってても。口先でほんの一言でいいんだ」「それで、君の家族も救われるんだ」「元も子もないじゃないか」などと、彼は”優しく”口説かれ続けるのです。
 彼が拷問に耐えている頃、若い妻は、村中から爪弾きにされる以上の酷い仕打ちに遭い、日々の重労働を助け合う仲間を失い、子供も友達をなくします。その妻は、「そこまでして反抗しないで」「私たちを愛しているならもうやめて」と彼に懇願しますが、終いには、彼が貫こうとしているものを完全に理解して、彼を支持し、自らも誇り高く顔を上げるのです。

 つまり、彼は、妻子から引き離され、殺害されたにも関わらず、実は、1,2,3のどれも失うことなく、それらを生き抜いたということになります。
 裏切り者!と村人が蔑んだ彼こそ、生命の1,2,3、その三本柱を自らのものにし、それを愛する妻と分かち合ったのです。生命を全うしたのです。

 ということは? そうです。彼のように裏切り者にならなかった大多数は、1,2,3を放棄して、ただ肉体だけが、そこに残されているという、生きているようで生きてはいない時間を漂っているということなのです。
 戦争が、生命の基本を全部剥奪していった、とも言えるでしょうし、生命の基本などどうでもいいと考えた人間が当然のように戦争に突入していった、とも言えるでしょう。

 もう一本、必見の傑作と名高いハンガリー映画『1945』。こちらは、1,2,3を手放し、代わりに、裏切りと剥奪の罪意識と、愛の見えなくなった家族と結婚と労働の悲惨なドラマを続けることを選んだ人たち(ハンナ・アーレントが「『自分はただ命令に従っただけ』と言うような無知と凡庸こそが悪なのだ」と言った、その無知と凡庸の人たち)のストーリーです。

 戦争が終わり、戦前の穏やかな生活を取り戻したかに見えたハンガリーの村に、ユダヤ人の男性二人がやってきます。彼らは、ホロコーストからの生還者に違いありません。村人は、自分たちを“守るため”に、ユダヤ人をナチスドイツに“売り”、追い出したユダヤ人たちの私物を略奪していましたから、ユダヤ人が現れると途端に、不吉なムード、黒い渦巻きのような罪悪感が村中に噴出します。「奪ったものを今すぐ返そう」と良心の呵責を口にする人がいても、皆は素知らぬふり。逃げの一手です。
 罪の擦り合いがある一方、罪意識に耐えられずに首を括る人も。さらには、第二次大戦でナチス側についたハンガリーはソ連に怯えていて、ソ連に媚を売る輩もいます。罪の物語においては、当然のことながら、戦争に終わりがないのです。
 ユダヤ人は、村人たちが信じ込んでいたように復讐のために戻ってきたのではありませんでした。収容所でいのちを落とした同胞の遺品を、故郷に戻してやるためにはるばるやってきたのでした。埋葬が済むと、彼らは速やかに去っていきます。
(でも、いったいどこへ?)

 その村にユダヤ人がやってきたのは1945年8月12日という設定です。
 ちょうどその40年後、私たち日本人は、もう一つの忘れ難い八月の空を経験しました。
 あの日、わたしは伊豆半島をオートバイで一周し、東名高速に戻ったところでした。
 夕刻でも、空はまだ明るく、陽射しは強く、路面には、逃げ水が見えていました。
 その路面に異様に大きな影がかかった瞬間の不気味さを、今でもよく覚えています。見上げると、頭上を、ジグザグに低空飛行する機体があるではありませんか。JALの文字も読み取れました。

 原爆からは78年。日航機123便の大事故から38年。多くの夏を越えてきた日本人の私たちは、1,2,3を手放してしまっているのでしょうか。だから次々と残酷なニュースだらけの物語が延々と続いているのでしょうか。

 それとも、1,2,3という生命の本質を大事にしようという思いは、悲惨さを目撃するたびに思い起こされ、強まっているのでしょうか。あるいはまた、映画のモデルになったフランツ・イェーガーシュテッターのような人が、密かに私たちを支えてくれているのでしょうか。

 そうならば、わたしも、支える側でいたいです。自分の無知や凡庸さを認めながら、それでも、生命を実証していく方を、選びたいです。無知と凡庸さに気づくたびに、罪悪感ではなく、生命の実証の方へ意識を向け直したい。
 1,2,3をこそ、自分自身に、宣誓していたいです。

 秋風が、八月の衝撃を流してしまわないうちに。そんな思いで、空を見上げます。


 










 

 

 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?