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掌編小説 月の子を捨てる

家に置いていた月の子を捨てることにした。

雨上がりの夜道で、秋蛍かと目をひかれ、引き寄せられるように持ち帰ったのが間違いだった。当時は石ころ同然だったのに、何を養分としているのか、どんどん大きくなる。はじめはめずらしがってクレーターなどの地形や、自転の様子を観察していたが、いまではバランスボール並みの大きさで、おまけにずっと胸の高さに浮かんでいるものだから狭い家では余計にじゃまだった。

それに、月の子が育つにつれて、わたしの不眠もひどくなっていた。明るさのせいかと思ったが、押入れに隠しても効果がなかったので、引力か何かのせいかもしれない。日中のめまいや耳鳴りもひどく、もう持ちこたえられなくなっていた。このまま大きくなれば、きっと家からも出せなくなってしまうだろう。

日が暮れてから、人目につかないよう、月の子をミニバンに積みこんだ。結構な重さだろうから、持ち上げないですむのはありがたかった。とはいえ、両腕でぐっと力を込めて押してやっとじんわり動くといった感じなので、家の前の駐車場に運ぶまでに、汗だくになった。

小一時間運転して港に着くと、停泊する船こそあれ、人の気配はなかった。幸いだった。月の子にロープをかけ、全身の力をかけて後ろのドアから引っ張り出す。

波止場でロープを解いてやると、月の子は呼吸するように光った。シンボルタワーや観覧車の虹色のきらめき、ホテルの窓から漏れる明かり、橋を渡る車のライト、母なる月の光を受けて。

最後に両手でひと押ししてやると、拍子抜けするくらい簡単に海に出た。落ちることもなく、沖へ沖へと漂っていく。月の子のあとをついていくようにさざ波が立った。

月の子から解放され、これでようやく眠れるようになるはずだった。だが、何日経っても一向に不眠が改善する気配がない。周りの人間からも、眠れないという声を聞くことが増えた。

同時に、海に現れた謎の物体についての報道をしばしば目にするようになった。その物体は日に日に大きくなり、上昇を続けているという。

毎日、日の出と日の入りの時刻が予測よりも大幅にずれていく。強風が吹いて、あちこちに流れ星が降る。時計の示す時刻と体感時刻がますます噛み合わなくなっていく。みんなやつれて目の下の隈が濃くなり、「寝られるときに寝よう」が合言葉になった。

夜空を見上げる。いまでは月がふたつ並んで輝いている。どちらが親なのか子なのか、肉眼ではもうわからなくなっていた。月たちにつられて、地球はついに軌道を外れはじめたそうだ。

月の子はわたしたちを捨てず、永遠の眠りに連れていくらしい。



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