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掌編小説 明かりをともす女

満月だ。雲が流れているのを見上げながら、水底にいる気持ちになった。

いわゆるサラリーマンでありながら、副業で占いを始めようと思い立って数カ月。休日や夜、商店街の片隅に小さな机と椅子を置かせてもらい、まずは経験を積むつもりでいた。タロットもどきのカードを使い、その並び方から物語を読み解くようなことをしている。

屋根のない商店街、どの店ももうシャッターを下ろしている。人通りも絶えたか。机を片付けようと立ち上がると、筋の向こうから、ぼんやりと明るいものが近づいてくるのに気付いた。

女だった。大柄で、どこか輪郭の定まらない感じがする。白くゆったりしたロングワンピースが、月光を吸い込んでにじんだように見えるせいかもしれない。

どことなく気になって店じまいの手を止め、女が前を通りがかるときに声をかけた。

「あのう、よろしければ、占わせてもらえませんか。修行中なんです。お代はいりません」

女は目を見開いて、足を止めた。

「じゃあ、せっかくなのでちょっとだけ。これからのことでも」

そう答えて、机の前のパイプ椅子に腰かけた。

その顔かたちに素早く目を走らせる。目頭の切れ込みが深く、白眼が濡れたように卓上の照明を映している。上下の唇が厚めでやや受け口気味だ。派手なところはないが、謎めいた雰囲気が印象的である。

カードを切る。途中、女にもカードの山をいくつかに分けてもらい、また積み直した。やりとりの際に手が触れあい、肌に吸い込まれそうな心地がして、ばかみたいに鼓動が速くなった。

カードを展開してみて、息をのむ。パートナー運が特殊なようだ。運がなさすぎるような、ありすぎるような。自分自身を磨き光らせる努力のできる人で、求愛者も多い。だが、「ヒモ」のような者に狙われがちだ。それでも相手を突っぱねることなく、受け入れてしまう。誰とも切れず、複数人と同時進行する愛。複雑そうだが、困りはしないし、不幸でもないようだ。過去から未来にかけても、そう状況は変わらない。芯が強くて懐の深いたちなのが、良い方に出ているのか。しっかり稼いで、子宝にも恵まれる。

女に伝えると、小首を傾げて笑った。

「そうね。占い、当たっているところもあるかな」

「これからもきっと、だいじょうぶです」

気の利いた助言もできず、まだまだだなあと頭を掻いた。

「そう、よかった。では、みていただいたお礼に」

女は買い物袋から、缶ビールを取り出して差し出してきた。ゆったりした袖口から腕が伸びて、ぷらぷらと何かが揺れた。手首とひじの真ん中あたりで、皮膚らしきものが、しぼんだ水風船のように垂れ下がっていた。

視線に気づいたらしい女が微笑んだ。

「これ、わたしのひと」

こっちにもいるのよ、ほら。女は椅子をずらして、長いスカートの裾を片膝まで持ちあげてみせた。腕と同じように、ふくらはぎの横あたりから、ぶらさがるものがあった。

女が囁くように語りつづける。

もう離れられないの。一緒にいるうちに、こんなふうになっちゃって。この人たち、自分ではもうどこにも行けないし、暗い世の中でわたしのことを見つけてくれたんだから、がんばって食べさせてあげないとね。

「じゃあ、ありがとう。帰りますね。子どもたちも待っているので」

幸せって、何かしらねえ……。月明かりのもと、うっすらと光りながら女が遠ざかっていく。

後ろで椅子の倒れる音がした。知らず、追いかけようとしていたのだった。



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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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