選択01

人生の選択(2)

■私:中学3年8月

当時中学の担任だったN先生に呼ばれ、私は職員室に行った。
「あのね、あなたに合いそうな学校があるから見て欲しくて」

N先生は英語が担当で、偶然にも昔、私の2番目の姉の担任でもあった。
差し出されたパンフレットは、名古屋にある商業高校だった。



偏差値はそれほど高くないが、今年から「情報処理学科」が新設される共学校で、英語にも力を入れている。なにより魅力だったのが「うちの中学から一人もその学校に進学していない」ということだった。

「工業だと電気科や機械と併せて情報処理学科もあるんだけど、公立の商業高校で情報処理学科があるとこは珍しくてね。これなら親御さんもいいって言うでしょう。ただ、遠いわよ。JRとバスで1時間半くらい」

前のエッセイでもお話したが、小さい頃は機械や工業的なものが好きで、その延長線上に「プログラミング」も含まれていた。

任天堂が「ファミリーコンピュータ」(以下ファミコン)を販売し、記録的なヒット。
当時NECが「PC-9801」を発売し、ブームになっていた頃だ。

小学校高学年当時、クリスマスプレゼントにファミコンに接続できるキーボードを買ってもらい、「BASIC」を使ったプログラミングに夢中になっていたことがあった。テレビをモニター代わりにして、自作ゲーム作成などを楽しんでいた。

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そして
理不尽ないじめ」の原因でもあった8歳上の2番目の姉の存在。

若い方は分からないかもしれないが、いわゆる「積み木崩し」をリアルにやらかしていて、中学では卒業しても有名人。
ある種先生の間では「伝説」になっている人物だった。
姉は違う中学だったが、先生は定期的に市内の中学を巡回するから、姉を知らない先生はほぼいなかった。

自分の名前より「○○の妹」と呼ばれることがほとんどで、同級生は誰も寄り付かなかったし、私が何か発表したり、何かの代表に選ばれるたび「○○の妹だからって態度がでかい」とか「○○の妹のくせに」と、陰口が絶えなかった。

先生は先生で、何もしていないのに学校でトラブルがあると、「○○の妹だから関わってるに違いない」という先入観だけで容疑者扱いだった。

小さい頃から持って生まれた環境のせいか、「差別」や「阻害される」ことに関しては人より慣れていたし、私にとってはいい姉で、恨むこともなかったが

孤独だった。
家にいても、学校にいても。
居場所が分からなかった。

当時はモニターの中にいるドットキャラや、自分の頭の中に作り上げた、妄想の「唯一の親友」だけが、私の事を分かってくれた。


N先生はそんな姉の存在や経緯、私の気持ちを全て汲み取って、授業が終わった後にわざわざ足を運んで時間を割いて、この高校を探してくれたのだ。

現在私が外語に親しめる気持ちを持ち、脆弱ながら少々の英語とベトナム語の翻訳が出来るようになったのは先生のおかげだ。
唯一「恩師」と呼べる存在で、今でもN先生に感謝している。
今私が持っているのスキルの根源はここから始まっていると言ってもいい。

私はそのパンフレットを持ち帰り、母を説得した。
自分が目指すべき居場所を見つけたような気がして、自分でも考えられないくらい流暢に言いくるめ、母はその勢いに押されたようにこの学校への進学を許してくれた。


(あの時の私と同じだ・・・)

ただ、進学後の経験も考慮して、私はもう一度娘を説得する決心をした。

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■娘 高校1年冬

9月半ば
夫にステージ3.5の肺がんが見つかり、愛知県岡崎市にあるがんセンターで抗がん剤治療をしていた頃

2度目のオープンキャンパスの申し込みをしたいと娘から申し出があった。

私は娘をダイニングに呼んで、紅茶を淹れた。

「バイオリン学科に行くことはまだ変わらないの?」
「うん。ここで2年学んで、出来れば何年かかってもイタリアに行って修行してみたいんだ。」

紅茶の入ったマグカップを2つ置き、私は少し深呼吸をした。

「・・・あのね理迦、バイオリン学科って定員20名でしょ?その中できちんと2年学んでバイオリン工房に行けるのは、片手で数えるだけ。しかも親のコネや小さい頃からバイオリンに関わる何かをしている子たちってだって、こないだのオープンキャンパスでわかったよね。」

「・・・うん」

「じゃあたとえば、その工房に行けた片手の子たちの中に理迦が入ったとして、修行を積んで、バイオリンを作れるようになったとしよう。それを買ってもらうためにはどうすればいいと思う?」

「・・・自分の実績を認めてもらう事」

「そうそう。でもそのためには、『自分はこんないいバイオリンが作れます』ってアピールする力や営業、人脈や、『自分という商品を売る』知識や武器が必要になるの。」

「・・・うん」

私は娘の目を真っ直ぐ見て話し続けた。

「ただ作ってあーそうですかって自動的に買ってくれる人はいない。あるとすれば、ヤマハとかの工場の量産品で、ある一つの工程に携わった部品をどこかの契約した工房が修理用に買うくらい。そこにあなたの名前は刻まれることはないの。お母さんが今してる仕事がそうなんだけど、それで満足できる?パートからでも技能さえ身に付けば出来る仕事だよ。」

(落ち着け、私。穏やかに。)

「それが今、理迦が2年学校まで行ってやりたいこと?厳しいようだけど、今の理迦の考え方や気持ちでバイオリン学科に入学しても、オカンは『その他大勢』で終わると思う。」

「・・・」

「この学校がバイオリン学科を設立して何十年も経つのに、この学校で卒業した有名な職人はいる?いたとしも、使う人が限られる楽器の業界で、それで食べていく覚悟が今の理迦にあるかを聞きたいの。」

娘はカップを持ったままうつむいて、泣きそうだった。

あの時の私と同じ目に合わせているかもしれないが、私は殴らずに説得する。

そのとき子供に憎まれても、道を指し示すのが親の務めだと思うから。

私は同じ学校にある「楽器総合学科」のページを開いた。1年長い3年課程。

「この課程なら賛成するよ。1年長いけど。3年になると弦楽器、管楽器、音響と選択科目がある。その前に楽器に関する総合的なマネジメントや経済学、楽器の海外輸送に関する保険や関税なんかの知識も習得できるし、音響の国家資格も取れる。これは楽器じゃなくても舞台設営で使えるからね。楽器に携わる人生でありたいなら、まずは「知識」身につけて、それでもバイオリンが作りたいというなら、それはいいと思うよ。直接工房に直談判して弟子入りを申し込む勇気と、それを断られても諦めない気持ちも積んで、受け入れてもらうためにもこの知識は必要なはずだから。」

娘はしばらく沈黙して口を開いた。

「今言われて、私自身もそこまでの覚悟がないかもしれないと思ったし、総合学科の方がいいと思ったんだけど・・・・」

「うん。」

「・・・・」

「いいよ。聞くから。」

「1年長いとお金が・・・」

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私は冷めた紅茶の入ったマグカップを握りしめた。


抗がん剤の点滴1本25万。

定期的な入院にかかる費用は一週間で約10万。

血液、造影剤、CT、MRI、レントゲン、PET、放射線治療。
通院の度の検査と診察で2万。


そんな心配を子供にさせてしまう悔しさと
理迦がいい子に育ってくれてよかったという喜びが入り混じって

一瞬、私がうつむいて泣きそうになったが、

「ばーかそんなことお前が心配することじゃないわ!オカンがどれだけ仕事できるか知らんやろ!そんなもんくらい稼げるし貯金もあるわー!」

娘の頭をぐしゃぐしゃにしてやった。


(「教育ローン」の申し込みって公庫だよな・・・)

そう思う傍ら、娘が少し泣きながら安心したように笑って「楽器総合学科」にチェックを入れたことに安堵した。

後日入院中のベッドで、点滴中の夫にこの出来事を話した。

「そうかーそのほうがいいかもな・・・入学式、行ってやらないと。音楽の道に行ってくれるのはほんと嬉しいよ。」
「まだ合格もしてないのにw」
「するに決まってるじゃん。俺の娘だもん。」

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■娘 専門学校入学式~

そこに父親が立ち会うことは出来なかったが、兄が父親代わりとして同席し、家族三人揃っての入学式だった。きっと空から桜と共に祝っていただろう。

帰り道、履きなれないヒールで地下鉄の階段を降りる時に転んで膝に擦り傷を負って、恥ずかしそうにしていたのが昨日の事のようだ。

そこから3年間、欠席したのは発熱した1日だけ。国家試験にも合格し、「優秀生徒」として表彰を受けた。
就職先も早々に決まり、私の子育ては大きな一段落を迎えた。

はずだった。


話は戻り・・・

2019年5月21日

転職先も決めないまま、5月いっぱいで退職。有休消化となった。

始め東京で働くと言って就職先を探したが、その前に家賃やその他などの物価の高さにおののいて、とりあえず名古屋に帰ってくることを決めた。

「お母さんやっぱり不動産屋さん一緒についてきて。お願い!!」

「その前に就職先どうすんの!!せめて先を決めてから辞めなさいよー(´・_・`)」

「もーー(ヾノ・∀・`)ムリムリ。2年耐えたけどブラックが過ぎる。働き方改革もへったくれもないわ!みんな辞め始めたから置いてかれる前に。貯金あるうちに派遣でもバイトでもしながらさがすわ!!なんとかなるってーーー(*'▽')」

誰に似た?このハングリー精神・・・

・・・私かww

                                                                                            (人生の選択-Fin-)








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