見出し画像

「攻殻機動隊」オルタナティブというべき「serial experiments lain」

今回は、「serial experiments lain」について書きたい。
1998年制作の伝説的カルト作品です。
確か、文化庁メディア芸術祭の優秀賞受賞作品だったかと記憶する。

まず、この作品を語るにおいては、90年代の空気というものを最初に説明せねばなるまい。
というのも、80年代までの日本はバブルというやつで、いわゆるウェイ系がメインの時代だったわけよ。
ところが90年代初頭にバブルが崩壊し、やがて阪神大震災、地下鉄サリン事件を経て、さすがに人々もウェ~イ!なんてやってられなくなった。
で、そんな重苦しい空気の中、「エヴァンゲリオン」が出てきたのね。
さらに同年、映画「攻殻機動隊ゴーストインザシェル」も。
よく考えたら、1995年って凄くない?
阪神大震災(1月)、地下鉄サリン事件(3月)、「エヴァンゲリオン」の放送開始(10月)、「攻殻機動隊」の封切り(11月)。
オタクカルチャーが一気に台頭してきたのも、多分このあたりからだろう。
「エヴァ」がセカイ系の火付け役となり、さらに「攻殻」がサイバーパンクの火付け役となった。
そして、セカイ系+サイバーパンク=「serial experiments lain」。
ある意味、この作品は90年代の空気感そのものの総決算なんですよ。

で、この作品を見た人なら分かると思うけど、90年代制作なのにめっちゃクオリティ高い作画なんだよね。
低予算でテキトーに作った類いのものじゃない。
それがまず驚きなんだが、こんな原作もなく、万人ウケもしそうにない企画にチャレンジした経緯って何だったんだろう?
こういうのも、時代としかいいようがない。
庵野秀明、押井守といったところが作家性100%で唯我独尊っぽいアニメを作り、しかもそれがウケた時代である。
ああ、大衆は理解できないものでも受け入れてくれるんだ、と多くの作家が励まされ、お陰でワケ分からんセカイ系の作品がその後量産されていくことになるんだけど・・。

今敏のカルト映画「パーフェクトブルー」が公開されたのも98年だった

さて、「serial experiments lain」本編の解説に入ろう。
これは私の個人的な印象だが、押井守の影響が強く出た作品だな、と。
イメージは、(「攻殻」+「ビューティフルドリーマー」)÷2=「serial experiments lain」という感じである。
本作を単独で見て理解が及ばなかった場合は、「攻殻」と「ビューティフルドリーマー」を併せて見ると少し分かりやすくなるかもしれない。
もちろん、これそのものは押井作品じゃないんだが、なぜか私の中では上記3つで1セットの3部作シリーズなんだよね。
「serial experiments lain」で描かれてるのは、集合的無意識である。
こういうユング心理学の知識を前提にしてる時点で視聴者に不親切な構造と感じるが、まあ早い話、人間の意識というやつは無意識化で全部がひとつに繋がってるという考え方だ。
実験では一部だが立証もされている考え方で、人間には自我があるので普段それが無意識を上書きしちゃってるんだけど、もし「無我の境地」に至れば何か別のところと自動リンクするわけよ。
それが集合的無意識ってやつさ。
虫や獣は自我を持たないので、当然集合的無意識下にある。
だからこそ奴らは、性教育もされてないのに交尾ができるんだよね。
つまり、集合的無意識というのはひとつのライブラリー、いわば巨大な知性のようなもので、人間を含む、ありとあらゆる生命体がそことリンクしている。
旧約聖書の解釈によると、人は知恵の実を食べたことで予定外に自我を獲得してしまい、そのリンクからフリーになってしまったんだけど・・。

ユング博士が提唱する意識の構造

で、「serial experiments lain」は人間の意識下の世界を「リアルワールド」と呼び、それとは別の世界を「ワイヤード(=wired=繋がっている世界)」という設定にしてるんだね。
これをワイヤード=ネット世界という単純な解釈にしちゃうと話が見えなくなるわけで(いや、それも間違ってないんだが)、そこは登場人物の発言等からそのニュアンスを読み取っていってほしい。
3つほど例を挙げておこう。

(第5話、謎の女性の発言)
「ワイヤードは、リアルワールドの上位階層と見るのが適当です。
すなわち肉体の現実など、ワイヤードに流れる情報のホログラムに過ぎません。
そもそも肉体、人間の脳の活動は、シナプスの電気伝達によって引き起こされている、極めて物理的な現象に過ぎませんからね。
肉体の存在理由は、そうやって自己の存在を確認する為にあるだけ」

(第5話、謎の男性の発言)
「ワイヤードに流れているのは、単に電気的な情報だけではないのかもしれない。
ワイヤードが形成されたのが電気や電話の発達を起源とするなら、その時点で、もうひとつの世界が生まれた気がしてならない。
このリアルワールドに、神という存在は概念でしか存在しない。
しかしワイヤードなら、デウス的存在が具現し得るのではないか。
ワイヤードのデウスは、その支配力をことによっては既に、このリアルワールドにも及ぼしてる可能性だってある」

(第9話、ナレーション)
「地球の人口は、やがて脳内のニューロンと同じ数に達する。
ダグラスラシュコフは、地球上の人間同士がネットワークで相互接続することにより、地球自身の意識をも覚醒させ得ると主張している。
確かにネットワークは、ニューロティックに進化を遂げており、人の脳内のシナプスに繋がれたそれと同じく、地球そのものがニューラルネットーワークと化しているといえる」

ダグラスラシュコフ氏

なんか、やけに難しいこといってるよね。
しようがない。
この作品は一見サイコホラーに見えて、実はSFだから。
つまり上記の人たちは何をいいたいのかというと、【世界人口の増加】+【ネットの全世界規模の普及】により、地球そのものが脳細胞とニューロンで構成された大容量の大脳になってしまったんじゃないか、ということさ。
このロジックは昔から指摘されていて、東洋が右脳っぽい機能を持ち、西洋が左脳っぽい機能を持ってることもまた事実だ。
そして何より、動物の脳と人間の脳の最大の違いは何かというと、いうまでもなく自我(エゴ)の萌芽の有無である。
で、仮に地球の人口が人の脳内のニューロンと同じ数にまで達してしまった場合、地球の機能が人間の大脳と酷似していく⇒やがて地球の自我の萌芽、ということを主張したかったんだと思うよ。
地球の自我、それってデウスじゃん、と。
そういう流れが、既に我々に影響を及ぼしてるんじゃないか、と。

脳と天体の構造の類似を研究してる学者もいるとやら・・

まあ、このへんの理論は、「攻殻機動隊」ファンであれば十分に理解できるだろう。
士郎正宗や押井守は、このへんのスペシャリストだし。
で、「serial experiments lain」のヒロイン玲音は、物語の後半になると草薙素子みたいになっちゃうのよ。
いや、スペックは草薙以上かな。
だって彼女はリアルワールドで生まれた人じゃなく、ワイヤードで生まれた意識体なんだから。
まさに「ゴーストインザシェル」でいうところの「ゴースト」ですよ。
ある意味、人間の上位互換というべき高次元意識体である。
最後、世界の上書きまで可能だったところを見るに、もはやデウスだね。

ネットワーク接続中の玲音さん・・

しかし、こんなハードなSFが一般ウケすると思えんし、今の令和なら確実に企画段階でボツにされるような内容だと思う。
あの時代、90年代だからこそ作れたアニメだよ。
90年代後半のアニメはクセが強くて、実は私、結構好きだったりします。

・エヴァンゲリオン(1995年)
・攻殻機動隊ゴーストインザシェル(1995年)
・機動戦艦ナデシコ(1996年)
・ベルセルク(1997年)
・少女革命ウテナ(1997年)
・カウボーイビバップ(1998年)
・serial experiments lain(1998年)
・無限のリヴァイアス(1999年)
・今、そこにいる僕(1999年)


見ての通り、割と鬱なアニメが多いんですよ。
まあ、そりゃそうか。
バブルが弾けて、阪神大震災があって、地下鉄サリン事件があって、しかも99年に世界が滅亡するというノストラダムスの大予言までもがあったんだから。
暗いのは時代のせいだから、そこは大目に見てあげて下さい。

玲音のコスプレしてる子が多いのを見るに、やはり「serial experiments lain」はカルト作品だね


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?