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「クラッシャージョウ」あの時代は不良少年こそがヒーローだった

今回は、映画「クラッシャージョウ」(1983年)を取り上げてみたい。
監督は安彦良和
彼は監督以外にも脚本・キャラデザ・絵コンテ・作画監督まで全てこなしたらしく、まさにこれは彼の代表作にして最高傑作ともいえよう。
同時期のTVアニメ「ガンダム」シリーズと比較しても、作画のクオリティが全然違うし。
「ガンダム」も、このぐらいのレベルで描いてくれればよかったのに・・。
そして原作者は、「ダーティペア」でも知られる小説家・高千穂遥
彼のデビュー作である本作は、日本最古のスペースオペラなんだそうだ。
彼は「スタジオぬえ」の創設時メンバーでもあり、それもあってか、本作はスタジオぬえ色が極めて強いものとなっている。
メカニックデザインは河森正治
彼以外にも「マクロス」メンバーから板野一郎平野俊貴(当時平野俊弘)らも携わってて、お馴染み「板野サーカス」も本作にて健在である。

板野一郎(「SHIROBAKO」より)

興味深いのは、作中に出てくる宇宙生物のキャラデザを数多くの有名漫画家が手掛けてたということで、その名をざっと挙げると
・吾妻ひでお
・いがらしゆみこ
・いしいひさいち
・大友克洋
・高橋留美子
・竹宮恵子
・とりみき
・鳥山明
・細野不二彦
・和田慎二etc

どんだけ豪華なメンツなんだよ・・。
あ、ちなみに細野不二彦はスタジオぬえメンバーね。

「クラッシャージョウ」(1983年)

公開は1983年なので角川の大作「幻魔大戦」とカブってしまって、興行成績では負けたらしいけど、でもアニメファンの間ではこっちの方が評判がよかったらしく、「アニメージュ」主催の「アニメグランプリ」では「幻魔大戦」を抑えて本作がグランプリ受賞。
うん、それは分からんでもない。
映画の面白さやカッコよさでいうと、確かにこっちの方が上だから。
何ていうか、スタジオぬえカラーが強い分、「マクロス」っぽいハリウッド映画的アクション要素があるんだよね。
モビルスーツ的なものは出てこず、基本は戦闘機の空中戦、および地上戦のガンアクションである。
これがもうホントにド迫力で、河森正治はここでの経験があったからこそ、翌年の「愛おぼえていますか」をあそこまでのクオリティに仕上げられたんだと思うよ。
ぶっちゃけTV版「マクロス」と「愛おぼえていますか」とでは、クオリティがもはや段違いだったもんなぁ。
とにかく、「クラッシャージョウ」は80年代アニメの隠れ名作なのは確かなので、見てない人は見といてください。
ネットで検索すれば、無料動画は見つかるはずだよ。

私は「クラッシャージョウ」を見て改めて痛感したんだが、スタジオぬえの基本テイストはキャラクターがリア充、およびパリピなところにある。
主人公が不良っぽくて、少年ながらも必ずクルマかバイクに乗ってて、これは高千穂遥自身がそういう系統の人なんだろうが、それと同時に80年代という時代の空気がまたそういう感じだったのよ。

ディスコ(←死語?)で踊るパリピなヒロイン・アルフィン

いまどきのアニメに慣れきった人ほど、こういうのに違和感があるかもしれない。
いまどきのアニメは主人公が必ず非リア充、心に闇を抱えてる陰キャであることがむしろ普通の設定でしょ?
これは視聴者の「共感」を煽る意味がある一方で、出身母体が陰キャであるアニメ作家自身の投影でもあると思う。
でも、オタクがまだそこまで社会の多数派でもなかった80年代は、アニメ作家自身もまた、非陰キャというか、どっちかというとアウトドア系の肉体派というのは結構いたのよ。
スタジオぬえなんて、明らかにそっち系でしょ(多分ガイナックスは違ったと思うが・・)。
マクロス」にせよ「クラッシャージョウ」にせよ「メガゾーン23」にせよ「ダーティペア」にせよ、まず作中に陰キャが出てこないもん。
みんな、不良少年・不良少女ばかりである。
盗んだバイクで走り出す~♫という世代である。
夜の校舎、窓ガラス壊してまわった~♫という世代である。

80年代のカリスマ・尾崎豊

何だろう、今考えても80年代ほど不良の地位が高かった時代はないんじゃないだろうか。
ビーバップハイスクール」「スケバン刑事」、不良こそがヒーローという時代だったかも?

「ストリートオブファイヤー」(1984年)

これは↑↑、80年代で最もカッコいい映画のひとつとして知られる名作、「ストリートオブファイヤー」だ。
当然、主人公はバイクに乗った不良、ヒロインは歌手、ほぼスタジオぬえ系の基本形さ。
この「ストリートオブファイヤー」と「トップガン」さえ押さえておけば、80年代の空気の学習はほぼ完璧である。
思えば「クラッシャージョウ」の主人公ジョウなんて、トムクルーズっぽさがあるもんな。
正直この時代まで、映画やアニメは普通に「憧れ」を描くものだったのよ。
だけどバブルが90年代に崩壊し、不況が日本全体を覆った頃から「憧れ」よりも「共感」型の主人公が多くなっていった。
普段は冴えない俺だけど、実は凄い能力を秘めていた、的なやつ。
えっ?嘘?俺Tueeeみたいな。

最近では、強いのに弱いフリする変化球も案外多い

でも、こういうのは日本だけのことでもないのよ。
90年代に入ると、ハリウッドだって「憧れ」⇒「共感」に舵を切っていったんだから。
今じゃ、男ならアメフト部のクオーターバックとか、女ならチアリーダー部の一番目立つ子とか、ほぼ間違いなく悪役の位置付けだもんね。
で、主人公は友達の少ない(いてもオタクの変人)パターンの陰キャ。
う~む、この80年代と90年代の断絶、やっぱベルリンの壁崩壊による、冷戦終結が効いてるのか?
いやいや、それよりはケータイの普及、ネットの普及の方がよっぽど大きなパラダイムシフトだっただろう。

「クラッシャージョウ」主人公のジョウ&ヒロインのアルフィン

ネットの普及により、コミュニケーションの形態が80年代と少し変わってきたのは事実である。
80年代までは、人が集って顔を合わせることでしかコミュニティが成立せず、その「顔を合わせる」ことに優位なジョウみたいな奴↑↑が無双だったのよ。
だけどネットの普及により、また別の形のコミュニティが誕生することになった。
多分、そのコミュニティでは間違いなくジョウみたいな奴はディスられてんのよ。
ヒロインのアルフィンも、クソビッチ呼ばわりされてるだろうなぁ・・。
そう、90年代からはネットの普及とともに、人間の悪意に満ち溢れた時代が到来したのさ。
ゆえにこの時代から、ジョウ的な純度の高いヒーロー像は描きにくくなったんだよね。
まぁ、個人的にはネットでディスる人たちの精神構造は全く理解できないんだが。
ああいうのって、顔が見えないからやってるんだろ?
そういう臆病な悪態のつき方って、逆に自己嫌悪に陥らんのかな・・。
で、90年代からはディスられないどころか、むしろ同情されちゃう系のヒーローが出てくるんですよ。

そう、時代はスタジオぬえ系から、ガイナックス系へ。
バイクに乗った不良少年系から、部屋に引きこもった陰キャ系へ。
ヒロインと常にイチャイチャしてるジョウから、ヒロインをオカズに自慰をしちゃうシンジへ。
もうね、「クラッシャージョウ」見た後に「エヴァンゲリオン」を見ると、あまりの高低差に耳キーンですよ。
やっぱ、80年代と90年代の断絶は想像以上に凄い。
正直、90年代⇔00年代、00年代⇔10年代、10年代⇔20年代では耳キーンまではいかんのに、80年代⇔90年代のところだけはどうしてもそうなってしまう・・。
いやいや、今となっては歪みこそがスタンダードになった時代だからこそ、逆に歪んでなかった80年代の王道というものを皆さんに知ってもらいたいんだ。
クラッシャージョウ」は、その最良テキストのひとつだね。
あと、「マクロス愛おぼえていますか」、「ストリートオブファイヤー」、「トップガン」、そのあたりを見ておけば、より完璧である。
もちろん聴く音楽はレイパーカーjr.で、サビでは「♫フユゴナコー♫ゴーストバスターズ!」と一緒に唄ってほしい。
で、その後に「エヴァンゲリオン」を見てください。
ひょっとしたら耳キーンがいきすぎて、鼓膜が破れるかもしれません・・。

みんな、キラキラしてるぅ・・


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