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10年経っても忘れられない先生の一言

僕には、恩師と呼べるほど特段親交のあった先生や、気軽に連絡したり会いに行けたりする関係性の先生がいない。

ただ、先生にとっては大勢いる生徒でも、生徒にとってはたった一人の先生だから、案外生徒は先生の言ったことを覚えているものだ。

「言った側は覚えていないかもしれないが、言われた側は覚えている」

ネガティブな意味合いで使われることが多いけれど、今回はポジティブな意味を持たせたい。

「お前は、3歩で間に合うところを必ず3歩で間に合わせる。」

テニス部の顧問だった先生から言われた一言。

もちろん、技術的な指導という名目でそう言ったのだと思うし、自分自身もそう受け止めていた。

ただ、不思議なもので、この一言は奇妙なほどに自分の人間性を映している。

自分の人生を振り返ると、3歩で間に合うところを“しっかり3歩で間に合わせている”ような出来事が多い。

受験勉強も就職も転職も、プレゼン資料の作成も。

これは一見、目標達成までの見積もりが上手い、調整力が高い、と捉えることもできるけれど、

・前倒す
・早める
・繰り上げる

といった発想に乏しいとも言えるのだ。

実際、先生曰く「3歩で間に合うところを2歩で間に合わせて、1歩分の余裕を作ることで早めの準備ができ、打球のスピードや精度を上げられる」ということだった。

確かに、自分のこれまでを振り返ると「早めに終わらせて、やりたいことをやるための時間を確保しよう」みたいな発想にはあまりなっていない気がする。

それに、今思えば、テニスの試合も圧勝より“接戦の末に勝利”という勝ち方が多かった。

そうしたくてそうしているわけではないけれど、ギリギリ間に合わせるスタイルが無意識に染みついてしまっていたのかもしれない。

なんやかんやギリギリ間に合ってしまった経験が多いのも、そんな人間性に拍車をかけている。これが原因で何か大きな過ちを犯していたら、自分の在り方を見直す機会になったかもしれないが、あいにく成功体験の方が多い。

無理に直そうとは思っていないものの、「これから先もこんなんで大丈夫なのかな?」と漠然とした不安に駆られることはある。

ただ、そんな自分の一面を嫌いになれない自分もいて、結局は受け容れることにしている。


それにしても、人間性というのは、どこでどのように表れているのか分からないし、どこにでも表れているとも言えるのが面白い。

「お前は、3歩で間に合うところを必ず3歩で間に合わせる。」

あの時、先生はどんな意図で言ったのだろう。

自分の人間性を見抜いていたとしか思えないし、そう思わせる先生はやっぱりすごい。


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