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誰もが持っている矛盾と理不尽

なぜか意図せず、
ひょんな流れで、久々に人の人生相談のページにたどり着いてしまい、
1つ読んだら、また次の相談と読んでいたら、
なんと1時間も費やしてしまった。
鴻上さんが回答する人生相談だったから、面白かったのもある)

大抵の人が人生に悩んでいる、という当たり前のことが、
自分も辛い状況だと忘れがちになる。
視野が狭くなってしまっているのだな。

いくつかの悩みを持つ方々の話を想像しながら読んでいると、
相談者の話に矛盾があることを度々発見する。
本人はもちろん気づいていないだろう。
無意識に矛盾していることも、悩みにつながっているのかもしれない。
(鴻上さんは、上手にやさしくその矛盾も指摘しながらひも解いていくんだな)

とにかく、誰にでも矛盾や理不尽なことはある。

矛盾だけでなく、人は弱点やどうしても失敗してしまう事があり、
そういうことを許しあったり、助け合ったり、労い、励ましあい、
他人との良き交流があれば、
人は乗り越え、糧とし、成長や変化をしていくのだろう。

人生、大体の人は悩みが多いだろう。
大抵の悩みは人間関係が原因というし、本当にそうよ、と思う。
(アドラー心理学の視点もなかなか参考になるのよね)

それぞれの人が持つ矛盾や失敗を、その場で誰にどう扱われたかで、
一生の傷となったり、はたまた絶望から救われたりするものだ。

家族、友人、パートナー、仕事関係、趣味の仲間、通りすがりの人や旅先で出会った人、その他、名前のつけられないけど様々に関わる人。

一瞬の時間を共有した人との事が一生忘れられない暖かな癒しになることもあれば、
長く過ごした血縁ある家族でも一生会わなくなるような決別もある。

似た条件で同じ仕事をしていても、同僚との関係や環境で、
ストレス度合いに雲泥の差、ということもあろう。

私は、こらえ性がなく、嫌なことからの逃げ足がはやい。
それでよかったことも、失ったこともある、改善すべきことも多い。
でも、やっぱり、環境の影響ってすっごく大きい。
どんなに対策しても、いい取り組みをしても、別の角度から見ようとも、
環境悪だ、と確信するなら、その場を離れることが大事だ、と思う。
(物理的な化学物質汚染や人間関係や、建物や地域との相性などなど)

今、一番つらいのは、これまで身軽に移動してきた人生だったが、
環境悪決定状態なのに動けず鬱々としていること。

日本、頼むからこれ以上のケミカル汚染はやめてくれ。
化学物質の規制の緩さは大問題だろう、衣食住、選択の余地もなく、情報を知ることも困難になっていく日本。
「香害」という言葉にレッテルや偏見を張り付けて理解や想像のできない人も多い。
何より企業が大きな組織で他の巨大組織のスポンサーにもなっている構造だもの。
そして人々ももっと意識をもって自分の国がどうなっているのか、
知って調べて、と思うけど、ここまで庶民の暮らしが厳しいと、
時間は生活することに追われてしまう。
本当に皆苦しくて大変なことにまで慣れてしまった。
そういうことも含めての構造自体、ぶっ壊してやり直す(特に政 治)
ってなかなかできんよなぁ、国民性、日本の傾向?

そして、
最近はSNS、ネットなんかでは匿名性を利用して、
監視、攻撃し人の粗探しを憂さ晴らしにしているような輩もおる。
結構おる。

そういう人たちは、これまでの人生で、
正しさを追求される、無条件に認めてもらう、許してもらえなかった、表現できなかった、といったような環境だったのだろうか?
我慢を続けたとか。

私の幼少時代は暴力もあって酷かった分、
ここはおかしな世界だ、本当に幸せになれる世界へ行こう、
と早々と家を出て別の世界へ行った。
以降、血縁ではない人たちが愛を教えてくれたし、学びが多かった。
(それでもまだ何か影響はきっとあるのだな、一生お掃除、みたいな感じ)

でも、もしも表面的に、外から見て、そこまで酷くない状況で、
(家庭環境が普通に幸せそうとか、お金の苦労がないからいいだろうとか他人に見られているなど)
幼少期に、はたまた年代はいつであれ長い時間、
感性を育ててもらえないとか、本音を言えないとか、
本当の自分を生きられていないとしたら?
(このテーマは長くなって脱線しそうだから別記とす)

そういう傷は誰もが大なり小なり、
意識しようと無意識にも持っていると思うが、
傷がじゅくじゅくしたまま覆い隠されていたら、
知らず知らずに人を、自分を、自他を責め、攻撃してしまい、
自分のそういう傾向にも気づかないことで攻撃し続けたとしたら?
(過剰な自己憐憫も攻撃だと思う)
この時代、そういうことは多いと思う。

どんどん監視され、ルールができて、
今の若い人らや子供らは、私の時代のような遊び方なんてもう絶対にできない。
不憫で仕方ないし、監視社会に加担している現大人たち反省と改善必須だよ。

そんな風に生きにくい時代となってきて、
本当に、SNSってなぁと思う。
(過剰なデジタル化問題)

プロフィールなんかも鵜呑みにできないことが多いいよなぁ。
実際確かめようないんだもん。
でも、信じてしまっている人は多いっぽい。
嘘かホントか知らんが、
リアルに友達が一人もいない、と言っている人が、ネットでは万アカで大勢とからんでいたり、崇拝までされてたり(この時点で対等性が希薄)
(そういう人の心は、どういうバランスになるのかな)

自分が知っている人より知られている数が圧倒的に多いことって、
私は不自由極まりないと思うけど、
そういう人たちの感覚ってもう私の理解は超えるのかも。

私の数少ない友人たちは結構デジタルから距離を持ってて、
SNSをやっていない人もいる。
(情報入手のためにアカウントは持っていても)
とか言って実はバリバリやっていたりもするかも。
(マニアな趣味限定とかはおもろい)
でも、そんな友人たちのデジタル以外の充実したアナログな趣味や活動をみていると、重心はネットに置かれてはいないと思う。健全。

ネットはバランス、ない暮らしは社会人として受容されないし、
実際の恩恵もある。
こうしてこれ書いてるのもネット、デジタルありき。

話しは飛び飛びになってしまったが、
人の弱さに対して、そして自分自身へも、
もっと大らかに、と思った春分、2024。


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