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おばあちゃんからの宝物。

いつもニコニコ笑顔で
優しかったおばあちゃん。(享年92歳)
おばあちゃんは、私が産まれて半年後に
半身不随で車椅子生活になりました。
私は、父、母、祖父、祖母、姉の6人家族。

私が物心つく前から車椅子のおばあちゃん
と生活してました。私の中では当たり前の
光景で、車椅子のおばあちゃんでした。

何故、車椅子生活になったのか、、、


おばあちゃんの実の娘、、、長女が嫁に嫁ぎ
めでたく子宝に恵まれ、後1週間で出産と
いう時に、、、

まさかの、、、、死産、、、、、、、
そして母も、、、


孫に会える事を心待ちにしていた姑、、
母子共に死ということを目の当たりにして、
姑もかなりのショックからか、、
嫁の実家に半狂乱の状態でやってきた。
そして、親戚の解消だと…怒鳴ったそうだ。
姑も相当ショッキングな事だったに違いない。。


誰が悪いとかではない、、、


なのにきっと誰かのせいとか、
何かのせいにしないといられない
精神状態だったのだろう。。。

みんな、みんな辛かった、、、、
家族が増える事を心待ちにしていたはずが
2人の命が消えてしまったのだから。。

娘と孫をなくした、祖父と祖母。
嫁いだ先の家族から親戚の縁を切られ
あまりのショックで、私の祖父も祖母も
精神的に参ってしまい数週間寝込んで
しまった。、、、、

2人共、微熱が続き…
幸運にも祖父はその後、徐々に快復したが、、、


祖母は、、脳卒中を引き起こし半身不随に
なってしまったのだ。
精神の苦痛から病気を引き起こしたのだ、、、

半身不随になり、お医者さまには
「きっと長くは生きられない」と
言われていた、、、、

おばあちゃんは、きっと始めは
何もかも受け入れることが
出来なかったに違いない…
働き者だった、おばあちゃん。
突然、左手・左足が動かなくなり
人の手をかりなければ、生活が
出来ない状態に…。

しかし、家族みんなでおばあちゃんを
サポートし、徐々に、徐々に、、すべてのことを
受け入れられてきた。

家族から沢山の愛情をもらっていた事で
おばあちゃんの心の中はとても穏やかに
なっていった。
そんな穏やかで優しいおばあちゃんと
私は幼少時代、おばあちゃんのお部屋で
よく日常のお話をしていた。


おばあちゃんは、幼い頃、
養女として養母に育てられていた。
小学校から帰ってくると
すぐに家の手伝いをする為
田んぼや畑、家事、炊事
いろんな事をお手伝いしていたらしい、、、
寒い雪の日も手や足があかぎれになりながらも
外で薪を割ったり、火をおこしたり、、と
お友達と遊ぶ事もなかったと言っていた、、、


、、、今になり私がよく感じることは

おばあちゃんは、
産まれてからの半生は、人一倍
働いていた。
50代になり半身不随になったけれど
家族や身内の人に
とてもとても大切にされ、
いつもみんなが側にいて
おばあちゃんの助けを自然と
している、、、

半身不随はとても悲しい出来事のように
感じるけど、、
私はおばあちゃんにとって、
何だか神様からのご褒美だったとしか
思えなかった。

いつもおばあちゃんが
笑顔でいてくれたから
私も家族もそれだけで幸せだった。

92歳の時におばあちゃんは
安らかに可愛らしい笑顔で
息を引き取った。
幸せそうな顔だった、、、、


私はこの事で更に強く感じたこと…

人生とは?、、、
何が幸せなのか、、
何の為に生きるのか、、、
何が病気を引き起こす原因となるのか、、
そして
どのように感じ
どのような人と繫がりを持ち
何を次世代に伝えていくべきか、、、

おばあちゃんを見て
ずっと感じていた、、

人は『宿命と運命』、があり、、、
『宿命』は、変えられない。

けど、

それはその人の課題があるからで、

まずは、
すべてを受け入れなければ
ならないものである。

『運命』は、
どんな事が起きても
そこから自分がどのように
感情を使い、
行動するのか、、、

幸せの分かれ道は常に
自分が
選べるということである。

いつでも
この瞬間から、、

幸せの道にも
不幸への道にも自分で選べるのだ。

すべては
『自分の心の使い方』次第で、、、。



おばあちゃん、

沢山の宝物をありがとう。












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