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酒飲みマー坊、ドアを開ける

「千マイルブルース」収録作品

飲み仲間のマー坊とともに出向いたキャンプ場は……。
もしかしたらこんな時代が来るかもな、と書いた作品。
それが半ば現実となり、なんとも胸中複雑である。


酒飲みマー坊、ドアを開ける

「忙しくて昼メシ抜きでさ、もう『イノナカノカワズ』!」
 奥で飲んでいた俺を見つけ、定食の大盛りをかきこみながらマー坊が言ってきた。こいつはこの食堂でよく会う飲み仲間だ。よほど空腹だったらしいが、しかし『井の中の蛙』とはなんだ? 井の中の蛙大海を知らず。ウチの会社は忙しいけど世間は不景気なんだよね、などと捻って言ったつもりか? いや、こいつはそんなに賢くはない。というより、アホだ。
 俺は自分の銚子を持ち、マー坊のテーブルに向かった。
「今の、どういう意味よ?」
「だから、腹ペコでカエルみたいに胃が鳴ってさ。ことわざであるじゃない」
「胃じゃねえよ」
 俺は、呆れながら対面に座った。
「この場合の『い』ってのはだな……」
 俺は解説しようとしたが、やめた。教えたとしても、どうせ明日には忘れている。
「おまえさあ、酒ばっかし飲んでんと、ホントにバカに……」
「そうだっ」
 マー坊が、俺の言葉を遮った。なにか思い出したような顔をし、俺にキラキラした目を向けてくる。
「山さんさあ、キャンプ、よく行くよね? コレコレ!」
 マー坊が、ポケットからなにかのチケットを取り出した。『御二人様まで入場無料!』の文字が躍っている。隣の県に最近できた、オートキャンプ場の招待券だ。
「商店街の福引で当たっちゃってさ。ねえ、一緒に行かない?」
「おまえと?」
 俺は驚いた。こいつに、飲むこと以外に道楽があったとは。
「へえ……。おまえが、まさかアウトドア好きだったとはねえ」
 マー坊は首を振った。
「アウトドアなんて、なにも知らないよ。キャンプだって、やったことないし」
「じゃあ、なんで?」
「GTPが100超えちゃってさ」
 またワケのわからぬことを。マー坊が続ける。
「僕ってほら、仕事帰りに酒飲むことしかしないじゃん。休みの日も、結局テレビ観て飲んでるし……」
 そのせいか会社の健康診断で引っかかり、医者から、飲まずに過ごせる趣味を持ちなさい、と言われたらしい。俺はチケットからマー坊に目を移した。
「で、招待券が当たったから、俺に連れてけってか? アウトドアを体験したいと? 休肝日にもなるし」
 無邪気な顔でマー坊は頷いた。
「費用は全部僕が持つからさ。その代わり、いろいろ教えてほしいんだ。道具も貸してほしいし」
 俺は腕を組み考えた。そういえばこいつは、旅の話をよく聞きたがった。野営の話も。以前から、関心はあったのだろう。
 たしかにアウトドアは面白い。自然の中で、最小限の道具と最大限の知恵で遊ぶのは、なにかが覚醒する快感がある。野宿は特にそうだ。というか、俺は野宿しか知らないのだが。
「まあ、一泊程度だったら道具もたいしていらないし、俺のやり方でいいんだったら……って、なにやってんだよ?」
 いつの間にか、マー坊が携帯の画面に向いていた。耳にあててはボタンを押している。なにかのガイダンスに従っているらしい。そんな姿に訝っていると、急に笑顔を見せてきた。
「やった! 今度の土日、取れたよ。キャンプサイトとかいうの」
 はあ?
「……おまえ、どこに電話してたのよ?」
「予約受付センター」
 今時のキャンプ場はそんな仕組みなのか? 俺は胸の中で首を傾げた。

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