一生分の運は彼と出会うために使い果たした
同棲生活のあるあるみたいなのをたまにSNSで見かけると、「マンネリ化する」とか「結婚のタイミング逃す」とか結構マイナスな意見が多くてびっくりする。
同棲して3年経ったけれど、同棲生活はかなり楽しいしマンネリ化なんてものは縁遠い。結婚前にした方が良いとかしない方が良いとかそういいのはよくわからないし人それぞれって思うけれど、私は同棲生活が、かなり楽しい。
「他人と住んだらストレスで死んでしまうのでは」「ひとりになりたいってぐったりしちゃいそうだ」などなど、友人からもそう言われてきた私がそう思えている。
ひとりが好きすぎる性格(もはや性質)なのに他人と暮らしてストレスなく楽しいって思えているのは奇跡に近い。
同棲をはじめた初期の頃はもちろん、遠距離恋愛が終わるという喜びも相まってワクワクしていたけれど、日々の楽しさで言えば同棲して時間が経過した今の方が何倍も何十倍も楽しい。
同棲をしていてもたまに昼間ひとりで家にいると「あー早く帰ってこないかなお話したい」と思ったりもするし、仕事が休みの週末のごはんはやっぱり平日よりワクワクする。これはもうずっとそう。たぶんおうちデート、みたいな感覚が薄れたとしてもずっとある。彼もそんなことを言っていた。
最近まで彼の仕事の都合で数ヶ月しばらく離れて暮らしていた期間があっだのだけど、彼がようやく帰ってきた(予定より少し早まった)。
彼と別々に暮らしている間は、かなり久しぶりのひとり暮らしに胸が躍っていたし、毎日ひとり時間を有意義に過ごしていた。
けれどやっぱり同棲生活に戻ってみると、格段に楽しい。
大体のことはひとりでできて、ひとりで大体どこにでも行けちゃうけど、やっぱり彼が一緒だと笑っている時間がかなり多いし世界の見え方も違う。誇大表現なんかじゃなくてほんとうに。
人と長い時間一緒にいて心が疲れないというのは私のなかではほんとうに奇跡だ。
好きな人だから、ということは大前提としてあると思うけれどたぶんそれと同じくらい人間としての相性が抜群に良いのだと思う。
彼が以前「誰といるよりもほんとうに楽だし楽しいんだよね、彼女だからとかそういうの抜きにしても」と言っていて「ものすっごくわかる」と食い気味に返してしまった。
2人で話したことがある。
「たとえばどうしようもない何らかの理由で別れることになったとして、悲しい寂しい辛い苦しい虚しいとかはもちろんあって、でもそれ以上に人生が果てしなくつまらなくて退屈なものになるんだろうな」って。
そうなの。つまらないのよ。退屈なのよ。すっぽり隙間なくハマってしまった彼が私の人生からいなくなるなんて、きっとほんとうに退屈だと思う。
違う、なんか違う
誰かと交際したり仲良くなってもそういう違和感はどうしても拭えなくて、けれど彼に対しては些細な違和感なんてものもなく、陽が沈んでまた陽が昇るそんな自然に当たり前にあるように、私の毎日に馴染んだ。
手を繋いだときやキスしたとき身体を重ねたときの温度や感触、息遣いもそう。驚くほど私自身に彼という異色の存在が溶け込んだ。
人に触れ、触れられるということにあれほど安らぎと心地よさそして快楽を感じるものなのかと泣いてしまうほどだった。
彼と出会う前だってそこそこ楽しく充実した生活をしてきたはずなのに、彼と出会ってしまってその世界を味わってしまったらもう、こんな気持ちを知らずに死んでいくところだったのかと恐怖すら感じてしまう。
たとえば友人としても私たちはウマが合うから上手くやっていけただろうし仲も深まっていたと思う。恋人同士じゃなくたってたぶん関係は良好で大事な人だったし出会えて良かったと思えていた。
けれど恋人関係であるからこそ知れた部分、見えた部分、そして同時に知ってもらえた自分見てもらえた自分がある。そこからさらに知りたい見たいという気持ちを重ねて繋いでいく。
知れば知るほど、彼という人間に惹かれていく。自分という人間が曝け出され暴かれていく。
同棲生活をしたら私は駄目になってしまうんじゃないかと当時は結構恐れていたところもあったのだけど、むしろ同棲をして良かった。
ひとりで真っ暗な穴の底に入りそうになっていても、彼と会話しているうちにいつの間にか穴からひょこっと出ていたりする。
でも彼は別に私を引っ張り出そう、明るい方へ導こうとか全然思っていない。
それがいい。気負うことはなく彼がありのまま、そのまま暮らしてくれていることが何より私の救いとなっている。
だってあなたを見ているだけで、そっちにいってみようかな、ってそういう気持ちにさせられるの。不思議だよね。
「そんなところにいないでこっちにきなよ」と言われるわけでも手を引かれるわけでもないのにただ笑っている顔を見るだけで穏やかな寝顔を見て寝息を聞くだけで、生き様を見ているだけで、私はたぶんまだ大丈夫なんだって思えるの。重たい一歩を踏み出してみようかって好奇心が湧いてくる。
「大袈裟」と言われてしまうだろうけど、でもほんとうに、あなたはそうなの。
人間の体の半分以上が水でできているなら、たぶんずっと私の水は濁ったままで、透明度の高いあなたの体内とは全然違う。でもまあそれでいいかってそう思えるんだよ。泥水に躊躇なく手を入れて「光が反射してるね」とあなたがそう言うように。
同棲生活をしていて、彼に関心したり気遣いや思いやりに驚くことはたくさんあるけれど、久しぶりにひとりになって、何よりも毎日の些細な会話ややりとりに救われていたんだなと痛感した。
ひとりで眠っていた日々の睡眠の質はいわずもがなおもむろに下がってしまっていたけれど、彼が隣で眠る夜はやっぱり心が穏やかで深い眠りに誘われる。
植物が水を欲しがるのと同じように私の心や体は彼を求めて枯渇してしまうのだろう。
ただ居てくれたらいい、ただ一緒に暮らせたらそれだけでいい。ただあなたが今日も無事に一日を終えてくれたら、心はすっと軽くなる。
ひとりだったら悶々と考え続け負の無限ループにいる時間ですら、彼がいるととんでもなくくだらないことでお腹が千切れるほど笑う時間に変わる。
ひとりでじっくり静かに考える時間は必要不可欠で、でもそれが全部になるとやっぱり苦しいから、私が暮らしていく日々のなかで、あなたという灯火はずっと消えずにそこにあり続けてほしい。
リビングの扉を開けて「おはよう」と笑うあなたの声と私の寝癖に触れる手の温もり、コーヒーの香りが充満する部屋に漏れる朝日の柔らかさ。
目を覚ましそこに立つたびに私の心の棘はまたひとつ小さくなり、表面はするりとなめらかになっていく。
可能な限りできる限り、
彼と過ごすこの日々が細く永く、続きますようにと願っている。
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