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朝はいつだって過不足なく満ちている


春が近いと感じる。まだまだ寒いけれど快晴の日に当たる陽の温かさとか柔らかさとか、外から聞こえる自然の音とか。

目を閉じると草木が揺れる音がもうすぐそこに聞こえてくるような気がする。目を開ける時自然と口角が上がる。

冬は外がとても静かだし陽が沈むのが早い。けれど雪が降りよく積もった日は、手元や足元が電灯なしでもよく見えるほど明るい。それがものすごく好き。

朝起きて、温もりを溜め込んだベッドからぬるっと身体を起こしてカーテンを開け、雪景色になっているとちょっと嬉しくなる。

もちろん雪なんかない方が生活は楽だしお金もかからないし不便もない。けれどやっぱり雪景色を見ると毎年心を奪われる。

そんな時間が次第に減っていき、やがて不安と希望に満ちた春が来る。春は一年でもっとも複雑な季節だと思う。だからこそ美しく尊いものなのだろう。

冬は雪がふわっと降り積もり、次第に降り積もった雪が溶けていく。雪が溶けて土が見えるとその下でずっと眠っていた命がゆっくり顔を出す。その季節の移ろいを見ていることがほんとうに好きだ。

近所にある雪捨て場の雪が完全になくなり土が乾いたとき、そこに子どもの姿が見え、笑い声が聞こえるようになる。橋の上からその景色を見ると「ああ、春がきたんだな」と思う。

ホットコーヒーを飲むのはあと何回くらいだろう。もう何度か昼間はアイスコーヒーを飲んでいる。アイスコーヒーを口にしただけで心がきゅっとした。

何度も四季を経験して生きてきているのに、そうして季節の移ろいを生活のなかで感じる度にいつも懐かしい感じがする。

どの季節にも、思い出せる思い出や結びつく人がいるというのはなんて喜ばしいことだろう。

春になると必ず思い出す人、夏になると記憶が鮮明に蘇る場所、秋に食べたくなるあのお店の味、冬になると使いたくなる香り。

季節は巡り、その度に寂しくなったり嬉しくなったりする。そう思えるほどの数々の記憶があることを心から嬉しいと思う。

植物の世話をしている恋人の隣にしゃがんで「もうすぐ春が来るね」と言うと、「今年もたくさん新芽が出るよ」と葉を指先で柔らかく撫でた。

冬は植物にとっては少しい苦しい季節だから、冬の間は何度も「がんばれ」「強い子だね」と声がけをしている。枯れかけた葉を取ると、隠れて見えなかった場所に小さな新芽が見えて泣きそうになった。

いつも、何度も励まされている。


新しい毎日を繰り返し、二度ととは戻らない一日を生きていく。

名残惜しくなるような一日であればあるほど振り返りそうになるけれど、勢いのよい風が吹きつけ過ぎていく日々に自信を持って「いってきます」と言える。

生きていくことが怖いと思うのは、まだ生きたいと願う気持ちがあるからこそなのかもしれない。もしそうでないとしても、できるなら、叶うなら、まだ生きたいと思えるようになるまで生きてみたい。そこから見える世界の色を知りたい。

新年を迎える1月よりも、春になる3月や4月の方が気持ちが引き締まるのは出会いと別れの季節だからなのだろうか。

春は穏やかであり目紛しいから憂鬱になる季節でもあるのかもしれない。

けれどそれ以上の何かがあることを知っているから毎年春を心待ちにするのだろう。

何度も、何度でも。

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