余命40年

人生の振り返り

余命40年

人生の振り返り

最近の記事

頭痛

最近の気づき ・子供に対しての愛は無償でないといけない。 だから育児は大変。 言うことを聞かないから面倒を見ない。というわけにはいかない。言うことを聞かないし考えていることがわからない、だからこいつなんて嫌いだ。となってはいけない。(普通なるんじゃないかと思う。) それでもなんでも家族だから守るし許すし見放さない。っていうのが家族なのかなとふと思った。 見放す方が簡単。子育てもそう。難しい子を見放すのは簡単。放置して無視する方が簡単なのだ。でも見捨てない。傷つけられても

    • 育児のしんどさは

      想定外のしんどさだった 子供が自分に似すぎていて、子供の特性と自分の性格が重なりすぎて、ああ私ってやっぱりおかしかったんだ…って2倍のダメージを受けた。 そして子供の行く末が見えてさらにしんどくなった。自分の行く末は自分がよく知っているから。 子供を持ちたくないという人の気持ちがなんとなくわかった。 ただ一つ幸いなのは私は子供に何かを期待して産んだわけではなかった。良くも悪くも。 ただ産んでみたかっただけだった。 無責任な理由だけれどそんなものでいい気もするのです。

      • 情報過多 つづき

        他人の不倫がどうなったって自分の給料が減るわけじゃなし、どうでもいいはずなのに 税金や法案よりみんな芸能人に注目してしまうのか。自分の生活に繋がるものか繋がらないかどうかすら麻痺して分からなくなってきてるのか。脳みそが混乱させられているのか。 並んだメニューの中から読むものを選ばされているからそうなりますよね。 客が本当は違うものを買いにきたとしても、店は目立つ場所に売りたいものを置くから、つい買ってしまうのと同じですね。 広告も同じですね。 通りすがりの人に興味を持た

        • 情報過多

          SNSをやってると入ってくる情報が多くてね。 もっと自分に関係のある身近なことだけ気にした方がいいのに、そういうことを後回しにしてしまっている気がする。 芸能人の不倫なんて、自分と何の関係もない。 発がん性物質は、ちょっと関係あるかな。 自分と関係ないけど、知る事でお互いがハッピーになる情報もある。だから難しい。 目に入った情報がきっかけで、困っている人を助けることに繋がることもあると思うし。 (つづく

          作られた私

          ふとリアル垢でフォローしたいインスタ垢があったけど、自分のリアル垢はキャラクターが変わっているからフォローできなかった 複数アカウントを持っているのにどのアカウントにおいても自分のリアルを曝け出していない気がしてきた 私はありのままの自分を人に見られるのが嫌なのだ。あなたが見ているのはリアルな私ではありません。と予防線を張っているのだ。 長い間意識的にそうしてきた 嘘のキャラクターを作るのが趣味でもあった 世間が求めるような炎上キャラクターを作り上げた事もあった でも

          作られた私

          発見

          スポーツマンが輝いて見えるのは、スポーツマンを見て感動するのは、全力を出して力の限りを出して人生の時間をかけてやっているからなんだね。 岡本太郎の名言を見て気づいた。 「人生に命を賭けていないんだ」 本気で努力している人を人は馬鹿にしないし、それだけ努力して何も残らないということはないだろう。 何かを成し遂げなくても成し遂げるためにした努力はその人を輝かせるだろう。

          生き方を変える

          変わりたいけど変われなかった 変わらないといけないと思っていたのに 変われなかった もう遅いかもしれない まだ間に合ってほしい でもだめかもしれない 今更かもしれない あと何年生きられるかわからないけど 生き方を変えたい 変えて見せたい 自分の意思だけで変えられるか 少しずつ 少しずつ  理想の自分を目指して頑張りたい

          生き方を変える

          一周回って

          戻ってきた。 ふと読んだネット記事から 読んで読んで本を買ってYouTubeを見て 友達と話して今度は宇宙のことを考えて 生命の起源まで遡って(なぜ) でもその時は全部繋がっていると思って 夢中で考えて、いつかハマった岡本太郎に戻って 眠くて寝落ちして、いつもの月曜がきて 諦めないことが大事なんだ と、当たり前すぎることを考えた。 上手くいかなくても 諦めないで頑張ること。 試行錯誤すること。 こうすればこうなる、と決まっていない。 ある程度のhowtoはあったとし

          安定を求めることの馬鹿馬鹿しさ

          じゃあ例えば 今の会社の収入にプラスして副業でいくら稼ぎたいからこうしよう、これで満足だと それは全て安定した暮らしを守るためだとしたら 生まれてきて死ぬまでをただ穏やかに過ごしたいですと。そういうの流行ってるかもしれないけれど、それで生きている意味はあるのか。 ただ生きているだけではないか でも昔の人もみんながそれを目指してきた そうではなかったから 作物が育たないから保存したり 品種改良をしたり 台風に負けない家を作りしくみをつくり 保険を作り 昔の人が目指した

          安定を求めることの馬鹿馬鹿しさ

          なんか気付いちゃった

          ここ数日で、数日だから浅い考えではあるんだけど、なんか急にふと 積立NISAをやりましょうって皆同じことツイートしててどうしたの?と思った 同じこと言ってる人が山ほどいるのになんでさらに同じこと言うんだろう 二番煎じというやつ SNSには二番煎じが山ほどいて それでも利益が出るんだろうか それでも承認欲求が満たされるんだろうか だから満たされないんじゃないか 実は自分のアイデアではなくて人のアイデアを真似しているだけだからそこにはゴールがない だからどれだけ貯めて

          なんか気付いちゃった

          時間が有限なら何も怖くない

          いずれ死ぬなら失敗なんて怖くないのではないだろうか。 いずれ死んだら苦しみも悩みも消えてしまう。 もちろん残される人のことも少しは考えないといけないから、負債を残すわけにはいかないけれど。 でも、もし来年死ぬとわかっても生き方を変えられない気がする。 変えたいのに変えられない事が苦しい。 なりたい自分になれなくて苦しい。 起きたら理想の自分に変われたらいいのに。 変わるためにも努力が必要なのだろうな。

          時間が有限なら何も怖くない

          母親のことを書くと長くなってしまう

          書いていて疲れてきたのでやめた。 書いていたものは下書きで放置する。 今日考えたことだけ残す。 父はわたしのやりたい事に寄り添ってくれていた。(いつも欲しいと望んだものを与えようとしてくれたし、今思えば私の望んだ進路を後押ししようという言葉があった。) それに対して母は…教員や司書になれと職業も押し付けてきた。大学もここはダメ、ここはダメと口出しばかりしてきた。服装もメイクも交友関係も何もかも。元彼も。 コロッケのディナーショーの開催ホテルを間違えた友人のことを思い出

          母親のことを書くと長くなってしまう

          noteで何をしたいか、何もしない

          何がしたかったのかわからないけど、人妻とか不倫とかのワードを盛り込んだ記事を書いていた。 でもその内容で今後収益化できそうもないし、作り話を書くつもりもなかったので、ただの日記にする。 日記というよりは、わたしの人生の思い出とか、記録みたいなものにしたい。 上手に書こうとしないつもりなので、日本語が変なところもあると思うが、友達や誰かが読んで、ふーんと思ってくれたらいいと思う。

          noteで何をしたいか、何もしない