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読書できない現代人の「プチうつ病」

【書評】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆=著/集英社新書

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 本を読むために会社を辞めた。そう著者は言う。
 よっぽど本が好きなんだな。しかし、何も仕事まで辞めなくたっていいじゃないか。そう思うかもしれない。でも、本がたくさん買いたくて就職したのに、働き始めたら本が読めなくなってしまった。これでは本末転倒である。それで考えた結果、著者は仕事を辞めた。
 本書が売れているのは、この「働いていると本が読めない」というのが、どうも他人事じゃないかららしい。ネットに書いたら、ずいぶん反響があったという。読書だけではない。社会人になったら、趣味の時間が持てなくなった。そういう人は多い。
 必ずしも時間がないわけではない。スマホでSNSや動画を眺めたり、ゲームをすることはできるのである。それなのに、読書だけはできない。その理由を「歴史的に」明らかにしたのが本書である。

 偶然だが、この本を読んでいるときに、NHKスペシャル「山口一郎〝うつ〟と生きる~サカナクション復活への日々~」を見た。いちばん印象的だったのは、「あんなに好きだった音楽ができなくなった。ギターを触ることさえ嫌だった」と語るところだった。
 うつ病というのは、好きなことから順番にできなくなるらしい。たとえば、映画を好きだった人が「2時間も座って見るなんてしんどすぎる」と思うようになり、ドラマを好きだった人が「また今週も見なきゃいけないのがつらい」と言い始める。それなら、読書が好きなのに本が読めないというなら、現代人はみな「プチうつ病」にかかっているのではないか。

 閑話休題。本書は労働史と読書史を辿ることによって、労働と読書の関係、それぞれの時代に日本人がなぜ本を読んでいたか、それを紐解いていく。詳細は実際に読んでいただくとして、読んでいるといろいろ面白いトリビアがある。
 たとえば、読書はしばしば社会階級の格差を超克しようとする行為だったことがわかる。漱石の小説にも見られるように、明治期には読書はインテリ層の男性にのみ可能な教養だった。それが大正時代に入って新中間層が誕生し、彼らが自己を労働者階級から差別化するために本を読んだのである。また、1950年代には本を買えるのはまだサラリーマンに限られていたが、労働者は雑誌を読むことでこれに近づこうとした。さらに80年代には、社会に進出し始めた女性がよく本を読むようになる。
 ほかにも、「円本」というのをご存知だろうか。ご存知なくとも見たことはあるはずである。古本屋でよく見かける「日本文学全集」みたいなやつである。あれは関東大震災で大打撃を負った出版業界の、起死回生の一手だったのである。1冊1円だから円本なのだが、当時の書籍の値段は2円ぐらいだったらしいので、破格である。しかも、毎月1円という今のサブスクみたいなもので、「これさえ読んでおけばOK」というセレクションなのだから売れないはずがない。ただ、必ずしも読むために買われたわけではなく、書斎のインテリアとして購入した人も多かった。もちろん、出版社だってそれを見込んでいたのである。「昔の人は真面目に読書したんだなァ」と思ったら大間違い。円本を読んだのは購入した人々よりも、それが家にあった子供たちなのかもしれない。

 さて、労働と読書が両立しない理由だが、ポイントは2つある。1つ目は「情報化社会」である。情報化社会の到来によって、教養は情報に負けた。
 『電車男』という本をご記憶だろうか。主人公のモテない男が、エルメスという手の届かない女性との恋を、2ちゃんねるの住人たちが伝えてくれる情報によって成就させていく実話である。別な言い方をすれば、これは「情報」によってヒエラルキーを克服する物語である。
 教養や知識と、情報の違いは何か。情報とは、知りたいことや必要なこと以外を削ぎ落とされた、ノイズのない知だという。電車男が掲示板を通して得た、自分に最適化された知。それが情報である。階級差を克服するための教養は、現代では情報に変わった。言われてみれば、ひろゆきは従来の権威を「情弱」と切り捨てることで、ヒエラルキーを転倒させたトリックスターだったのである。
 情報が溢れたネット社会では、読書によって得られる教養なんて無駄な知識以外の何でもない。うるさいノイズなのである。

 2つ目のキーワードは「新自由主義」(ネオリベラリズム)である。最近やたらと耳にする自己責任論。給料が少なくて生活できないと、それはそういう仕事を選んだ自分の責任だと言われる。収入を増やしたいなら資格を取るなり休日に勉強するなりして、もっといい仕事に就けばいい。
 こういうふうに言われると、趣味で読書をするのさえ、悪いことをしているような罪悪感を覚えてしまう。「趣味に耽るのは自由だけど、それでどうなっても自分のせいだからね。」歴史上いまよりも長時間労働だった時代は存在したが、ここにおいてわれわれは、生き方の上でも「余暇に好きなことをする」という行為の自粛を迫られたのである。
 私はよく冗談で「AIが人間から仕事を奪うというなら、むしろ仕事なんかAIにやらせて、人間はベーシックインカムをもらって週3日だけ働けばいい」と言っている。これがブラックユーモアに聞こえるとしたら、それはAIがどんなに進歩したところで、もうこの先余暇が増えることはないとしか思えないからだろう。

 では、文化を享受し、余暇を楽しむものとしての読書を再び取り戻すには、どうすればいいだろうか。世の中を変えるしかない。市場という波にうまく乗ることだけを考える社会から、波そのものに疑問を突きつける社会。ノイズだらけの世界に向かって、もう一度自分を開くこと。
 もちろん、個人にとっては簡単なことではない。だからかどうかはわからないが、巻末には「働きながら本を読むコツをお伝えします」というあとがきが付されている。その中に、書かれてはいるが著者があまり強調していないので、お節介だが筆者から力説したいことがある。それは、「読めなくなったら休め」ということである。
 うつ病にとって、最良の治療法は休むことである。ゆっくり休んで、また「読みたい」という気持ちが湧いてくるのを待つ。絶えず結果を求められる世の中で、「待つ」という態度は決して楽ではない。だが、この「待つ」という胆力が持てるかどうか、それが現代社会を生き抜く秘訣かもしれない。
(ブクログより加筆修正)

𝐶𝑜𝑣𝑒𝑟 𝐷𝑒𝑠𝑖𝑔𝑛 𝑏𝑦 𝑦𝑜𝑟𝑜𝑚𝑎𝑛𝑖𝑎𝑥

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