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極私的読書人生を短く

物心ついたのは文京区本郷の父の社宅に住んでいた頃からで、

その地域には明治期に、夏目漱石や樋口一葉といった文豪達が多く住んでいたからか、

それとも後楽園の近くに大きめの書店があったからなのか、

外で遊ぶのも大好きだったけど、最近ツイッター(X)でよく見かける
「咽頭炎」に幼い頃になり、入院したりしていたせいか、

読書も好きで、

まずは子供向けの伝記シリーズを愛読し、

父が買ってくれた「星の王子様」をはじめとした
「岩波少年文庫」
の数々(主に海外の作品)にワクワクし、

父の転勤で九州に行ったら、それこそ休む暇もなく毎日毎日仲間達と遊ぶ日々だったけど、

本郷で目覚めた手塚治虫先生の漫画…ちょうど講談社から「手塚治虫漫画全集」が刊行していて、
どこの本屋にもその全集の黒と白の背表紙が置いてあり、

熊本でも何かで病院に行き(東京から九州に行って間がない頃はまだ病気がちだったので)母に手塚治虫全集の何かを買ってもらった記憶があるけど、

この頃は手塚治虫先生の漫画にどハマりしていた時期で、

小説では夏目漱石の「坊ちゃん」の痛快な面白さ、正義感、そして挿絵(ポプラ文庫版)の味わい深さに魅了されていて、

今だに自分の行動には「坊ちゃん」の影響が出てしまうほど、
同じ小説を何度も読んでいました。

そして憂鬱なる関東に戻ってきてからは…

朝日新聞の夕刊に連載されていた、山田風太郎の「八犬伝」の宮田雅之氏の影絵による挿絵と、元となった「南総里見八犬伝」の面白さに驚き、
(風太郎版「八犬伝」は「南総里見八犬伝」の世界を描いたのが「虚」の章で、
八犬伝の作者、滝沢馬琴の事を描いたシーンが「実」の章で、
「虚」と「実」の章が交互に描かれるという変則的な小説)


宮田雅之さんの挿画は新聞の連載小説だったので毎日載っていて、まずはその趣に惹かれたのだと思います。
「八犬伝」単行本には表紙以外に載っていなかったけど、
後に挿画を纏めたムック本が刊行されました。



「時代小説ってめちゃくちゃ面白い!!!」

となって、尾崎秀樹(おざきほつき)といった「大衆文学評論家」の名前もお馴染みとなっていた。

こういった「時代小説」の紹介本は、
中学生当時は手が出なくて
新聞の広告を切り取って眺めていたりしました。
書き忘れたけど、「剣豪小説」に迫真リアル描写で革命を起こしたのが津本陽。


同級生達が少年ジャンプに夢中になっていた時期に、自分は親や祖父世代が好んで読んでいた様な、もっというと、それこそ戦前に書かれた様な古い大衆娯楽小説にのめり込んでいました。

半ズボンの小学生のころに本屋さんに行って、新刊で平台に置かれていた
「木枯し紋次郎 中仙道を往く」
というアンソロジー本をレジに持っていったら、
書店のおじさんに
「これ、ぼくが読むのかい?」
と不思議がられたのを覚えています。

そして中学になり、一時的にいじめられていた頃は、
心を鎮めたい、強い心を手に入れたい、
この苦悩をどうにかしたい!
という動機もあって国民作家、吉川英治先生の「宮本武蔵」を読みました。

そして、そのいじめ問題はスティーヴ・マックィーンの伝記に書いてあった喧嘩の手法に倣って自力で解決。

同じく中学生の頃に読書感想文の為に買った
「ライ麦畑でつかまえて」
は、珍しく大衆小説ではなくアメリカの純文学だったけど、

映画「アメリカン・グラフィティー」に通じる60年代のアメリカの風俗や、
一人称で読みやすかったのもあり、

後に英文のペイパーバックを買って読めるくらいに、つまり文章を暗記するほどに何度も何度も読んでいました。

結局サリンジャーの作品でハマったのはライ麦畑だけだったけど…

その後は演劇の劇団を辞めてから、たくさん本を読む為に薄い本を選んで買い、
山田詠美さんや、作家デビュー当初の辻仁成さんの初期の本を手当たり次第に読んでました。

お二方の著作は、当時のご本人のイメージと違って非常に内面重視というか、
恋愛小説でも「魂レベルの絆」を描いたもので、感銘を受けました。

そして実家に戻る前くらいから、高橋克彦さんの伝奇小説にハマり、やはり剣豪小説が好きだったので、峰隆太郎の、
高名な剣豪を主人公にした作品群も沢山読んでました。

地元に戻ってからは、山田風太郎さん(風太郎忍法帖はそれ以前から読んでいて、世の中にこんなに面白い小説があるのかと驚いていました)
と藤沢周平さんの小説をどんどん読んでいたけど、

藤沢周平の全作品の半分くらいまで読んだらパタっと藤沢作品に飽きてしまいました。

そして長い事小説を読まなくなったのは、役者をやり始めたから…なのかもしれません。

演劇をやっていた頃には古今東西の俳優とかミュージシャンとか前衛芸術家の伝記等を読んでいたけど、ほとんど内容は覚えていません。

そして小説を読まない長い空白期間を経て最近読み出したら

(大した経験は積んではいないけども)人生経験によるものなのか、

小説ってこんなに臨場感があってのめり込めて面白いんだ…

と、
以前よりもその世界の中にどっぷりと没入して深く読める様になりました。

自分は新しい流行とかにも少しは目が行くけど、

それよりも!

子供の頃から「これだけは死ぬまでに読まなくては!」
という古い作品が(全部時代小説。
昔の言葉でいうならば大衆文学)ずっとあり、

ようやく再び読書の楽しさに身も心も没入して浸れる幸せを取り戻しました。

(断捨離ブームで一年以上読んでない本は手放せ、と言われているけど、捨てたり売らなくて良かったです。
たとえ断捨離のお陰で金持ちになっても、二度と入手出来ない小説、書物を読んだ時の「心の豊かさ」は手に入れられないのだから)

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