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楽しいクラス会、人生の寂しさ

ここ1週間のビュー数の伸びが凄まじく、めっちゃびびってます。最近書いたとある記事が、過去記事で一番ビュー数の多かった記事を2週間ほどで上回りました。

検索エンジンか、何かで取り上げられたのか・・小心者の自分は大いにびびっております。

以下は、そんな流れをぶった切るような、日常生活の記事で、やや恐縮なのですが。


昨日は、介護の職業訓練時代のクラスメイトの方8人で集まって、バーベキュー等しておりました。定年退職された年長の方が旗振りをしてくれて、いろんな企画をしてくれるおかげで、定期的に楽しいイベントに参加できます。ありがたいことです。

古民家をお借りして

肉を焼いたり鍋したり、暖炉に薪をくべたり、火を囲むと話が弾みますね。お酒も入るとなおさらです😊

普段、ほとんど人と会わず、勉強ばかりしている生活で、特にそれでも何とも思わない僕ですが、たまにこういった機会があると、帰宅後にいろんな面白い、鮮明な夢を見ます。

会はずっと楽しかった記憶があるのですが、介護のクラスだったためか僕より10歳~20歳年上の方が多くて、両親の介助や介護、認知症、親しかった友人の突然の病死、家族関係の悩みなど、そこそこ大変な話も聞いていたのが意識下に印象を残していたらしく、夢の内容は学生時代、とにかく辛くて辛くて仕方がなかった頃の夢でした。

無職時代に開き直って色んなことに楽しく取り組んできた経験なども混じりつつなので、しんどいけど面白い夢ではあったので、クラス会で楽しい思いをして、寝た後にもう一個楽しい思いをして、という一粒で二度おいしいような休日でした。


印象が雑多過ぎて、まとまる気がしないので、夢も現実も交えつつ、思いついたことを思いついた順で書き散らかしたいと思います。

職業訓練前に配偶者を亡くされたNさん、今は受験を控えたり、部活で忙しい明るくて聡明なお子さん2人と、近所に住む高齢のご両親も健在で、良いとこの方なんだろうなあという雰囲気の方。家族の世話は大変だけど・・という話もされつつ、ずっと、一人者の僕としては、こんな風にまともに色んな責任を果たしつつ、頼りにされて生きてみたかったなあと羨ましくも思う方なのですが。

一人で旅行に行こうと思う、という話をされていました。一人に慣れようと思って、と。相方が亡くなって一番辛かったのは、きれいな景色を見たり、おいしいものを食べても、それをきれいだね、おいしいねって共感できる相手がいないことだと。

実は、結婚したこともなく、長年付き合っている人もいない僕も、これを聞いたときに、ああ・・分かるわあと思ったのです。学生時代、ウツのどん底にいたときの、あの感じと全く同じだ、と思いました。僕は、今では、ほとんど悩みも心配事もなく生きていますが、友だちも彼女もいて、普通の未来もあって、今よりはずっと色んなものがあったはずのあの頃、とにかく一番きつかったのは、「寂しい」ということなのでした。

あの時の自分と同質の感情だと、聞いていて思ったのです。死別、感情のすれ違い、さまざまな要因で、人は孤独を感じ、寂しさを感じると思いますが、その寂しさは、客観的に一人のときに感じるのと全く同じように、日常のさまざまなお金や身体や人間関係の心配事に忙殺されている状態でも感じうる。

ずっとおいしいおいしいと言って、ケラケラ笑ってばかりいたように思っていたクラス会でも、一晩経ってみれば、そういえば、個人的に死ぬことを考えるほどの強烈な寂しさの体験を思い起こさせるほどのことを、あの人も言ってた、この人も言ってた、あの人も・・と、思い起こさせられるのです。


客観的に計量したり、質的に同定したりはできない、主観的なものという意味で、確かに、「魂の孤独」としか言い表せないような、強烈な主観的「寂しさ」の体験があるように思います。

どうしたら、良いのでしょうね。

僕個人としては、今のところ悩まされてはいませんが、具体的に関わる一人一人の人に対して、実際にどうしたら良いかとなると、本当にどうしたら良いのでしょうね。

無宗教の自分ですが、とりあえず、祈るくらいしか思いつきません。

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