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自叙伝

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父に会いました 変わらず、あちらこちらで仕事をしていますが「大阪の人たちはやたら笑ってるね」と言います 大阪良いでしょう 嬉しく思う自分が、嬉しかったです

第一章 幼稚園:正義感と平和主義

第一章 幼稚園:正義感と平和主義

ぽや〜っとしていました

幼稚園で飼われていたヤギにあげるため、よくキャベツを持って通いました
休み時間はぶらんこか砂場
周りが教室に戻っても気づけず、先生が迎えに来ました

演劇の習い事
お兄さんお姉さんについていきました

エレクトーンの習い事
譜面を読んで弾けるようになりました

チアを習っているお友達がかわいかった
やってみたかったけどやりたいと言いませんでした

私を好きこのむ子もいまし

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【働き方改革】抜本的に変える

こだわりばかりでしたが、今は会いたい人に会いたい時に会える時間と、自分と大切な人を守れる経済力と、それだけの魅力が欲しいと思うようになりました

夏休みの図書館が好きでした 演劇で取り組む物語、伝承、コメディ、ミュージカル、神話、シェイクスピア諸々 舞台背景や所作、文化 図鑑や資料集を引っ張り出して片っ端から調べました 頭の中そのことだけでいっぱいにするのが好きでした ヲタク気質です 感情も人を動かすのだと体感していました

限界を決めつけているのは自分自身で、限界を解くのも自分自身だそうです ほんとそれな!です

あなたの笑顔はどこに生かすの?と言われたことがあります

仕事が楽しくて楽しくて仕方がなくて、おじいちゃんからお見合いを迫られて「え~~今ァ?!」なんて当時言えないから初めてデートしたところがうどん屋さんで、今でいうラーメン屋さん なんで私なの?と聞いたら、根っこ明るいから社宅でも周りとも上手くやれるかなって「え~~~それだけェ?!」

高校の先生の推薦で日本銀行へ 東京で働きながら、夜間の中央大学法学部で勉強しました 私が引き受けたものはなんでしょう笑 ガッツかな

おばあちゃんのお父さんは行政で45年働きました 男性が戦争に行っていたころ、ひいおじいちゃんは岡山に残り女性や子供を守るように言われていました 岡山にも沢山空襲が来ました 警報が鳴ると共に鐘を叩いて避難させました 引退する際、皇居で賞状を受け取りました「人生悔い無し」と残しました

翡翠を譲られました おばあちゃんはドレスメーカーで働き、お茶とお華のお免状を取り、女子校の校長から言い寄られ「イケメンすぎる」と振り、おじいちゃんとお見合いしてお兄さんとお父さんを育てました 『私の人生バラ色よ』って言います 今日も私が来るからお化粧したって おばあちゃん最高です

はとこのお父さんが、今年の春の叙勲で褒章を受賞しました 「みんなと仕事をしていてたまたま自分がいただくことになっただけ」とのこと 誇りに思います

町長と教育委員の孫として生まれた母と、日銀と茶道華道の先生の親をもつ父 その元に生まれたのが私です 知らない人の方が多いです 私も昨日知ったので笑 自分を知って受け入れるって大事ですね

祖母のお父さんも師範学校を卒業し、師範学校附属の小学校の先生になりました その後男子校の先生から県の教育委員となり先生たちを指導しました