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仏壇の前だけは避けたい布団敷き論争をした、ばあちゃんちの夏休み。

私の家族は夏休みと冬休みのタイミングで
毎年、母の実家にお泊まりに行っていました。

「〇〇(母の旧姓)のばあちゃんち」
と私と兄は呼んでいました。

ばあちゃんちはとっても古くて・・・
否とてもレトロなお家で

現役バリバリの黒電話があって
掘り炬燵もあって
瓦屋根で
部屋の中は障子に畳

お泊まりの時は
仏壇のある部屋が一番広いからと
川の字に布団を引いていくのですが
仏壇の前だけは避けたくって
いつも取り合いになっていました。

「お母さんのご先祖さまでしょ?」
と謎の理由を付けて
よく母を仏壇の前にしてましたが(笑)

そして夜になると廊下の電気がないので
トイレまでの道のりが怖くって
さらに汲み取り式の和式タイプだったので
もっと怖い!
(経験者伝わっていますか・・・?)

たまに飼っていたにゃんこが
ラスボスみたいに目を光らせて
廊下の先に鎮座していて
進めなくなったこともあったっけ・・・

子供の頃はにゃんこよりカーストが下だったので
喧嘩早い猫様は私にとって天敵でした。

怖いもの知らずの兄は
たまに引っ掻かれていましたし。

今では猫大好きですけどね。


朝ごはんはいつも祖母が作ってくれて
お味噌汁の味は母方の祖母の方が好きでした。

いつも出してくれる野菜炒めが家族全員大好きで
たまに母が味を再現するのですが
いまだに祖母の味に辿り着いたことがありません。
できることならもう一度食べたい。

そして何より祖母は鮮魚市場に知り合いがいたので
たまに貰ってくるお魚は格別に美味しかったです。

夏には大きなお祭りもあって
花火を見ながらお庭でバーベキューをするのが恒例で
あの当時は建物が少なかったので
打ち上げ花火が綺麗に見えたのを覚えています。



長期休暇中は家にいたって
ほとんど友達がいなかったので
ばあちゃんちに行って過ごすことが
何よりも楽しみでした。

学校生活も人間関係も
上手くいってませんでしたし。

幼い頃の私にとっては
ちょっと特別な時間だったなと
今になって思います。


そんな思い出が詰まった母の実家ですが
実はもうないんです。
というより新しく建て替えてしまったのです。

私が幼少期に過ごしたのは父方の実家でした。
それが時を経て母の実家の老朽化と
祖父を早くに亡くして一人暮らしとなっている祖母の身体を考え
母の実家側へ移り住むことになったのです。

その結果
母方の実家は3世帯用に建て替えられてしまったし
なんなら思い出がより濃く残っている
父方の実家もないわけです。


私の大切な幼い頃の思い出を
どうしてくれる両親よ・・・


母方の祖母だけの問題ならば
実家に呼べばいいじゃないと私は思いましたが
なんだか色々あったのだそうです。

私はまだ高校卒業したばかりの頃だったので
事情は深く知りませんし
子供の私には意見することもできません。

なんなら新しい家に住んでいたのは
専門学生の1年目だけで
後はほとんど一人暮らしをしていたので
今の家にほとんど思い入れがないんです。

帰省した時の「帰ってきた感」が普通の人より
ほんのちょっと少なかったりします。


私にとって「思い出」という意味での
故郷はもうないけれど
できることなら忘れたくない大切な記憶です。

人の記憶って書き残したり
写真に残したりしないと
どんどんと忘れてしまうから
ふと思い出したタイミングで
こうやって綴るのも悪くないなと思っています。

こういった何気ない思い出も
一つ一つが大切ですから。


あぁ・・ばあちゃんが亡くなる前に
お味噌汁と野菜炒めのレシピ聞いとくべきだったな。


由佳

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