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私の生い立ち(その2) 〜 空白の5年生 〜

過ごしてきた学生生活の中で、全ての年代が濃密であったと自信を持って言える人はどのくらいいるのだろう?
友情や恋愛、教師やクラスメイトとの交流、部活や委員会、学校行事など・・・
全部が全部、鮮明に覚えてる人は本当に羨ましいと思う。
全てじゃなくても、印象に残ってる年代はもちろんあるが、それ以外は「印象が薄い」という認識になってもおかしくない。

その中で私の小学校5年生は、印象が薄いというより、まさに「空白」と言っても過言ではない。
それくらい、ほとんど記憶に残ってない。
クラスメイトとか、教師とか、ぼんやり思い出すことはできるけど、どう過ごしてきたかなんて、ハッキリ覚えてない。

いや、問題児が集まった問題のあるクラスだった、それが唯一の記憶だ。

小学校5年生の夏に転入し、最初に座った席は、中でも1番怖い男子の隣だった。
1席ずつ離れた席で、わずかに空間はあるものの、だからこそ私の机の上に靴を履いたまま乗せてきたり、気に入らないことがあると机を蹴り飛ばしたり・・・
教科書とか筆記用具とか、とてもじゃないけど机の上に何かを置ける環境ではなかった。
その男子を中心に他の男子も乗じていて、明らかに強者と弱者の構図ができていた。

しかも担任は、このクラスが初めて担任になるという若い女教師。
皆と仲良くなりたいと、全クラスメイトと交換日記をしていたようだ。
私が来た頃は、まだ少数と続けていたようだが、それもすぐにできなくなる事件が起こる。

いつ起きたことか覚えていない。
何がきっかけだったかも覚えていない。
授業をやろうとしたのか、ホームルームだったのか・・・
私の隣の席の男子が、その女教師の所まで歩み寄り、みぞおちに強烈なパンチをしたのだ。
それからのことも覚えていない。
でもそれだけが鮮明に目に焼き付いてる。
その先生は病院に行き、次の日から来なくなった。

噂では、その先生は入院したと聞いた。
さぞかし恐怖だったと思う。
大人でも女性で、子供でも男性で。
バスケをやっていた隣の席の男子は、クラスの中でも背が高い方で、小学校5年生にもなればそれなりの体格だ。
その先生も、最初に受け持ったクラスがこれでは、トラウマ必至だろう。

私は同じように殴られないよう、下を向いて過ごすしかできなかった。
誰と話したかなんて覚えてない。
友達なんて作れる環境じゃない。
そんな余裕なんて微塵もない。
恐怖のために学校に行く。

でも親にも言えなかった。
母は私を1人で育てるために遅くまで働いてる。
少なくともあと1年ちょっとで小学校卒業。
転校したばかりの私は、空気のように過ごす。
私にはそれしかできなかった。

少し経って、新しい先生が来た。
年齢はわからなかったが、オジサン・オバサンという見た目の歳で、また女教師だった。
恐らく、前任者の事の経緯は聞いてるだろう。
教師も生徒も、お互い警戒していたと思う。
刺激を与えないよう、ゲームをしたりとか、何となく緩い日々が過ぎていく。
暴力はなかったと思うけど、クラスにもいなかったり。
そしてまた、その後のことは覚えていない。
なんとなくその先生も、途中でリタイアしていたような記憶がある。

最後は担任なんていなかった。
それさえも曖昧だけど。
先生の顔も、名前もおぼろげだ。
クラスメイトだって皆そう。
だから、5年生の勉強も、行事も何もかも、私の中では空白だ。
修学旅行みたいなやつは、私が転校する前に終わってたらしい。
今思えば、とてもじゃないけどその状況で行ける気がしない。

自分の心も記憶も、そこには存在しなかったのだ。

早く過ぎ去ってくれればいい。
卒業できれば、この世界から抜け出せる。
それだけを信じて、ただひたすら気配を消すように過ごしていた。

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