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43. チェコでの16日間 高等部2年C組36番 三浦優希

皆さんこんにちは!三浦優希です。

今回は、特別編!
高校2年生で早実の留学制度を利用して初めてチェコを訪れたときの報告文がたまたま見つかったので、全文当時のままお見せしたいと思います

まさしく自分の原点であり、ここから僕の海外挑戦が始まりました。

とっても長いですが、もし興味のある方は是非読んでみてくださいね。

ちなみに今回のカバー写真は、この短期留学の数か月後、クラスのみんなに早実をやめてチェコに本格留学することを伝える瞬間です。この日が来ることになったきっかけであり、僕の人生を大きく変えた16日間の記録がここにあります。

それではどうぞ!

*この留学には、アイスホッケーをするだけではなく、「ヨーロッパの歴史・背景を学ぶ」というテーマもあったので、第二次世界大戦の焼け跡地や、ユダヤ人強制収容所の見学をした様子なども内容に含まれています。

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チェコでの16日間

高等部2年C組36番 三浦 優希

私は8月7日から8月16日までの16日間チェコ共和国の首都であるプラハを訪れました。
この場所を選んだ理由は、小学4年生の時に一度訪れたことがあり、その時に見たプラハの街の雰囲気や古っぽさなどが気に入り、いつかもう一度訪れたいと思っていたからです。
また、チェコは北米、ロシアに次ぐアイスホッケー大国です。一度訪れたとき、プロチームの試合を見て、このリーグでプレーしたいとずっと思い続けてきました。小学4年生であった私にそう思わせるほど、チェコのアイスホッケーは優雅で美しかったのです。いつかこのホッケーを肌で感じてみたいとずっと思っていました。
そう思い続けていた中で出会ったのが「寺岡静治海外交流補助資金」という制度でした。
この制度のおかげで私は多くのことを経験でき、大きく成長できたと思っています。
ここでは私が現地で体験したこと、感じたことを毎日つけていた日記をもとに述べようと思います。

1日目 8月7日
チェコ出発日。成田空港でアイスホッケーの防具とスティックがひもでぐるぐる巻きにされるという予想外のことが起こった。また、防具は無料で運んでもらえると思っていたが勘違いだったようで超過料金がかかった。何とか交渉して5000円に料金を抑えることができた。チェックインを済ませいよいよ搭乗口へ。ここで見送りに来てくれた母と別れた。やっとチェコにいけると思うととてもワクワクした。飛行機に乗って感じたことはホントにヒマだなーってこと。ずっと座っていたからお尻も痛かった。隣には優しそうでイケメンな外国人が座った。とても気さくでたくさん話しかけてくれて嬉しかった。CAに「飲み物は何がいいですか?」と聞かれ、テンパってスプライトを頼んでしまった。よって部則を犯してしまった。ごめんなさい。

日本からの直行便はないのでモスクワ乗り換えだったが、飛行機の到着が遅れてモスクワのシュレメチボ空港についた時には乗り換え時間が30~40分しかなかった。飛行機を降りたはいいものの、次の飛行機の搭乗口がどこにあるのか全くわからない!マジであせりました。ほんとに飛行機乗れないんじゃないかって思った。時間もどんどんなくなっていくしちょっと諦めかけていた。いろんな人に道を聞いて思ったのはロシアの人は対応が冷たいということだ。こうして困っている客がいるのに、それに構わず目の前でイチャイチャしていたパイロットとCAにはとても腹が立った。もうあの二人は許さない。諦めかけていた時にやっとモニターに自分の乗るプラハ行きの飛行機のゲートが表示されていることを知り、猛ダッシュでそこへと向かった。ギリギリ間に合ったようだ!本当に安心した。人生でこんなに焦ったのは初めてかもしれない。こうして何とかプラハへと向かうことができた。

ようやくプラハ到着。ここまでとても長かった。やっと着いたんだと思うと安堵と期待の情がこみ上げてきた。さあ早く荷物を取って空港を出ようと思ったら問題が発生。いつまでたっても防具とスーツケースが出てこないのだ。聞いてみたらまだモスクワに荷物が残ってしまっているらしい。最初はかなり焦ったが、周りを見ると自分と同じように荷物が届いていない日本人の方が3グループほどいてちょっと安心できた。Lost Baggage Centerに行って事情を説明した。対応してくれた女性は優しくとてもわかりやすい英語で会話してくれた。自分の意思が英語で伝えられることはこんなに嬉しいんだと感じた。手続きを終え、自分の宿泊先である「民宿桐渕」さんのところへ荷物を届けてもらうようにした。
空港を後にすると待ち合わせ場所に民宿の方が迎えに来てくれていて民宿まで送っていただいた。こうしてトラブルだらけの初日が終わった。何とか乗り越えられて良かった!
23時消灯。


2日目 8月8日
7時15分起床。
時差ボケは感じなかった。今日はホッケーの練習がなかったのでちょっとした観光をした。宿泊先に同じように日本からホッケー留学している子がいて、その子の試合を見に行った。リンクについた時、とても体の大きい選手とすれ違ったので、その子に「あれ何歳?」と聞いたら「16歳だよ」と言われた。驚愕。年下かよっ!ってほんとに思った。これからあんなに体の大きい選手とホッケーするのかと思うとちょっと怯えてしまった。いやーほんとに大きい。どうやったらあんなに体大きくなるのかなとか色々考えていた。試合を見終わって家に戻った。まだ荷物は届いていないらしい。もしこのまま届かなかったらどうしようとかなり不安になっていた。空港から荷物を積んだ車がでたのが11時。夕方になってもまだこなかった。もうだめかなと諦めかけていた時、やっと車が到着!結局防具が届いたのは夜の8時頃だった。時間なんてどうでもよくてとにかく届いてくれたことにホッとした。明日からはいよいよ練習。失敗を恐れず全部出し切ろう。自分が練習に参加させてもらう年代はジュニアといって、主に18,19歳の人たちがプレイするところだった。今日見た体の大きい子のような人たちがたくさんいるんだろうなとか明日のことを想像しながらベッドについた。
22時消灯。


3日目 8月8日
5時起床。一発目の練習終了!正直、全然やれる!と感じた。監督さんに午後の試合に出てくれと言われた。チームメイトとも少しコミュニケーションを取れた。面白いなと思ったことは、得点したり、アシストをしたりするとみんなに話しかけられるようになるということ。最初は冷ややかな目で見られていたが練習が終わったらいろんな人に話しかけられた。ある意味認められたような感じがした。これは海外にいるからこそできる経験だ。評価というものはこうやって積み重ねていくものなんだと身をもって知ることができた。この練習中にスティックが折れてしまった。愛用していたものだったので少しショックだったがチェコのホッケーショップにも行ってみたかったのでちょうどいい機会になった。

ホッケーショップでは2本スティックを買った。店はそんなに大きいわけではなかったが、日本に比べて品揃えが豊富で見ていて楽しかった。 


午後の試合に備えて早めにリンクに戻ったらリンクを貸し切って一人で練習している人がいた。なんとその選手はアイスホッケー界のスーパースターであるヤロミール・ヤーガー選手だった!この人こそ長野オリンピックでチェコ代表を金メダルへと導いたチェコの英雄である。日本のホッケー選手でこの人を知らない人はいないだろう。実は、私が練習に参加させてもらっているHC Rytiri Kladno というチームのオーナーがこのヤーガー選手で、オフシーズンには毎日このリンクを貸切り個人練習しているそうだ。でも、まさか見れるとは思ってなかったので、目の前で見れて本当に嬉しかった!これもチェコにいるからこそできるイベントだったと思う。

自販機で飲み物を買おうとしたが、お金を入れてもそのお金が出てきてしまって結局買うことができなかった。ちょっと悔しい。やり方が違ったのかな。

試合の結果は3ー2で勝利。自分は1アシストのみだった。チームメイトのみんなはとても優しくていつも励ましてくれた。とにかく敵のパワーがすごかった。体験したことのないボディチェックを食らった。これが外国人の強さか!とても良い経験になった。でもパワーでは負けてもスピードなら勝てると確信できた。つぎはもっとチャンスに絡みたいなと思った初試合だった。外国人とやるホッケーは日本とは全然違うおもしろさがあった。
試合が終わって家に帰り11時消灯。


4日目 8月10日
8時起床。今日はオフだった。ずっと家にいた。なので今日は特に印象的なことはしなかった。トイレに7回ほど行ったことくらいかな。急に腹を壊してしまった。氷上でだけは腹痛来ないでほしいな・・


5日目 8月11日
7時30分起床。午前中はまったりしていた。宿題やったり、掃除を手伝ったりした。今日は16時からウエイトトレーニングで17時から氷上練習があった。

ウエイトは全くついていくことが出来なかった。みんなもう体が出来上がりつつあって、自分だけひょろひょろでとても恥ずかしかった。監督さんに「アウシュビッツ収容所から出てきたのかい?」と結構傷つくジョークを言われた。本気で体づくりに望まなければならないとおもった。

氷上練習は本当に楽しかった!この感じ久々。みんなにもっとたくさん話しかけられるようになってきた。今日のメニューはほとんどゲーム形式だった。今日は初ゴールを決めることができた!練習といえどやっぱり嬉しかった。ゲームの結果はドローでゲームウィニングショット(サッカーで言うPK戦)で勝敗を決めることになったのだが、なんとそのシューターに自分が指名された。試されているんだなと強く感じた。これは最大のアピールチャンスだと思い、自分の一番得意な技をキーパーに仕掛けた。成功!入った!みんなに祝福された。いやーホントによかった。今日の練習で感じたことは確実にパックに触る回数が増えてきていること。みんながパスを出してくれるようになった。少しずつ信頼されてきたのかな。それに、みんなと会話する回数も増えた。外国人と意思の疎通ができるのはとても嬉しい。英語とチェコ語を早く完璧にマスターしたいと思った!

家に帰って23時消灯。


6日目 8月12日
7時30分起床。
今日は同じ民宿に宿泊している日本人の方の結婚式だった。チェコ式の結婚式を挙げるということで、チェコの文化を知るとても良い機会だと思い一緒に参加させていただいた。会場はプラハの古城だった。とても綺麗な建物でいかにもヨーロッパな感じがした。

新郎新婦さんも幸せそうで心が温かい気持ちになった。チェコは建物がとっても良い雰囲気を演出していてそれを見ているだけでも十分楽しむことができた!チェコで結婚式を挙げることをオススメします。

そのあとは宴会になって美味しいものをたくさん食べた。
結婚式の内容は日本の結婚式とほとんど変わらなかったが、宴会ではチェコならではのお祝いの仕方があった。
日本では、夫婦初の共同作業はケーキ入刀が一般的だが、チェコでは、お皿をわざと床に落として割って、それを二人で一緒に片付けるという共同作業が伝統的な儀式だそうだ。「困難を共に乗り越えよう」という意味があるらしい。これには驚いた。国が違えば儀式も違うのだなと思った。
もうひとつ印象的だったのは、新郎新婦が一つの毛布にくるまり、お互いにスープを飲ませ合うというもの。これも恒例のお食い初めだそうだ。二人はとても幸せそうだった。写真を取れなかったので、参考画像を載せます。

家に帰ってトイレに行って24時消灯。


7日目 8月13日
5時起床。

今日は朝練と試合に出してもらった。前回4セット目だったのが今日は3セット目になった。ラインメイトはチームのムードメーカー的存在の子だった。練習は最後には自由時間になって、その間に監督さんに攻めと守りの主なシステムについて聞きに行った。日本とは全く違う考え方で驚くことが多くあった。
そのときたまたま通訳の人がいてくれたので良かったが、チェコ語がしゃべれるようになれば自分のプレーも幅も大きく広まるのだろうな。チェコ語は絶対にマスターしなければならないなと改めて思った。練習が終わってからは、少し車で休憩した。

試合はSlavia Praha という名門チームとだった。小さい頃から試合をしてみたかった相手だったのでひとつの夢が叶えられた気分だった。結果は2対1で勝利!ポイントは0だった。ちょっと悔しい。この試合で良かったことは、ボデイブロックが3回成功したこと。みんなから讃えられた。誰よりも体を張ることは常に心がけていたので成功したのはとても嬉しかった。今日いけないことはシュートを1本も打てていないこと。積極的にゴールを狙えとコーチにも言われた。
海外でプレーするには、チームの色に合わせていく中で、自分の持ち味を発揮することが大切なことだと思い知った。
このチームの人たちは本当に優しい!自分のユニフォームを一緒に探してくれたりした。とても温かいムードだ。早実ホッケー部に似たところがあるなと感じた。

試合の後は社会勉強ということでLidice村に連れて行ってもらった。この村は第二次世界大戦時にナチスドイツから集中的に攻撃を受け完全に壊滅状態に追い込まれた土地である。なぜこの村がこんなにもひどい攻撃を受けたかを説明しようと思う。
ナチスはチェコに対し占領政策を敷いていたが、なかなか思うように機能せず業を煮やしたヒトラーは自分の右腕というべき直属のラインハルト・ハイドリヒを1941年9月にプラハへと送り込んだ。ハイドリヒは親衛隊大将のほか、保安諜報部長官の肩書きを持ち、徹底した冷酷さで能率を上げる機械のような人物で知られていた。彼はユダヤ人絶滅政策をまとめたヴァンセー会議の最高責任者となり、「最終的解決」と称する皆殺し機構を作り上げるなどしてヒトラーの厚い信頼を受けていた。
彼の残虐ぶりはすさまじく、チェコ全土に戒厳令をしき、これに背いた者は銃殺あるいは絞首すると布告した。
これは脅しでもなく、彼の就任したその日の内に142人が処刑され、584人が強制収容所へと連れ込まれた。翌10月には248人が処刑され、953人が収容所送りとなった。

こうして「プラハの殺人鬼」、「金髪の野獣」と恐れられていたハイドリヒへと仕向けられたのがハイドリヒ暗殺計画だった。チェコの亡命政府はイギリスから特殊工作員をプラハに送り込み、1942年5月27日の朝、空港へと向かっていたハイドリヒの乗っていたベンツに手榴弾を投げ、それで傷を負い壊疽を起こしたハイドリヒは8日後に死んだ。
暗殺計画はついに成功したのである。

ハイドリヒ襲撃事件のニュースはすぐにベルリンに届き、それを聞いたヒトラーは顔色を変えて激怒したという。もちろん戒厳令が敷かれたが、それから一週間ばかりの間で1万3000人が逮捕され、1800人が処刑された。
そしてナチス軍の報復の的となったのがLidice村だった。プラハ北西20kmほど離れたこの村は、暗殺事件と直接的な関係は何もなかったのにもかかわらず、6月10日、報復は決行され、街は完全に破壊されてしまったのであった。

それにしても、なぜlidice村がハイドリヒ事件の報復対象になったのだろうか。その事情はこうだ。
ドイツの秘密警察はハイドリヒ襲撃犯人捜索に乗り出し、実に470万人のチェコ人が取り調べられたという。しかし、それにもかかわらず犯人たちの手がかりは一向につかめなかった。
事件から一週間が過ぎる頃、ドイツ当局は対外的にも苦しい立場に置かれてきた。こうなると理由はなんでも良かった。ごく曖昧でささいな情報でも、とにかくどこか一箇所を血祭りにする必要があった。
その的がlidice村にしぼられたのは、たまたま一軒の農家であるホラーク家の息子ヨセフ氏が3年前から行方不明で、どうやらイギリス空軍に参加しているとなったからだった。ドイツはこれを暗殺犯と関係あるとしてヒトラーの命令によるlidice村抹殺作戦が始まったのだった。
男たち143人は10人ずつ一列にならばされ、一斉射撃で次々と殺されていった。死体からは金歯や指輪、時計などが抜き取られたという。
203人の女たちは強制収容所へ送られ、強引に親と引き離された105人の子供たちは、国外へと連れ出された。
村の建物は全て破壊され、残骸が運び出された後に整地作業となり、痕跡さえ止めぬ大地へと変わってしまった。「少しでも抵抗する素振りを見せたらこんな目に合わせるぞ」という見せしめになったということだ。

少し長くなってしまったが、以上がlidice村が襲撃されるまでの流れである。

実際にこの場所を訪れて思ったことは、「なんにもない。」の一言だった。


この場所が元は村だったなんてとても考えることは出来なかった。

下の写真は、lidice村で生活していたが、ドイツ軍に国外へ連れ去られ、そのまま故郷へ二度と帰ることのなかった子供たち82人の等身大の群像である。今でも群像の前に花束やお菓子などが添えられていた。一人一人の表情まで鮮明に形作られていることに驚いた。製作には20年以上かかったそうだ。
強く印象に残る群像だった。

Lidice村の見学を終え、家に帰った。それからは特に何もしなかった。グダグダしていたら時間が経っていて23時消灯。


8日目 8月14日
6時起床。
今日は昼と夜の二部練習だった。練習場までは家が近所で、同じチームのフィリップ君と一緒にいった。いろんな話をした。会話ができてとても嬉しかった。
昼練習の内容は主に対人メニューだった。1対1のパックの取り合いは自分では得意だと思っていて自信があったのだが、今までにないくらい完全に負けた。こんな経験は初めてだった。相手は体が大きくて、重たくて、体の使い方が上手で全く勝てる気がしなかった。悔しい。得意種目だっただけに本当に悔しかった。とても良い経験ができた。

次の練習は19時からだったので、それまでリンクで時間を潰すことにした。控え室にテレビゲームが置いてあって一緒に遊ばせてもらえたりした。控え室にゲームがあるなんて日本では考えられないことだ。また、リンクにはWi-Fiが通っていてチームメイトにパスワードを教えてもらったので自由に使うことができた。日本の友達や家族と連絡を取り合うことができた。これはとてもありがたいことだ。Wi-Fi最高。

夜の練習の内容は主にゲーム形式だった。アピールチャンスだと思って必死にプレイした。最終的に1ゴール1アシストをマークすることができた。ラインメイトともかなりコミュニケーションを取れるようになってきた。今日思ったことは、どんどんパックに触る回数が増えてきていること。ラインメイトが自分を使ってくれるようになってきた気がする。今日の紅白戦で昼の悪いイメージを少しは払拭できたかな。

練習が終わって帰るときにリンクを覗いてみたらヤーガー選手の個人練習をまた見ることができた!彼の個人練習の動画を日本にいた時に見たことがあったが、それと全く変わらない練習をしていた。嘘をつかずに真摯に練習するところが真のスターだなと思った。

家に帰る途中で、カップルが堂々とキスしているのを見た。外国だなあって改めて思った。周りの人も別に反応してないし、日本じゃあんまりないことだな。

家について軽食を頂き23時消灯。


9日目 8月15日
7時起床。
今日は監督に言われ、スタルシードロストという年代の試合に出させてもらうことになった。この年代は16,17歳で自分と同級生のクラスだ。監督の考えとしては、「同級生のクラスで活躍するくらいじゃないとジュニアチームではやっていけないよ」ということだと思う。

リンクへは初めてひとりで行った。途中道がわからなくなったけど、優しそうな女性に道を聞いたら快く教えてくれた。思ったことは、海外にひとりで出ることはちょっと不安だけど、いざ生活してみるとそんなに大変なことじゃないんだということだ。意外となんとかなるのだなと感じた。ロシアでの乗り換えに比べたらこんなのは余裕だ。ロシアで少し自分が強くなれた気がします。

試合の結果は6対1で勝ち。自分は1ゴールだった。スタルシードロストはジュニアとスピードや体格が全然違っていつもよりとても楽に感じた。余裕をもってプレーすることができた。ただもうちょっとポイントをとりたかったな。ディフェンダーと1対1の場面になって、「抜けた!」と思った瞬間に足を引っ掛けられ、転ばされてアゴを氷に強打した。出血。とても痛い。初めて氷上で出血したかも。やっぱり外国人はそう簡単には抜かせてくれないんだなと改めて思った。日本とはそこがちがって嫌なしつこさがあった。勉強になった。敵を抜ききるまで気を抜いてはいけないことを学んだ。チームのメディカルサポーターの人にアゴの応急処置をしてもらった。やっぱりもっとレベルの高いジュニアチームでホッケーがしたい!そう強く思った。

試合がおわってロッカールームに戻ると、ジュニアのチームメイトがいて、「いいゴールだったよ」とか「ケガ大丈夫?」など声をかけてくれた。本当にこのチームの人たちはみんな優しかった。
シャワーを浴びて帰宅。トラブルもなく無事に帰ることができた。少しずつこっちでの生活に慣れてきた気がした。家についたらとんかつを食べた。おいしかった!アゴ痛かったけど。食べるのに時間がかかった。
24時消灯。


10日目 8月16日
5時起床。今日は朝練と試合。
民宿の方にリンクまで送ってもらった。フィリップ君も一緒だった。朝練は走るメニューが多かった。これなら自信があった。競争などでも一位を取ることができた。練習後、監督に呼び出され、「このチームでプレーしないか」といわれた。認めてもらえたのが素直に嬉しかった。でもこれは自分ひとりで決められることではないので日本に帰った時に家族としっかり相談することにした。ここでの選択が、人生の大きな転機になる気がした。

午後の試合は3対4で負け。ポイントは0だった。今日は本当にひどかった。当たり負けするし、抜かれるし、パス悪いし‥最悪だった。フィジカル面での問題が完全に浮き彫りになった試合だった。体を強くしない限りここでの活躍はないと感じた。ちょっと調子に乗っていた部分があったかもしれない。身を引き締めるいい機会になった。

明日からは2日間かけてトーナメントという小さい大会が行われる。遠征ということですこし緊張もするけどみんなとも、より仲良くなれる機会だし精一杯楽しもう。
迎えの人がリンクにくるまで家族や友達と連絡をとっていた。ちょっと日本が恋しくなった。
家に帰って22時消灯。


11日目 8月17日
6時起床。フィリップ君と集合場所まで一緒にいった。集合場所で少し待っているとチームのバスがきた。防具を積みこんで自分もバスにのった。周りが外国人だらけのバスはとても緊張した。しかもたくさん絡まれた。流暢に英語を話されると本当に聞き取ることが難しかった。”How are you?”と聞かれて”Seventeen”と答えるという醜態を晒した。みんなに笑われた。緊張してたんだもんしょうがないよ。気にしない気にしない。チェコ語も少し教えてもらった。どんどん使っていこうと思う。

2時間弱ほどたってようやく現地についた。Parduviceという場所だった。ここにもプロのホッケーチームがあり、いつか訪れたいと思っていた場所だ。
1試合目は自分たちのセットは休みだった。チームのサポートにまわった。下の写真は試合前の控え室の様子。なんかかっこよかった。


試合は0対0の引き分けだった。試合が終わったらみんなでランチ。リンクに併設してあるレストランで食べた。スープとパスタを食べた。
またバスに乗り込みホテルへ移動。3人部屋だった。相部屋の二人は優しそうなので安心できた。少し休憩したら2試合目だ。

試合終了。3対3の引き分けだった。そして‥初ゴール!とても嬉しかった。本当に気持ちよかった。これで満足しないようにする!次の試合も活躍する!

試合がおわってまたレストランにいった。豚肉とライスのセットを食べた。米はあんまり美味しくなかった。やっぱり日本が一番だ。
食べ終わって他のチームの試合を見ていたら、チームメイトに「一緒に来るかい?」と言われたので「どこに?」と聞いたら「ビール飲みに!」といわれ本当にびっくりした。チェコでは18歳からお酒は飲んでも良いことになっているが、まさか大会中に行くとは思わなかった。もちろん断ってそのまま試合を見ていた。日本ではありえないことだなと思った。いやー驚いた。
試合を見終わってホテルに帰り相部屋の子とちょっと話してから寝た。コミュニケーションをとれるととても嬉しい気持ちになる。
22時消灯。


12日目 8月18日
6時起床。試合は8時から。起きたら食事だった。バイキング形式だったので満足するまで食べた。チェコ人は朝ごはんがテキトーだなと見てて感じた。パン1つだけの人とかもいた。
食べ終わってリンクへ出発。ホテルからリンクは近かったのでみんなで歩いて行った。


なんで外国人ってこんなにカッコいいのかな。
リンクについて試合の準備をした。すごいと思ったことがあった。サポート面で、必ずバナナ、スイカ、ぶどう、オレンジなどのフルーツが控え室にあり自由に食べていいことになっていることだ。チームが用意してくれたものだが、他にもプロテインやコーンフレーク、栄養食品まで備えてあった。日本ではこのようなサポートは見たことはなかった。素晴らしいことだと思った。

試合の結果は3対1で勝ち。2アシストマークすることができた。今日の試合では自分のプレーに余裕ができた気がする。少しずつ慣れてきた。この感覚を忘れないようにする。けどやっぱりダメだったのが体の当たり合いだった。どうしても耐えられなくて転ぶことが多くあった。外人はパワーが桁違いだ。すごいなあ。

次の試合はまた順番が回ってきて休みだった。正直出たかった。チームはこの試合にも勝利し、準優勝となった。みんなはあまり結果にこだわっている様子はなく、表彰式にも出ないで帰ることになった。

バスで帰っていると、売店のようなところでみんな降りていった。何かと思いコーチに聞いたら、「パンとジュース好きなもの選んでいいよ」と言われた。衝撃だった。みんなの軽食をチームのお金でまとめ買いしたということだ。ほぼプロのような生活だ。すごい!

リンクへついたら防具を控え室においてフィリップ君と一緒に帰った。リンクに防具を置いて行けるのは本当にありがたい。また駅でイチャイチャしてるカップルを見た。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだった。
家について軽くご飯を食べて22時消灯。


13日目 8月19日
8時起床。今日はTerezin強制収容所の跡地の見学に行った。
Terezin強制収容所とは元々はボヘミアの要塞だったが、19世紀には軍の駐屯拠点になり、次に獄舎になった。やがてやってきた占領軍ナチス・ドイツはあまりにも多くの抵抗者たちを逮捕したため、プラハの刑務所では足りず、第二次世界大戦が始まるとすぐにこの要塞を強制収容所へと変えたのだった。ここには10万人以上ものひとが送り込まれた。この収容所は3つの目的からなりたっていた。1つは死の収容所へのチェックポイント(中継収容所)、2つめは政治犯を処刑する場所、3つめは国際赤十字社に対する偽装施設として、いかにもユダヤ人自治区らしく見せることだった。
特に1つめの目的が主で、囚人を「選別」し、働けそうにないものは東のアウシュビッツ強制収容所へ続々と移送した。

これはTerezin強制収容所の前にある墓だが、名前が書かれていないものがある。中に遺体がないからだそうだ。


収容所の中の様子


部屋の様子
3段ベッドがありここに何人ものひとが敷き詰めて寝ていた。部屋には洗面器が1つだけあったが水はそこにはないため他の場所から水を持ってきて顔を洗っていた。


洗面所
こんなに綺麗な状態で保存されている理由は、さきほど書いた赤十字社などへの対策である。赤十字社の人が来た時に、「清潔な洗面所を使わせていますよ」と説明するために作ったもの。実際には使われていないためあまり汚れていないのである。

処刑場と絞首台
絞首刑の理由「ユダヤ人に銃弾を使うなんてもったいないから」だそうだ。


他にも世界大戦のひきがねとなった「サラエボ事件」の犯人の独房や、「死の門」と呼ばれるものを見たり、元は要塞だったため細くて迷路のような地下道を通ったりした。暗くてちょっと怖かった。

ユダヤ人がどれだけひどい仕打ちを受けていたかを知ることができた。戦争がどれだけ不幸を生むものなのかを収容所を見学して感じ取ることができた。

収容所の見学を終え、練習へと向かった。自由練習ということで人はすくなかった。家に終わって家に帰り23時消灯。


14日目 8月20日
5時30起床。今日は、朝練と筋トレと昼練。フィリップ君と連絡が取れなかったのでひとりでいくことにした。もう全く迷わず行けた。クラドノへの道路はガタガタしていてバスの振動が強く、マッサージチェアに座っているような感覚だ。

リンクについて朝練開始。だいぶ慣れてきたがどうしても最後までわからなかったのがメニューの説明だった。コーチはボードを使ってみんなに説明しているが、ちょっと雑で理解しにくかった。それに加えて全てチェコ語なので注意点とかもよくわからなかった。実際に練習に移るときはみんなの一番後ろに並んで前の人の動きを覚えていた。そのうち自分でしっかりメニュー理解して先頭に並ぶくらいになりたいな。チェコ語を本当に話せるようになりたい!

練習が終わったら、監督さんに連れられて昼ご飯をご馳走してもらった。中華料理をたべた。チェコは中華料理屋さんが多い気がする。

食べ終わりリンクに戻るとAチームが練習していた。テレビで見たことしかないスター選手が4人ほどいた。なんて豪華なメンバーなんだろうと思った。こんなに多くの有名選手を輩出しているこのクラブは本当にすごいと思った。まさに名門という感じだった。

14時30分からチームミーティングがあって、みんなが笑っていたのでなんのことか後で聞いたら自分の体重のことで笑っていたそうだ。海外では、やっぱり自分の体重じゃ軽すぎるんだなと改めて感じた。
昼の練習はゲーム形式が多かった。正直、理解しづらい練習メニューよりこのような実戦形式のほうが単純でありがたかった。このゲームでは1ゴール1アシストできた。チェコにきてからポイントに執着するようになった。日本ではあまり気にしていなかったが評価されるときに「数字」は重視されるのでそれにこだわりを持つことはいいことだろう。

ここから筋トレ。ウエイトトレーニングと階段を使ったメニューをやった。階段トレーニングはあまりやったことがなかったので新鮮だった。ウエイトに関してはボロ負け。なんでみんなあんなに力あるのかな。

トレーニングが終わったらプロテインを飲んでシャワーを浴びて帰る準備。帰っている途中のバスで周りの乗客が指差している方向があって、そちらをみたらきれいな虹がかかっていた。感動した。中には拍手している人もいた。

ちょっと暇な時間ができたのでいつも降りる駅のひとつ前で降りて目の前にある服屋さんに寄ってみたらなんか変なTシャツが売っていた。おもしろかったから写真撮った。

夕ごはんはチェコ料理屋へ行った。店の雰囲気がとてもオシャレ!料理も美味しかった。お腹いっぱいになるまでたくさん食べた。ホントにおいしかったな。食べた料理は、クウネドリーキと呼ばれるパンを使った伝統的な料理を食べた。これはハヤシライスのライスの代わりにパンがあるような感覚。他にはクロバーサという太いソーセージとパンを一口ずつ交互に食べるものや、スペアリブ、チキン、ポテトチップスのような揚げ物を食べた。自分が感じたチェコ料理の特徴は、全体的に油分が多くて、肉を使った料理が多いということ。日本人でも食べやすい料理が多いと思った。

食べ終わったら家に帰って23時30分消灯。


15日目 8月21日
今日は朝練と午後から試合!朝ちょっと寝坊してしまった。もうちょっと起きるのが遅かったら絶対練習に遅刻していた。危ない危ない。

朝練が終わる頃にサプライズが起きた!世界最高峰リーグのNHL選手で大活躍していてチェコ代表にも選ばれているトーマス・プレカネッツ選手がわざわざ指導しに来てくれたのだ。指導内容は、プレーが一旦止まり、再開する際に行われるFACE OFFの勝ち方だった。これはセンターフォワードの大事な仕事のひとつで自分はあまり得意ではなかったことだ。スーパースターと同じ氷に乗っているなんて本当に信じられなかった。大興奮した!
彼は自分と同じセンターフォワードでいろいろアドバイスをいただいた。かっこよかったな。実際にプレカネッツ選手とFACE OFFを勝負させていただいたが、全く勝てなかった。パックを取れる気がしなかった。終わった後に彼の必勝法を教えてもらう事ができた。これはかなり有効的な技だ。たくさん練習しよう。最後には一緒に写真を撮ってくれた!最高。チェコに来なかったら一生体験できていなかっただろうな。

防具から着替え終わったらチームメイトに昼ご飯に誘われた。嬉しかった!今日は嬉しいことがたくさんだ。中華を食べに行った。「箸使える?」と聞かれ「使えるよ」と言って実際に使って料理を食べたらとっても驚かれた。「ありえない」みたいなことをチェコ語で言われた。ちょっとおもしろかったな。みんなイケメンなのはなんでだろう。

リンクに戻っている車の中で流行りの音楽の話になり、たまたまPSYの”GANGNAM STYLE”がかかって、「この曲流行っているよ」と伝えると、おお!ってなった。チェコでも流行っているらしい。それから車は大盛り上がりだった。この曲知ってて良かった。
控え室に帰ってからまたその曲がかかり、みんなの前でそのダンスを踊らされた。恥ずかしかったけど、全力で踊った。ノリが悪いのは一番いけないっておもってたし。これがなかなかウケてみんなから拍手とかされた。みんなとの距離がだいぶ縮まった気がした。こういうのも大事なんだなって実感した。

試合はPLZENというチームとだった。試合は1対1の引き分けでPS戦になった。なんと自分が指名された。とっても緊張したが思い切って得意技をやったらポストにあたって入った。良かった!ラッキー!チームメイトにも祝福された。結局PS戦は負けてしまったが、良い経験になった。

今日は一日中楽しい気持ちだった。どうせなら試合勝ちたかったな。家に帰ってご飯食べて23時消灯。


16日目 8月22日 最終日
6時30分起床。今日は最終日。あっという間の2週間だった。朝練だけでて、そのまま空港に向かう予定だ。
練習が終わったらみんなに日本に帰ることを伝えた。みんなと握手した。すこし寂しい気持ちになった。リンクから出るとき、Aチームが練習していた。NHL選手が多くいる。こんなに豪華なメンバーを見れるなんて最初は思ってもいなかった。少し練習を見学してから空港へと向かった。ここまで色々とお世話をしてくれた民宿の方にお別れの挨拶をして搭乗口へ。出発まではまだ時間があったので空港内をちょっとブラブラした。キーホルダーなどを買った。また、この2週間を振り返っていたりしていた。そうしているうちに時間になり飛行機へと乗り込んだ。さあまずはロシアへ!行きのようなトラブルはもう起こしたくない。余裕で乗り換えしてやる!とか考えていた。

いよいよモスクワについた。なんか着陸した際に乗客からの拍手が起きた。飛行機にトラブルでも起きていたのか?と不安になった。ほとんど寝ていたのでなにも分からなかった。とにかく無事着陸したので一安心だ。乗り換えは行きと違ってとてもわかりやすかった。列の前の人が日本人でその人についていった。ラッキー。

歩いている途中にまたパイロットとカップルがいちゃついているのを見た。さすがに行きに見た人ではなかったけど。まあ今は困ってないからいいや。お幸せに。仕事しなくていいのかな?

乗り換えも問題なく済ませ、やっと成田空港に到着。長かった。空港には母親が迎えに来てくれていた。荷物も今回はしっかり手元に届いたので特に問題は無かった。

こうして16日間のチェコへの留学が終わった。

当初取材を予定していた、元女子体操選手でオリンピックでは数々のメダルを獲得し、東京オリンピックの時には「東京の名花」とまで謳われたベラ・チャースラフスカさんが、ご病気のためインタビューができなくなってしまい残念だった。彼女は親日家としても知られている。
もし、また機会があれば、ぜひお話を聞いてみたい。

今回の留学は、毎日が新しいことだらけで本当に楽しい生活を送ることができた。自分のアイスホッケーに対する考え方や、外国人とコミュニケーションを取ることの素晴らしさを学ぶ良い機会となった。自分の目標である海外挑戦へのプランが、より具体的になった。この16日間は人生の宝物だ。

最後に、私がこの充実した16日間を送ることができたのは、このような機会を設けてくださった寺岡静治氏、快く日本から送り出してくれた家族、協力してくださった先生方、現地で私のサポートをしてくださったみなさまのおかげであります。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

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以上です。いかがでしたか?

海外挑戦のまさしく第一歩となったこの16日間。
本当にかけがえのない時間となりました。

こんなに長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。

三浦優希

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