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腹が減っては・・・

これは77回目。わたしは映画やドラマを見ていると、ほんとうにどうでもいいことに疑問を抱き、それが気になって仕方がなくなります。これもその一つでした。戦国時代の農兵たちは、一体なにを食べていたんでしょう? そして食べれば当然・・・

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映画やドラマでは、戦国時代の兵士たちの食事が、ほとんど出てこない。とくに戦場や野営地における食事のシーンなど、まずお目にかかったことがない。主人公たちは、位の高い武将ばかりだ。

しかし、考えてみてほしい。1600年の関ヶ原合戦の場合、両軍とも8万から10万人超という動員兵力だ。一軍10万前後と一言で言うが、えらいことではないか。

一人、一日に玄米三合としたって、10万人分を用意しなければならないということだ。もちろん、自腹で乾飯(ほしいい)など携帯していたが、非常食であって足りるわけもない。一食300gとしても、10万人分というと、1日に90トンはくだらない。10日で900トンだ。一ヶ月で2700トン。

いったい、どうやって運んだのだろうか。であればこそ、小荷駄(こにだ)隊といったような、兵站を担う特殊部隊がいたわけだろうが、戦(いくさ)をするといっても、その準備たるや大変な労苦だ。

基本的には、農兵であった戦国時代、大名から招集のお声がかかると、みなこぞって駆けつけた。いいバイトだからだ。とくに、戦に強い武将の下には、目がらんらんとした農民が、我先に駆けつけた。

中には、子供まで連れて行った例が多々あったそうだ。大名のほうで、「頼むから、子供は連れてこないでくれ」とお布令をしょっちゅう出していたという記録がある。それでも「将来のための、良い経験です」ということで、農民に押し切られたり、黙認したりしたことも普通だとか。

なにしろ、戦で勝てば、やりたい放題なのだ。言わば「乱取り」である。まだ人身売買や奴隷制度が存在していた戦国時代、女子供を捕虜にして売り飛ばす(ちゃんと、人身売買の市が立っていたのだ)、食料はもちろん、金目のものを強奪する。そういった乱暴狼藉は、戦国時代当初、農民が兵士として募兵に応じるための必須要件だった。だから、大名のほうでも、大目に見ていたフシがある。

社会主義的な歴史観で、「戦国時代、農民はいやいやながら大名に駆り出された」、などというまことしやかなウソ話は、事実を歪曲している。食糧事情の悪い時代、次はいつ戦(いくさ)なんだ、と渇望していたのが実態だったといっていい。

もちろん戦といっても、ひたすら殺し合うのではなく、陣地設営など軍夫的な労役がほとんどであったし、また実際の合戦でもその死傷率の低さからいって、まかり間違えば死ぬという実感が、農兵にはわれわれが思うよりずっと希薄だったかもしれない。

その戦国時代の兵士たちは、だいたい先述の乾飯を携帯食として持っていった。今で言うところの、登山で使うアルファ米のようなものだ。お湯でとけば、雑炊になる。おかずはというと、万能だったのが焼き味噌だ。味噌は、カビが生えたりするので、焼いて味噌玉にして携帯した。

味噌汁にもなるし、かじっておかずにもできた。なにしろ塩分と栄養、ビタミンが豊富だ。贅沢な農兵の場合は、胡麻油や生姜を刷り込ませて練った、焼き味噌玉を持っていったそうだ。あとは、梅干と相場が決まっていた。

戦であるから、いつなんどき(夜中でも)勃発するやもしれない。が、基本的には朝、二食分を炊き、朝は暖かい食事ができた。昼は、残りを使った手弁当である(要するに握り飯だ)。夜は夜で、また炊いた。

ものの計算によるが、一日三合と書いたが、五合という説もある。(ある戦国大名の記録では、兵一人に対して米六合、塩は十人に一合、味噌は十人に二合という規定があったことが確認されている。)今より遥かに平均身長の低かった当時の日本人が、一日に五合食っただろうかとやや疑問だが、なにしろ戦という重労働だ。もしかしたら、五合なのかもしれない。

関ヶ原は極端に大規模な戦闘であったが、戦国時代中盤以降は万単位の動員というのはごく普通に登場した。仮に1万人だけだったとしても、一斉に1万人が飯を炊き出すのだ。その光景たるや壮観であったろう。というより、いったいどういう光景なのだろうか、わたしなどは想像ができないほどだ。

しかも、これは飯の話だ。食えば、当然、出るものがある。そちらも1万人分だ。とんでもないことだと思わないだろうか。現代人の正常な人の便の量というのは、150-200gだという。昔の人は、350gあったそうだ。ずっと多いではないか。食物繊維を取る量が圧倒的に多かったからだ。

戦国時代の兵士たちも、芋茎(ずいき)を乾燥させたものを、日常は縄に使いながら携帯していた。焼き味噌と同じくらい重要なものだった。いざとなると、これを味噌汁にしたり、食事ができないときには、かじったりしていたのだ。

その350gの1万人の便の量( 1日3.5トン、10日35トン)というものを、想像すること自体が無理だ。実に身の毛のよだつ、恐るべき光景だ。しかも、城や砦を包囲され、篭城戦にでも陥った日には、わたしなどはとても生きていられない。敵の総攻撃が始まる前に、とっくに砦の中で頓死していたことだろう。

ちなみに、旧帝国海軍では、海戦開始と同時に、「大便小便勝手放題」と決まっていたそうだ。それはそうだろう、戦闘が始まっているというのに、持ち場を離れるわけにいかない。その場で、用を足せというわけだ。知れば知るほど、今の時代で助かったとつくづく思う次第。


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松川行雄(ストラテジスト/小説家)

1958年生まれ、上智大卒、ブリヂストン入社。大和証券に転職。2社在任中、2度の香港駐在。93年、本社株式本部に戻り、優秀なアナリストたちから相場を学ぶ。99年退社まで、米国株の分析・判断で記録的実績を残す。証券、保険各社から講演会・セミナーを行う。また小説、エッセイなど多才!

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