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障がい者クラスは毎年「特別賞」だった

中学の時の合唱コンクールでは、どんな歌をどんな風に歌おうと、障がい者クラスは毎年必ず賞がもらえていた。

中学の合唱コンクールは、学年共通の課題曲とクラスごとに異なる自由曲を練習し、各クラスで1~3位の入賞を目指す。体育祭と並ぶ大きなイベントだったので、どのクラスも本気で取り組んでいた。放課後や朝の練習をして、絶対勝ちたい!と思っていた。

そして本番を迎え、最後に学年内の受賞クラスが3位から発表された。みな祈りながら発表を聞いている。3位、2位が発表されて他のクラスの歓声が聞こえる。残すは1位、、、すがるような気持で結果発表を聞いていたけど、1位は他のクラスだった。わたしのクラスは上位3位に受賞できなかった。

1位を発表し終えた後に、司会者が突然「最後に特別賞を発表します!」と話し始めた。特別賞??周りがざわめきだす。3位までには入れなかったクラスを表彰してくれるのだろうか。期待を込めて待っていると、司会者はあるクラスを発表した。そのクラスとは発達支援学級、つまり障がい者クラスだった。

障がい者クラスの生徒も合唱コンクールに出場している。ただ全員が歌えるよう、課題曲よりやさしい曲をみんなで歌う。公平に見たら決して賞を与えるレベルではない。ただハンデを持った彼らの努力をたたえるために、中学の教師たちが「特別賞」といった形で表彰したのだろう。

でも、本当に正しいのだろうか?障がいを持っているのを理由に、無条件で「特別賞」をあげるのは優しさなんだろうか。わたしはそう思わない。

特別扱いとやさしさは違う。特別扱いによって、一般の生徒と障がい者クラスとの距離はますます開いてしまう。実際3位までに入れなかったわたしたちが「特別賞」の放送を聞いた瞬間、「あ、障がい者クラスはわたしたちとは違うんだ」と感じた。障がいの有り無し関係なく合唱コンクールを楽しめるのが理想なのに。

本当のやさしさは、障がいのような人との違いがあったとしても、気にせず一緒に過ごせるようにするものだと思う。

24時間テレビが放送されている。障がいのある方の感動物語をここぞとばかり取り上げるんじゃなくて、「顔がでかいからや!」のように「障がいがあるからや!」みたいな感じで、いい意味で障害を1つの特徴として放送できるようになればいい。個人的には、特徴として扱われる方が本当のやさしさだと思うから!

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