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結婚は身を守る鎧ではなく、はばたくための土台であってほしい

結婚を表すことばには動きがない。「身を固める」「そろそろ落ち着く」がまさにそうだ。

この「身を固める」や「そろそろ落ち着く」といったことばに違和感があった。よくわからないけど、なんか違うよなぁと昔から思っていた。

今考えれば、あの時の違和感は「身を固める」と「そろそろ落ち着く」のおとなしさからきていたのかもしれない。「固める」や「落ち着く」は何だか物静かで、平凡だ。面白みもない。決してワクワクはしないことばで、幸せな結婚が表されちゃっていいのかな??と思っていたのだ。

人が身を固めると、できないことが増えるイメージがある。「家族のために××はやめよう」「子供ができたから落ち着こう」「もう無謀なことはやめて無難に働こう」とか、どんどん制約が増えていく。たしかに経済的・精神的に家族を守っていくためには、ある程度の制約や落ち着きは必要だ。生活の安定は幸せを作り出すから。

でも、結婚して家庭をもったのに、守りに入ってばかりではもったいなくないだろうか?無謀な挑戦をしても、愛する人が自分の近くで味方になってくれるのに。超しんどい出来事があって落ち込んだ時にも、励ましてくれる家庭があるというのに。せっかく空を飛ぶための翼が生えているのに、体を温めるためだけに使っているようなものだと感じている。

独身者の勝手な見解だけれども、結婚は身を守る鎧ではなく、自由を応援する土台だと思う。「結婚したから〇〇はできない」ではなく、「結婚したから〇〇をしたい」であってほしい。

もし起業がしたいと言ったり、仕事をやめてやりたいことを見つけとき、「死なない程度に頑張れ」って応援してくれる人と結婚したいし、そんな人でありたい。もし子供がいたとしても、そんな姿を見せられる大人でありたい。結婚が土台になればいつまでも自分らしく生きられて、心から楽しいと思える人生になるのではないだろうか。

いつか独身が終わって結婚して、子どもができて、人生のなかで既婚の時間が大半を占める頃、このnoteの内容に共感できているといいなと思う。

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