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わたし。幼少期編。

台風は大丈夫でしたか?わたしの住むところでは、いつ来たのかわからないくらいでした。籠ってたからかな?
大変な地域のかたには、お見舞い申し上げます。

今日からすこしずつ、じぶんがどんな人間なのかを整理の意味も含めて綴ってみようと思います。
先日綴った下記のnoteの、兄のように慕っているひとに、ようやく連絡を返すことができ、最近のことが伝えられました。
勝手ですよね、ちゃんと話せるときと、話せないときの波がすごすぎて、びっくりします。
兄のように慕うひとは、勝手なわたしの話を聞いてくれたうえに、じぶんがどんな人なのか書いてみたら?と言ってくれました。
いろんな助言を、すんなり聞けずにいる、いまのじぶんですが、じぶんのことをどんな奴なのか考えてみることは、いまとても必要なことだと感じたから、とりあえずやってみます。

とは言ったものの、何から?どうやって?
おいたちからやってみようかなぁ。

うまれた。姉がいて、弟がいる。祖母と祖父とも暮らしていた。
一番古い記憶は、幼稚園かなぁ。
幼稚園、制服がすごくかわいかったし、先生が優しかったから、とてもすきだった。
キリスト教の幼稚園だったから、毎朝毎晩おいのりもちゃんとやっていた。
初恋もした。かずまくん。でも、引っ越しで転園しちゃったから、しばらく文通とかしていた。いつの間にかしなくなっていた。
小学校は、6年間同じ男の子がすきだった。雄大くん。サブで、他の男の子のことが気になったこともあった。(サブって失礼ですよね)
4年生くらいまでは、たしか、楽しかった。お友達も、そこそこいたはず。幼稚園から一緒だった子も多かったから。

バスケ部と、水泳部と、音楽部お手伝い、などをやっていた。音楽部は、演奏会のときだけ、助っ人をした。エレクトーンをやっていたので、重宝された。

5、6年生の頃は、仲間外れとか、こどもの学校生活にありそうなことが起きたので、たしかあまり学校に行きたくない時期もあった。でも、雄大くんと一緒に学級委員とかやっていたので、楽しいこともあった。遠足の班とか一緒で嬉しかったなぁ。

幼稚園と小学校の前半は、母がまだ"ちゃんと"母親をしてくれていた。
おうちでお菓子を作ったり、パンを作ったりした。楽しかったから覚えている。お誕生日会もしてくれた。
母のごはんはおいしかった。残すと物凄く怒られた。
かわいいお洋服を着せてくれていたし、祖母がワンピースや、浴衣を拵えてくれていた。かわいくてお気に入りだった。
エレクトーンの発表会のときも、祖母がドレスを拵えてくれていた。

母はめちゃくちゃ厳しい人だった。
何か工作しているときに、ハサミでお洋服まで切っちゃったとき、めちゃくちゃ怒られたのを覚えている。
門限もめちゃくちゃ厳しかった。1分でも遅れると、締め出されて、パパが帰ってくるまで外に座っていた。
お箸がいつまでたってもちゃんと持てなかった。練習のために、紐でくくりつけられて、座らされて、練習させられた。お箸の持ち方は、22歳くらいまでなおらなかった。

勉強しなさい、とは言われた記憶がない。わたしは。
でも、姉は塾に通っていた。姉は優秀だった。

母が厳しかったから、パパはめちゃくちゃ優しくてだいすきだった。でも、母とパパはなんだかよくわからないけれど、仲が悪かった。というか、仲が良かったときのことが思い出せない。
喧嘩をしている二人の姿がこわくて、布団に潜り込んでいたら、母に引っ張り出されて、殴られたこともあった。完全に八つ当たりだったし、時代が時代なら、絶対に虐待だったはずら。

また別の日も、母とパパが喧嘩をした。お夕飯がなかったので、パパとお弁当やさんに行って、みんなのぶんを買って帰ったら、母が物凄く怒っていた。こんなもん食えるか、と、せっかく買いに行ったお弁当をぶちまけていた。わたしがパパを選んだことにも、たしか、怒っていた。すごくいやだったから、うろ覚え。

そして、小学校5、6年のときに、ついに、母とパパの終わりの日がきた。離婚。
パパが荷物をまとめていたので、なんで?って思って聞いてみたら、"ごめんなぁ、もう一緒に暮らせないんだ。出ていかなきゃいけない。"って言われた。たしか。わたしはすごく悲しくて、でも、とりあえず連絡先とか、聞かないと、って思って、当時りぼんの付録かなんかでギャルズ!のメモ帳みたいなのがあったから、そこにパパの携帯電話の番号をメモしてもらった。
その日に出て行ってしまったのか、別の日だったのかは、もう思い出せないのだけれど、本当に最悪の日だった。

でも、離婚してからしばらくは、毎週末、パパのところに遊びに行くことが許されていた。弟も一緒に行っていた。姉はもう中学生だったので、行かなかった。
パパに会えるのが、毎週の楽しみだった。
近所でお昼御飯を食べて、お買い物をしてカレーを作った。焦がしちゃったんだよなぁ、たしか。
お出掛けもたくさんした。夏の暑い日に、かき氷やさんに行ったことを、いますごく思い出した。
遊園地にも行った。コンビニのおにぎりを持って。
パターゴルフや、自転車借りれるところにも、毎週のように遊びに連れていってくれた。

いますごく、鼻の奥が、ツンとしている。泣きそう。

パパのことがだいすきだったから、こういうことがずっと続いて、おとなになっていくと思っていたのだけれど、そういうわけにはいかなかった。
いまの父親が家に出入りしていて、それが母の恋人だということには、まったく気が付いていなかった。
いまの父親は、そのときは父親じゃなかったけれど、母の恋人だったから、もうパパのところに行くな、と言われた。母のことが、更に嫌いになった。
パパに会えなくなることが、悲しかったのか、泣いたのか、は、もう思い出せない。

そして、姉が私立の学校へ通っていたので、わたしも受験をすることになった。
塾に通っていたわけでもないし、頭がよかったわけでもない。
なんとなく受けさせられて、受かってしまった。運が良かったのか、悪かったのか。

そして中学生になった。女子校。その頃、いまの父親が、一緒に暮らすようになっていた。入学式には、パパじゃなくて、母と、いまの父親が一緒に来ていた。

たぶん、小さいときのあれこれのおかげで、今も生きづらさを感じてしまっているのだと思う。
母のせい、みたいには言いたくないけれど、こういう想いをしなくていい人もいるのだから、"普通の家族"がよかった。

はい、中学生まで、ひとまず、おいたちを。
意外と思い出せることと、どうしても思い出せないことがありますね。苦しくなりました。泣きそうです。
次は、中学生、高校生編へ、進みたいと思います。

文章にするの、ちょっといいかもしれません。

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