ナツのおじいちゃん

 私のおじいちゃんは、一言でいうとお茶目な人物で、昔っからとにかく新しい物好きのイタズラ好きだったようだ。
 いわく、ビデオゲームが発売された時もいの一番に買ってくると、子供そっちのけで熱中していたとか。
 いわく、まだCDどころかフロッピーディスクすらない時代から、パソコン一式を買い込んでは本を片手にプログラミングをしていたとか。
 そういうエピソードには、事欠かない人物である。

『ん? これちゃんとうつっとるんか?』

 そして、そのおじいちゃんがいま、私の目の前にあるノートPCのディスプレイの中にいる。

『おーい、おかぁちゃん。これでええんか? ほんまに?』

 どうやらおじいちゃんは初めて触るのか、勝手がわからず画面の外にいるであろうおばあちゃんに確認しているようだった。

『ほうか。ほなまぁ』

 そして、どうやら問題ないとわかって安心したのか、ほっとした表情でこちらを向くと、まるでカメラ越しに私の目を見つめているみたいに真っ直ぐこちらを向いた。

『ナツ。元気にやっとるか?』
「うん。元気だよ」

 久しぶりに聞く、懐かしいおじいちゃんの声に、私は笑顔で答える。

『今は大学生か? もう働いとるんか?』
「もうっとっくに働いてるよ~」

 おじいちゃんだけじゃなく、田舎に帰るたびに親戚のおじさんおばさんも同じような質問をするなぁと不思議に思っていると、

『まぁ、元気にやっとるならどっちでもええわな』
「ええんかーい」

 見事な肩透かしを食らい、思わず関西弁で突っ込みながら、こらえ切れなくなって吹き出してしまった。

『えーと。何から話そうかのう。改まると、なかなか出てこんな』
「なになに?」

 おじいちゃんは頭を掻いたり、あごひげをショリショリしたりしてしばらく言い淀んでいたが、やがてフッと柔らかい表情になると静かに口を開く。

『ナツ。お前の名前はな。ワシがつけたんや』
「えっ。そうだったの?!」

 初耳だった。てっきり、お父さんあたりがつけたんだと思っていたのに。
 8月生まれで、『ナツ』。漢字じゃないのがまだカワイイから今では気に入ってるけど、子供の頃はずいぶんと周りにバカにされ、名付け親を恨んだものだった。

『ワシが一番好きな季節やさかいなー。それに、夏になったら、娘や孫に会える』
「……うん」

 ニシシとおじいちゃんは笑っているが、垣間見えた本音に胸がきゅうっとなる。
 父親の仕事の都で東京で暮らしている私たちがおじいちゃんと会えるのは、昔から夏休みや冬休みといったまとまった休みが取れるときだけだった。
 中でも、夏休みはおじいちゃんの家に1週間くらい泊まり込んで、縁側でスイカを食べて種の飛ばしっこをしたり、近くの雑木林にカブトやクワガタを取りに行ったりしていた。
 おかげで、虫にはすっかり耐性ができてしまった。

『あー、あとな。ワシ、ビール大好きやろ? いつか孫と一緒に、夏のクッソ暑い日に、キンキンに冷えたビールで乾杯したろおもててん』
「なによ……自分のことばっかじゃん」

 その時のことを想像したのか、嬉しそうなおじいちゃんの笑顔。
 その笑顔が、ふいに浮かんできた涙でにじむ。

『それまでは、ひとりで、一足先に』

 ディスプレイの中のおじいちゃんは、そういうとグラスを手に取り、空いた方の手でカメラを少し横に動かした。
 奥の方に、赤ちゃんを抱いた若い女性が見える。

『あのナツに、乾杯や』

 あれは、私だ。いまの私と同い年くらいの母に抱かれた、生まれたばかりの私。
 おじいちゃんはカメラに背を向けて何やら語り掛けているようだったが、当の私はすやすやと気持ちよさそうに眠っている。やがて諦めたのかカメラに向き直り、手にしたグラスを煽った。
 その中身は、ビールではなく麦茶だった。大きくなってから聞いた話では、この頃にはすでにお医者様からお酒を止められていたらしい。

『やっぱ、これやと気分が出んのう』

 つまらなさそうに言うおじいちゃんの背中に、母が怒ったように声をかける。

『わーっとる、わーっとる! ナツがビール飲める年になるまでは、ワシも長生きせんといかんでな』
「おじいちゃん……っ」

 私はもう、溢れる涙を我慢できずにいた。
 おじいちゃんの7回忌にあわせて、久しぶりの帰省をはたしたその夜。まだ片付いていなかった物置を整理していると、おじいちゃんが使っていたビデオカメラなどと一緒に、『ナツへ』と書かれた小さな箱が出てきた。中には、USBメモリがひとつ。
 それを、たまった仕事を片付けようと持ってきていたノートPCに差し込んでみると、今度は動画ファイルがひとつだけ入っている。
 ファイルを再生してみると、それはおじいちゃんから私に宛てた、ビデオレターだった。

『しかし、こういうのんはやめ際がわからんな……まぁええか。これでしまいや!』

 急にテレ臭くなったのか、お酒を飲んでもないのに顔を赤くしたおじいちゃんがカメラに向かって手を伸ばす。
 と、途中で動きを止めると、眉尻をへにゃっと下げた顔でカメラに向かって小さく手を振った。
 それは、私もよく覚えているおじいちゃんの表情。夏の終わりに、おじいちゃんの家から東京へと変える私を見送るときの、おじいちゃんの寂しそうな笑顔だった。

『ほな、またな』

 そして、伸びたおじいちゃんの手の陰で暗くなった画面がプツリと消える。

「……っあー、ヤバ! 明日また新幹線に乗らなきゃいけないのにぃ……」

 この後きっと腫れるであろう瞼を気にしながら涙をふくと、私はすっかり汗をかいているグラスを手に取った。
 そして、部屋の隅に飾られた写真に向かって、小さくグラスを掲げる。

「ただいま、おじいちゃん。ようやく乾杯できるね」

 少し気の抜けたビールが、なんだかとても美味しく感じた。

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