【一生目】死ぬまでは生きる。

画像1 大学で撮った写真。なぜか柱と柱の真ん中にあった椅子に、侘び寂び、落合陽一感があった。そこにコモディティ化したアプリの技術を借りて表現。誰でも技術は使えるようになり、技術自体に価値はなくなっても、その表現する、アートのシンボリックの部分には価値がある。BOBOS的な生き方をするにはどうすればいいか。読書の合間に見た景色。
画像2 ベッドの廃材を捨てずに置いておき、暇になったときに、思いのままに絵の具をぶちまけたもの。それではジャクソンポロックのパクりだ。そこで、新たにできることを考え、描いた絵を作品とせず、その写真を撮り、さらに加工したものを作品とした。僕にはこんな絵も写真も撮れないが、こんな作品は生み出せる。新しい表現。しかしそれはなかなか届かない。
画像3 信号を待っていると、あまりにも長かったので、見渡すと、こいつがいた。ボタンをおしてからも長い。そこで、費やした"待ち"を何かプラスにしようと探していた。そこで、こいつを撮ったら面白そうだと思い、撮ってみた。ノイズの感じや、無機質な"おまちください"が味を出す。一見無駄に思える時間も、新たな創作として、生み出せるチャンスになりうる。大抵愚かなのは、周りでも環境でもなく、自分自身だから。
画像4 こういうコンテンツを売るには、自分にブランド的な価値が必要。じゃないとなかなか買ってもらえない。 【プロフ・壁紙・背景に使える写真集(コンテクスト付き)】|yutaka_yutaka|note(ノート)https://note.mu/yutaka_yutaka/m/mcb5f72305cb2

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