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三角縁神獣鏡は、「卑弥呼」の鏡ではない!

今でも三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)を、魏の国より賜った鏡(中国製)であると主張する専門家が存在する。
その理屈は、文様が中国鏡に限りなく似ていて、当時の日本では作製できないと言われる。


三角縁三神二獣鏡 兵庫県神戸市ヘボソ塚古墳出土、東京国立博物館蔵

果たしてそうなのか?

確か、魏の国から卑弥呼に贈られた鏡の数は100枚であったはず、ところが現時点の出土数は、500面を超えている。
今後の発掘次第では、1000枚を超えるのではないか。
しかも、三角縁神獣鏡が出土する墳墓は、古墳時代のものが多く、卑弥呼の時代とは明らかに異なる。(卑弥呼:西暦170年頃~248年頃)

日本以外での出土例はない。  中国大陸からは、1枚も出土していない!

鏡出土で有名な「黒塚古墳」(130m級の前方後円墳:奈良県天理市)からは、三角縁神獣鏡が33面と、画文帯神獣鏡1面が見つかっている。
(三世紀後半頃と推定されている)

黒塚古墳

黒塚古墳(くろづかこふん)、奈良県天理市柳本町にある前方後円墳。
全長約130メートルの前方後円墳、後円部径約72メートル高さ約11メートル前方部長さ約48メートル高さや6メートル、後円部3段、前方部2段で、前方部と後円部の落差が大きい。(3世紀後半頃の築造)

棺の周りに33面の三角縁神獣鏡が置かれていて、1面しかない画文帯神獣鏡は、棺内の被葬者の頭部辺りに大切に置かれていた。
33面の三角縁神獣鏡は、棺の外に置かれていた。(棺を囲むように)

天理市立黒塚古墳展示館には、竪穴式石室を再現し鏡類もレプリカ展示がされていて、発掘時の様子がうかがえる。


黒塚古墳石室のレプリカ


画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう )


*被葬者にとって、棺の周りに置かれている鏡と棺の内部で頭の上に置かれた一枚の銅鏡では、どちらが大事なものだろうか?
三角縁神獣鏡は、各地の古墳から出土する。
これは、葬送用の儀式的鏡ではなかったのか。
権力者を葬るにあたり、その人の力を誇示するような。

椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん):3世紀中葉頃築造
京都府木津川市山城町にある前方後円墳。

墳丘は全長約175メートル、後円部は直径約110メートル・高さ20メートル。
黒塚古墳より少し大きめの前方後円墳。
前方後円墳の築造を許される被葬者は、大和王権に認められたこの土地の主で地方豪族の大王か、または大和王権より派遣されこの地を治めた長なのか?
1953年(昭和28年)、国鉄奈良線の拡幅工事の際に竪穴式石室が偶然発見され、当時最多の三角縁神獣鏡32面が出土した。
それ以外には三角縁神獣鏡より少し古い内行花文鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面が出土し、総計36面以上の鏡と武具が出土した。
(盗掘されており、銅鏡の破片も出土しており36面以上となる)

副商品は、他にも武具や武器、鉄鏃などは200点以上見つかっている。

多く出土するから価値が低いとは言わないが、前方後円墳を造ることが許される大王にとっては、数が少ない方が貴重なものではないだろうか?
しかも、三角縁神獣鏡は中国大陸で一枚も出ていない。
これは、文様がいかに中華的であっても、国内で製造されたもので「仿製鏡」(ぼうせいきょう)ではないのか。

*(仿製鏡=中国の古代銅鏡を模して造った日本製の銅鏡)


椿井大塚山古墳


邪馬台国論争でもそうだが、最近の専門家と言われる先生方は、自説への勝手な解釈が横行し過ぎだと感じる。
放射性炭素(C14)などの測定法でも、較正曲線などの問題があり、ピンポイントで年代を測定するにはいたらない。

邪馬台国はあったのか? 卑弥呼は本当に居たのか?
などの問題もあるが、日本の考古学はあまりにもミスリードが多すぎると思う。
魏志倭人伝  ⇓      〈ウガンセンピトウイデンワジンジョウ〉
(中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)
を素直に読むと、邪馬台国と呼ばれた国があるとしたら、それは九州以外に考えられない。

私は考古調査士で在野の研究者であるが、これからも自分で確かめ、確かな記録を残すためにも発信を続けます!('◇')ゞ



参考:Wikipedia

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