見出し画像

理想の学童保育を求めて、細部を書く

 学校に頼まれて、時々学校に相談に出かけます。それが放課後なら、気になるので学童保育の様子を見に行きます。
 学童の部屋では、子どもたちがおもちゃで遊んでいるだけです。運動場では、することもなく枝を拾ってぶらぶらしています。遊んでいても、せいぜいドッチボールです。先生たちは、ケガをしないように、トラブルがないように、見張っているだけです。
 学童保育が、子どもを育てる場ではなく、子どもを預かる場になっていることに、寂しさを覚えます。

 私は1990年から1998年まで、9年間学童保育の指導員をしていました。支援学級(当時の養護学級 特殊学級のこと)の子どもたちや支援学校の子どもたちが入所していました。
 当時の私は
  「放課後の自由な時間は、学校ではできない子育てができる場だ。」
  「子どもたちに、どんな成長(発達)の栄養を与えてあげようか。」
  「指導要領等に縛られないので、どんな取り組みもできるぞ。」
とワクワクしていました。そして、楽しいことは何でもでもしてきました。

 その時の学童保育の運営が、理想かどうかは分かりません。しかし、どう見ても、私の学童保育の方が現在の学童保育より、進んでいたように感じます。30年も前なのにです。

 私の自治体は、公設公営で学童保育を運営していました。当時は、文部省の補助金の名前を取って「留守家庭児童会」と呼ばれていました。時代は、学童保育が必要とされる時代に向かっていました。だから、公設公営が珍しいということで、全国からから私の自治体に見学に来られてました。
 その多くは、私の学童を見学して帰られました。これも、私の学童が進んでいたことの傍証です。

画像1

 「理想の学童保育とは」という理論的なものを書きたいのですが、かなり多義に渡っていて複雑になります。どこのどの部分を語っているのか、分かりにくいのです。だから、「理想の学童」を求めて、1997年の文集《おはなしきいて》を元に、1997年の私の学童保育を再現してみようと思います。 
 
 それに、遊びの紹介や【解説】をできるだけ加えてみます。それを読み通すことで「理想の学童」が、見えて来るはずです。なぜなら、「本質は細部に宿る」からです。

  注)出てくる人名や学校名は、架空のものです。つまり、限りなく事実
    に近く書いていますが、全部フィクションです。
    

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

業界あるある

本好きです。本を買います。余暇のための本ではなく、勉強のための本を買います。よろしくお願いします。