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死んでいたところから生かされた経緯

こんばんは.
神戸大学で学生をしています.

久しぶりに投稿します.
今日は,「死んだような人生を送っていたところから,生かされた」ことを証しようと思います.
今週はやはり私を救ってくださった方を証してこそ,天も喜ばれると思うからです.

私は大学生活を休学期間を含めると七年間過ごしていましたが,最初の五年間は,本当に死んだような生活を送っていました.
「死んだような生活」とはなんでしょうか.
それは,生きる目的がわからず,死んでいたような生活を送っていたことでした.

一見,満喫した大学生活を送っているように周りからは見えていたかもしれません.
名門大学に入れたわけだし,世間では人生の夏休みと言われるキャンパスライフを過ごすわけですから.
しかし,実際のところ,私の心はどうだったかというと,本当に渇きを覚えていました.
食べるものはある,学ぶ環境は整っている,自分が動き出せばさまざまなことに挑戦する機会がある,何より若い.
しかし,しかし,そんなことよりももっと解決したい問題,それは人生の問題でした.

「これまで努力して,頑張ってきて,周囲から認められる大学に入れたけれど,でも私の人生は一体なんなんだ.私の人生にいったいなんの意味があるんだ.努力して成果を得た先に待っていたのは,本当に自分の人生に意味のあるものかよくわからないものだった.高学歴だからといって,本当に幸せなのか.むしろ,学歴という評価基準でしか,自分の価値を認められないことはあまりにも苦しくないか.自分の人生の価値はどこにあるんだ.本来,人間とは学歴のようなもので価値が決まっていいはずがない.自分の本当の価値に気づきたい.人生の本当の意味を見つけ出したい.今のままの自分では本当の意味で幸せになることはできない...」

そんなことを思って,大学生活の最初の五年間を過ごしていました.
1人で考えても,何も結論が出ず,本を読んでも,根本となる答えを与えてくれる人はおらず,人生が何もわからなくなりました.
友達に聞いてみても教えてくれるわけはないし,みんなそういうものをあまり考えていないか,あるいはわからないものとして特に問題視していないようにも思えました.

また,宗教に対して,抵抗感もあったため,そういうものにも手を伸ばすことはありませんでした.目に見えないものに対して,懐疑的な立場を取り,胡散臭いと思っていました.

人生の目的を見つけるために,「自分の人生でやり遂げなければならないこと」を探すようになりました.
いわゆる,世の中の成功者と呼ばれる人たちのように,「私はなになにのために生きている」「なになにを成すために生きている」
そのような答えを欲するようになりました.
そのために,色々なことに挑戦してみました.
学生支援サークルに打ち込み,学生の成長をサポートしてみたりしました.
人の役に立てたことを実感できたとき,喜びを感じました.
しかし,また,自分の力の限界も感じましたし,思うように変化できない自分にもひどく落胆するようになりました.
「これほどもがいて頑張ってきたのに,実力が伴わず,結果が伴わないのか...」
理想と現実とのギャップに耐えられず,その活動は一年で終えるようになりました.
また,根本の「人生の目的」となる答えをその活動に見出すことも到底できませんでした.
当初は,「人のために生きてこそ,人生が充実する」と思っていました.
しかし,それを成すために,へなければならない変化・成長が苦しく,過程を楽しむことができなかったし,挫折してしまいました.
また,実際,人の役に立てた時も,「本当にこれが自分の人生の目的なのか?」と悩むようにもなりました.
「人生の目的は,言ってしまえば,こんな小さいことなのか.自分が生まれてきた意味は,人の役に立ち,喜びを感じることなのか.本当にそうなのか...」
と思いました.なぜなら,人生の目的と掲げている割には,やっていることや得られている喜びが小さいものに思えたからです.

結局,その活動もやめるようになり,大学三年生となりました.
そこからさらに迷走を続けました.
京都に一人旅に行ってみたり,愛を求めるようになったり,ボランティアに参加してみたり...
答えとなるものを見つけるため,調べて人生を充実させてくれそうなことにさまざまに取り組みました.
でも,どれも結局は「虚しい」ものでした.
旅も,楽しいけれど,終わってしまったら,自分に残るものはさして何もないように思えました.
ボランティアも,いいことはしているけれど,「労苦して,災害復興をして,人生の問題が解決されるのか」と思いました.
恋愛もした相手もいました.結婚することについても考えてみました.しかし,結婚したからと言って,自分の人生の問題が解決されるわけでもありませんでした.そう思うと,この恋愛にも限界があることを悟りました.
ただの現実を楽しむための一時的な愛の営みにしか思えませんでした.

大学四年生になって,ビジネススクールに通いました.
スクールの人に会ってみて,その人格とも思える姿に心を動かされ,「ここなら自分の求めていた答えが見つかるかもしれない.自分のやるべきことを見つけ出し,自信を持って活躍して,人生を有意義に生きることができるかもしれない.」そう思って,入ってみました.
勉強会活動のようなものも中心になって取り行なって,学生たちと一緒に将来に役立ちそうな勉強をしました.
続けて勉強会を行うことは可能でした.しかし,根本のモチベーションが解決されませんでした.
どうして,なんのために自分はこれをしているのか.いつも頭によぎるのは,人生の根本の目的でした.確かに役立つ勉強はしている.それはいい.でも,これが自分の人生の目的と結びついているのか.いったい私は何をしたいんだ.これを通して自分の人生にいったいどんな意味があるんだ.
いつもそうでした.いつも根本の理由を欲していました...

結局,そこの疑問を払拭することも,また,放っておくこともできず,徐々にモチベーションが下がっていきました.
次第に活動もしなくなっていっていきました.

気づけば,大学院生となり,でもそれも結局,社会人になる前に,「早く人生の目的を見つけて,それのために生きたい..」その答えを探すための期間として,大学院に進みました.休学を選択しなかったのは,世間体を気にしてのことでした.

そんな気持ちで大学院に行ったので,当然研究にも心から取り組むこともできず,次第に研究も少ししかしないようになり,就活に打ち込み,人生の目的を探すようになりました.

でも就活をしても,やはり人生の根本の目的を知ることはできませんでした.
自己分析もたくさんしたけれど,でも結局,人生の答えはなかった.

そうして気づけば大学院生の二年生になり,就活シーズンになりました.
しかし,ずっと,そういう疑問を抱えたまま,就活に対しても,心から納得して取り組むことができておらず,自分なりのやり方に拘ってやってしまったこともあり,全く企業から内定を取ることができませんでした.

そうして,本当に「もうだめだ.人生があまりにも苦しい.就活もうまくいかないし,ダメん自分を変えられる自信もない.逃げたい...」と本当に思うようになりました.
当時の自分を振り返ると,精神的にもかなり憔悴しきっていて,ひどい状態だったと思います.

でも,そこで踏み出したアクションが私の人生を変えるようになりました.
兄に連絡して,兄から聖書を学ばせてほしいとお願いするようになりました.
どうしてか.実は一年生の頃に聖書について学んでいたときがあったけれど,当時は宗教に対する抵抗感と,自分のプライドもあって,学ぶことを諦めてしまったからです.
しかし,時になり,もう一度聖書を学ぶようになりました.
それは,目の前に降りかかる問題がもう自分ではどうしようも解決できなくなってしまった,ただひたすら助けを求めるような心情でした.
なんでもいいから,今の自分の状態を解決してくれるものを欲していました.
自分のプライドもクソもへったくれもない.自分はもうダメだ.宗教にでも手を出して,諦めて宗教に頭を下げて,人生を任せよう...
そんな感情だったかなと思います.

でも,このアクションが人生を変えてしまいました.
当時は人生最大の苦しい決断でしたが,しかし振り返ってみると,人生最大に価値のある決断だったと言えるかもしれません.
なぜなら,私は結局,聖書の中に,自分の人生の目的を見つけ出したし,根本の問題が解かれるようになったのですから.

結局,聖書の内容を学び,神様を信じて,愛して生きていくことで,人生の全ての問題から抜け出せるようになったのです.
十年,二十年経ったとしても,決して知ることのできない,自分の人生の意味についてわかるようになったし,人生を本当の意味で価値のあるように生きられることができるようになったのです.
それは本当に奇跡でした.
私は人生を半ば諦めていましたから.
虚しい人生にほとんど絶望し,希望を見出せなかった自分に,明確な人生の目的と希望を信じさせてくれた・確信させてくれたのが聖書だったし,それを教えてくれた方がいたからでした.

まさに,「死んでいたような生活」から「生き返る奇跡」が起きました.
人生に対して絶望し,心も死んで生きていた私が,聖書を知っていくことで,人生の希望を見つけ出し,心が生き返るようになったのですから.

これは奇跡です.
私ははっきり証します.
人間は神様を信じて,愛して生きないと,人生が虚しいです.
私たちは,生きている目的を必ず見つけ出さなければなりません.
生きているのに,生きている目的がわからないなんて,あんまりじゃないですか.
その目的も,経験則じゃなくて,はっきりとした答えを知るべきじゃないですか.
あなたが人生の本当の答えを知って,本当に貴重な人生,本当に愛された人生を,真に悟って生きることを心から願います.

導いてくださった神様と主に心から感謝します.

いつもありがとうございます^^