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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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不定期で歴史に関する小話を配信しています。スマホからでもパソコンからでもお気軽にお読み頂けます。過去分も是非ご覧ください。
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#戦国時代

#0222【徳川家康の恋愛モットー(家康の妻・愛妾たち)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は戦国の女性特集ですが、最後は徳川家康が愛した女性たちを紹介します。 徳川家康は、75年の生涯において正妻を2人、側室を20人弱、抱えました。 子どもは男子だけでも7人の女性との間に11人生まれました。有名どころを挙げます。 長男、松平信康(織田信長の娘と結婚、切腹死) 三男、徳川秀忠(二代将軍) 十一男、徳川頼房(水戸徳川家の祖、水戸黄門のお父さん) 家康は、女性の出自にこだわらず、後家好みだったと言われています。戦

#0221【三者三様、怒涛波乱の人生(浅井三姉妹)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は戦国の女性特集です。 浅井三姉妹ときいて、ぱっとイメージが湧く方はどれだけいるでしょうか。 浅井長政という滋賀県北部を領していた武将と、織田信長の妹お市の方の間に生まれたのが、浅井三姉妹です。 父が信長に逆らい、生まれ育った小谷城が落城し実父は切腹して果てました。信長の姪である浅井三姉妹は母お市の方と一緒に信長の庇護下に入ります。 本能寺の変が起きると、それまで再婚を拒否していた母は、信長の重臣である柴田勝家と再婚

#0220【戦国女性の意地(高台院(おね)と芳春院(お松))】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は戦国時代の女性特集です。 一回目は、豊臣秀吉の正妻、高台院(おね)と前田利家の正妻、芳春院(お松)を取り上げます。 この二組の夫婦は、織田信長の配下にいたときからの付き合いです。同僚だった秀吉と利家だけでなく、妻同士も非常に仲が良かったと伝わっています。 前田利家は武闘派として、豊臣秀吉は知略派として、織田信長政権において出世をしていきます。やがて秀吉は中国地方の方面軍司令官となり、利家は北陸地方の方面軍司令官補佐と

#0159【歴史を学び、戦国を終わらす(徳川家康②、天下人)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、日本の戦国の三英傑を再度取り上げていますが、最後は徳川家康です。 <2017年に取り上げた際の小話> #0009【徳川家康】https://goo.gl/fRGw5B 前回は家康の人生を駆け足で紹介した内容になりました。今回は彼の人となりに注目したいと思います。 筆者は、徳川家康の行動には「再現性」があると考えており、人生の手本としています。 他の三英傑、信長と秀吉は天才型です。誰かから学んだというよりも自ら実戦

#0158【人の心が見えたのは(豊臣秀吉②、天下人)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、日本の戦国の三英傑を再度取り上げていますが、今回は豊臣秀吉です。 <2017年に取り上げた際の小話> #0008【豊臣秀吉】https://goo.gl/ynsFPC 昨年取り上げた際には、信長が死んだ後の秀吉の天下人(権力者)としての人生を中心にしました。 今回は彼の前半生を見てみたいと思います。 実は秀吉の前半生、特に信長に仕える前のことはよく分かっていません。色々な伝説が付け加わってしまっているためです。

#0157【異端児をどう評価するのか(織田信長②、天下人)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、日本の戦国の三英傑を再度取り上げたいと思います。 一年前に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を一度ご紹介していますが、一年ぶりに再度違った側面から紹介します。 <2017年に取り上げた際の小話> #0007【織田信長】https://goo.gl/KfhbrH 前回の日本の暴君でも少し触れましたが、織田信長は自分に歯向かう勢力に対して容赦なく接しました。 比叡山を焼き討ちした際には非戦闘員を含めて殺戮しており、長島一向

#0087【上杉謙信(日本、16世紀中盤)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週最後は越後(新潟県)の龍と呼ばれる上杉謙信を取り上げます。 上杉謙信は武田信玄のライバルとして有名であり、戦国最強の一人です。信玄は三方が原の戦いで徳川家康を撃破したのち、病死してしまいました。織田信長とは直接対決をしていません。 一方、謙信は信長軍と手取川の戦いで激突し圧勝しました。また謙信は、信玄と違って戦での手酷い敗北がありませんでした。 しかし、彼は義に厚すぎるがゆえに自縄自縛に陥ってしまうことがありました。 戦

#0086【武田信玄(日本、16世紀中盤)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今日は、武田信玄です。武田信玄といえばライバル上杉謙信とともに「戦国最強」の一人に数えられる武将です。 実際、信長が激賞した徳川家康が率いる三河兵(愛知県東部)を三方が原の戦いで粉砕します。 尾籠な話ですが、この戦いに敗北して逃げ帰る途中で家康は恐怖のあまり脱糞します。 これは、信玄の巧みな誘導に若い家康がハマってしまって大敗を喫したものでしたが、この失敗を忘れないために逃げ帰った家康はすぐさま絵師に自分の肖像画を描かせまし

#0085【斎藤道三(日本、16世紀前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 戦国時代のメジャーどころを今週は紹介したいと思います。 最初は、織田信長のお舅さんとしても有名な「美濃のマムシ」斎藤道三です。 斎藤道三は、司馬遼太郎の傑作小説「国盗り物語」の主人公であり、一代で油売りの商人から美濃(岐阜県南部)の大名へと成り上がった下剋上のシンボルとして描かれています。 しかし、近年の研究により油売りの商人だったのは道三の父親であり、父が作った足がかりをベースに道三が美濃の大名へとなったと考えられていま

#0010【早雲がビジネスパーソンに処世術を指南したら(北条早雲)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は歴史上の人物から処世術を学びたいと思います。 今日は、戦国大名1号とも言われる北条早雲から学びます。処世術に入る前に早雲の人となりですが、この人そもそも本名がはっきりしていません。 「北条(ほうじょう)」という名字は、早雲の息子が使い始めます。そして、下の名前に直接触れることは失礼にあたったため、彼の名前が明記された同時代の資料が残っていません。 現代でも、会社の上司を下の名前で呼びかけることは、ほと