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読書感想 『世界は五反田から始まった』  「主観と客観と歴史」

 タイトルを知って、なんとなく敬遠をしてしまっていた。

 それは、昔、こうした大きな言葉を掲げてから、内容は軽くする、というような手法が多くとられていたからで、それで、「面白さ」を生じさせるような文章を読めたのは、もしかしたら、バブルという好景気の頃までだったのかもしれない。

 そんなような個人的で勝手な感想が、かなり愚かな思い込みだったことは、この作品を読み始めて、すぐに気がついた。適度な柔らかさもあったのだけど、自分の主観をつづることで、それは、誰もが思い当たるようなことも散りばめられているから、その書いている世界に入りやすくする、という手法を感じた。

 そして、その内容は、どんな個人的なことでも、当たり前だけど、歴史につながっているということを、きちんと伝えてくれていた。ただ、それはどれだけ、その語る人がきちんと見ているか、聞いているか、考えているかに関わることも教えてくれたような気がする。


『世界は五反田から始まった』 星野博美

 私がこの作品を読むときに、多少、有利(と言えるかどうか)と感じたのは、自分が大田区の住民ということだった。私にとっては、蒲田がもっとも近い繁華街でもあるが、著者の故郷の戸越銀座、という地名を聞いて、それほど頻繁に行ったわけでもないけれど、そのイメージと、周囲の地域から、どのような土地であるかの感覚はつかみやすい。

 もちろん、その故郷に関する感覚が、個人的なものに過ぎないとしても、そのことを主観的に過ぎない、と切り捨てず、伝わるように書いていけば、その主観が、ただ遠くから眺めたような、よそよそしい印象になりがちな客観ではなく、もっと生き生きとした歴史になる作業を、著者は、ずっと続けているように感じた。

 例えば、東京の限られた地域に話になってしまうけれど、目黒から先に地下鉄が伸びて、「白金台」や、「白金高輪」の駅ができたのは、もう20年以上前の2000年のことになる。その駅名に関しての違和感を表明できるのは、著者自身が、体感を持って語れる地域の話だから、だと思う。

 「白金台」は、まだいい。しかし「白金高輪」は本来の高輪地域の末端に位置し、旧華族の屋敷が多かった高輪のイメージに寄生した、正直言って地名ロンダリングである。立地からしたら、「白金三光町」と名付けるのが筋ではないか。しかし白金に三光町を付けると、いきなり仕舞屋の香りが強くなることから、強硬に反対する住民が続出したのだろう、と容易に想像がついた。    
 さらに私を苛立たせたのは、上記の地下鉄二本と乗り入れすることになった東急目蒲線(従来は目黒と蒲田を結んでいた)が、蒲田を切り捨てて武蔵小杉を選び、二線に分離して目黒線・多摩川線と名称変更したことだった。

(『世界は五反田から始まった』より)

 こうした違和感の表明は、駅名によって、かえって忘れられるような地域の実感をかろうじて残す、という重要な意味を持つのではないかと、思えてくる。

 それは、この作品を読み進めると、自分の土地との記憶や、体感みたいなものをいかに手放さないことで、歴史が自分と関係あるように把握できることを証明してくれるように、感じるからだと思う。

「大五反田」という、突飛で奇をてらったようにも思える設定は、戸越銀座生まれの著者が、でも、故郷を問われた時の感覚としては、祖父の代から続く工場がある土地でもある「五反田」と答えたくなる感覚から発想している、というウソのない体感からスタートしているようだ。

 だから、著者の語る「歴史」が説得力を持つのだと思う。

(ちなみに、多摩川線沿線住民としては、以前は、田園調布でも、多摩川でも乗り換えられた目蒲線が、目黒線と多摩川線に分かれてから、多摩川線は、多摩川駅でだけの乗り換えになったことで、田園調布は蒲田を切り離した、という印象になっている→こうしたことをつい考えてしまうような刺激を与えてくれる作品でもあった)。

「五反田」の歴史

 東京・五反田は、不思議な場所だという感覚は、そこを少しでも知っている人間であれば、感じているのではないだろうか。

 駅周辺は、かなり有名な歓楽街でありながら、新宿や渋谷などとよりも、もう少し庶民的というか、独特のニュアンスで語られながら、そこから坂を上がっていくと、明らかに高級住宅街になっていき、さらには清泉女子大もある。

 ただ、例えば駅の出口が違うだけで、かなり街の雰囲気が違うことも少なくないのは、どの場所であっっても一種の常識なのかもしれないが、この作品の具体性は、そのイメージを明確にしてくれるし、例えば、自分にとっては少しなじみのある五反田のNTT病院は、その境目の微妙とも言える場所にあることも初めて知った。

 「大五反田」を、自分の生まれ育った街として体感で把握している著者が、戦前から戦後にかけて、五反田で働き、暮らし、工場を創業した祖父の手記を元にしつつ、自分とつながりのある事実としての歴史を調べていく。

 ただ、その手記は30年前に書かれたものであるが、著者にとっても、おそらくこの作品を書こうとしたときが、その祖父のたどって来た時代を、改めて調べて、それこそ実感していくためのタイミングだったのかもしれない。

 そして、その歴史をたどっていく過程は、それこそ地に足がついたように感じるし、その工場で戦前につくられていたものが、わかりやすくはないが、結局のところ、軍需産業といっていいものではないか、といった推察にまでたどり着く。

 だからこそ、そうしたことが、戦前だけでなく、戦後まで、当然ながらコロナ禍の現在にまで、わかりにくくも、つながっている可能性に気づけるのだろう。

 前線で闘う医師や看護師のために取る行為なら、心理的なハードルは低くなる。第一、時代と状況によって軍需産業の範囲もめまぐるしく変わる。
 別に医療用ガウンの製造に反対しているわけではないのだ。ただ、歴史は違う形でやってくる、ということは覚えておきたいと思う。 

(『世界は五反田から始まった』より)

 そして、それは言葉として見えることもあるが、気がつかなければ、わからない。

「不要不急」!
 このコロナ禍でしきりに言われた言葉ではないか。この言葉は、緊急事態、非常事態になると登場する決まり文句のようだ。

(『世界は五反田から始まった』より)

 その「不要不急」は、戦前にも繰り返し言われていたようだ。

「不要不急」から「非国民」まで、そんなに距離はない。 

(『世界は五反田から始まった』より)

 歴史は繰り返されるかもしれないけれど、当然、同じ形ではないということなのだろう。

空襲の犠牲者

 現在、羽田空港への飛行ルートが、東京オリンピックを機に変更になり、それ以降、それこそ五反田近辺でも、以前よりも発着の航空機が低く飛んでいるので、その姿が大きく見えることが増えたはずだ。

戦時中の人々にとって、飛んでいる飛行機を生まれて初めて間近に見たのは、空襲だったかもしれない。

(『世界は五反田から始まった』より)

 そうした、言われてみたら改めて気がつくような、少し気持ちが緊張するような視点から、これまで記録されていたはずなのに、個人的には、全く知らない戦争中の事実についても、著者の指摘によって初めて知った。

 それは、1945年、終戦の年、3月10日の東京大空襲で10万人を超えると言われる犠牲者が出て、その後、5月24日に城南空襲があり、五反田は焼け野原になったという事実に関してだった。

 五月二四日に起きた城南空襲では、単位面積あたりで三月十日の大空襲の二倍にあたる焼夷弾が投下されたにもかかわらず、品川区と荏原区を合わせた死者は二五二名だった。
 十万人以上といわれる犠牲者を出した三月十日に比べ、なぜこれだけ死者数に差が出たのか?『東京大空襲・戦災誌』第二巻や『東京を爆撃せよ』をもとに、五月二四日を追体験してみたい。 

(『世界は五反田から始まった』より)

 その記録を読み返すと、著者にとっても、意外な事実が明らかになる。

 三月十日の大空襲が夥しい犠牲者を出したことに愕然とし、消化意欲を喪失して、逃げることを優先した?
 そんな当たり前の理由で、多くの人が死なずに済んだということ?
 衝撃を受けている。


 三月十日に比べ、五月二四日の犠牲者が少なく済んだ理由は、消化を諦めて逃げるという、本能として当たり前のことをして助かった人が多かったということだった。逃げたことで助かった、という証言が続く。 

(『世界は五反田から始まった』より)

 現代になってみれば、忘れがちなことなのだけど、当時は、焼夷弾で家が火災になった際、逃げるよりも消化活動を優先させなければ、犯罪行為にあたるような法律があった。そういう法律をつくるような国だった。だから、東京大空襲の際は、火を消そうとして、犠牲になった人が多かった、ということになる。

 消化せずに逃げることは、後ろ指をささえるのみならず、違法行為でもあった。しかし三月十日の衝撃により、罪に問われる恐怖より、むざむざ殺される恐怖のほうを人々は優先させたのだった。  

(『世界は五反田から始まった』より)

個人と歴史

 こうした歴史的な事実を知ると、そんな法律があった国だった、ということに、恐怖さえ覚えるし、そのことは、現在の、やたらと「自己責任」ばかりをいわれる社会のあり方と、かなり重なる部分も感じ、いろいろな出来事と、今の自分も無関係でいられないことも分かってくる。

 ウクライナの人々の恐怖と憤怒は、かつて私たちの国がアジアの人々に強いたものだ。ロシアの人々がいま、世界から向けられている視線が、かつては自分たちに向けられていたことを、私は忘れないでおきたい。
 それが、心を痛めつつも、ある種の熱狂から距離を置く方法だと思っている。

(『世界は五反田から始まった』より)

 自らの故郷から、気持ち的には足を離すことなしに、五反田から満州や、戦争にもつながる歴史を、自分と関係のあることとして、改めて調べ、実感することで、現在の世界的な出来事に対しても、我を失うことのない視点が獲得できたのではないか、と思える。

 個人的なことと、逆らいがたい歴史の流れとは、無関係ではいられない。

 ただ、そのことを、ただ自然災害のように仕方がないものとして捉えるのか。それとも、そこに自分も確かに関係している兆候を見つけるのか。そうした、もしかしたらわずかな違いによって、現実に対する態度が大きく変わってくるのではないか。

 そんなことまで思わせてくれた作品だった。

 
 そして、単に個人的なことと思えた様々な思い出や記憶でさえも、確かに世界につながっているような確信まで抱かせてくれたし、自分も、これほど鮮やかに形にするのは難しいとしても、個人と歴史をつなぐことはできるのではないか、という思いにまで至った。

 想像以上に、射程の広い作品だと思う。



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