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吃音は方言のようなもの

3番目の子、ミコの吃音の訓練を開始し、まだ間もない。知識もない。そんな私が「吃音について説明する」ということになった。

 吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつ。

・音のくりかえし(連発)
 例:「か、か、からす」
・引き伸ばし(伸発)
 例:「かーーらす」
・ことばを出せずに間があいてしまう
(難発、ブロック)
 例:「・・・・からす」などがある。

それは、ミコの保育園での保護者面談の場でのこと。事前に「吃音の経過についても教えて下さいね」と言われていたので、一応そのつもりではいた。

言語の先生に言われたこと、教えてもらったことや、どんな訓練をしているかを話したが、保育士の先生に素人の私が説明するなんて、だいぶおこがましい。私よりも知っている事が多いんじゃないだろうか。でもまあ、恥をかいても良いので、知っていること、自分が思うことは、一応全て話した。

「言語の先生によると、言葉が出づらい、というのは本人はもう気づいているらしくて。でも、その後、気にする子と気にしない子に別れるので、ミコが今吃音を気にしているかどうかはよくわかりません。

ミコは、とにかく話したいことはどんどん話すので、気にしていないのかもしれません。もし、大人になるまでずっと気にしなければ………そんなこと不可能かもしれませんが………、気にしなければ一番良くて、極論を言えば治らなくったっていいんです。方言みたいなものだと思えば。

だからと言って、本人が気にしないように、と、吃音のことを話題から避けるのは逆効果だそうで、「吃音は隠さなくてはいけない」と思ってしまう可能性があるので、オープンに話せる環境である必要もあります。

そして、遅かれ早かれ、友達に真似されたりからかわれたりしますよね。その時に『かわいそうだから真似しちゃダメ』っていう注意はしないで欲しいかな、と私は思うんです。これが今のミコに合ったミコの話し方なんだから、それでいい、って先生達にも思っていてほしくて。からかいを注意する場合、どんな子でも、言葉をオウム返しに真似されたら話しづらいと思うので、『話してる途中でジャマされると悲しいよ』とか、そういう感じかなあ、と…」

先生は熱心に聞いてくれ、そして質問もしてくれた。

「吃音が出たときに、『ゆっくり話してごらん』とか、『落ち着いて』と言わずに、ただただ急かしたり先回りせずに聞いてあげるだけでいい、っていう事でしたけど、言葉が出ないときって、とても苦しそうなので、私は『また後で落ち着いてから話そうか?』って言ってしまう事があるんですが、それもダメですか?」

「そうですね…。私も勉強し始めたばかりなので、よくわからないですけど…。

吃音が出た時って、ゆっくり話そうが落ち着こうが、止まらないんですよ。話す内容が処理しきれていなかったり、あ行が苦手なのにその単語を言わなきゃいけなかったり、解決しようのない問題があるので。

だから、時間を置いてもあまり変わらないような気がします。それよりも、吃音のせいで言いたいことを聞いてもらえなかった、という悲しさが残ることの方が問題かな、と思うので、もし時間があるときであれば、苦しそうでもそのまま聞いてあげてください。時間がなければ『今時間がないから、後でね』でいいです。それはどの子に対してもそうですよね。

でも、先生の気持ちもわかります。本当に聞いてて苦しくなりますよね。だけど、あの話し方が、今の本人にとって一番いい話し方で、本人は話す内容に集中していて、あまり気にしていないかもしれません。でも、私は苦しいので、吃音が出たときは、ミコを抱っこして話を聞いています。抱っこして落ち着いたら、ミコがうまく話せるわけじゃないんです。ただ、私が安心したいから、抱っこさせてもらってるんです」

話した内容には、間違いがあるかもしれない。私が最近聞きかじった知識だし、そもそも、吃音そのものが、治療法の確立していない、研究中の症状だからだ。

でも、人に説明することで、私自身の考え方が、より強固になっていくような感覚があった。

「吃音は、方言のようなもの」

吃音に悩む本人は、とてもそうは思えないだろう。そんな簡単なものじゃない事はわかっている。でも、そういう世界になったらいいのにな、と思っている。いろんな土地の方言があるように、いろんな吃音があって、人目を憚らずに吃音のまま暮らせる世界に。

それは、吃音を治そうと努力している人を否定することではない。もちろん、治った方が楽だろうとは思う。

でも、治らないまま大人になった人が、吃音が出ないように隠して生活をしている、という現実もある。苦手な単語は他の単語に言い換えたり、吃音が多くでる日は話さないようにするとか、普通の話し方に【擬態】して生活している。私が気付かなかっただけで、私の周りにも吃音の人が居たのかもしれない。

そんな大変な努力、しなくていい。吃音は恥ずかしいことじゃないんだ、と、ミコに伝えたい。

それでも、成長と共に気になり始めたら、ミコも自然と言い換えや会話量の調整をしていくようになるんだろう。それを誰も止められない。

アメリカの大統領も吃音だった。あの有名なアナウンサーも吃音だった。でも、努力して治った。

そういう話を聞くと、吃音は克服すべきものなのだという感覚になる。

でも、私には、治ることのない難病と知的障害を持って産まれた二番目の子、ニンタが居て、その影響で、「普通であるべき」という考え方を捨てなければ、ここまで生きて来られなかった。

ミコ本人にも、私と同じ気持ちになれとは言えない。でも、私は、吃音がおかしいのではなくて、吃音を受け入れられない世界のほうがおかしいと思っている。吃音のミコの話を聞いていて、苦しくて抱っこせずにいられない自分がおかしいのだと思っている。

それはもう、これからもずっと変わらないと思う。




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