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かわいい娘の話をします

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娘のかわいい日常をお届けします。日めくりカレンダーの絵柄のように、くるくる変わる子どもの世界を、少しでも書き留めておけたら。
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#育児

愛が近づいてくるからせまい

大体において、寝る場所がない。 クイーンサイズのベッドとシングルサイズのベッドをくっつけて寝室に置いている。そこに、私、娘、夫と家族三人で寝ている。 夜も更けた0時前。寝室に滑り込む。するとそこには、シングルベッドで寝息を立てる夫と、その横のクイーンベッドで大の字になって寝る娘がいる。 なぜだろう。私の腰に抱きつくぐらいの身長しかない娘が。週替わりでお気に入りのぬいぐるみを選び一緒に寝ている小さな身体が。自由に手足を伸ばすとベッドを占拠して私の寝場所がなくなるのは。

終わりはどこにもないようでいて。

「ねえお母さん」とあんぐり口を開けた我が子を覗き込んだ。 ピンク色の歯ぐきから、白い頭がちょっぴりと顔を出している。2本の乳歯の横幅とおなじサイズの永久歯。はたして、この小さな口にまっしろでピカピカした大人の歯が入る隙間はあるんだろうか。 「お母さんも、小さいときこうやって歯が生えた?」 思い出せない記憶のかわりに、Google先生に「永久歯 乳歯の内側」と検索して「そうね」と答える。 ソファにぽんと座り、おずおずと指で前歯を触りながらテレビを見はじめる娘。変化はとき

キスをあげます

人生において、こんなにもキスされて、またキスを要求される日々がくるとは、ちょっと予想外だった。 私がソファーに座っていると、通りすがりにやってきて、ほっぺにキスして去っていく。寝る前には、「そういえば、キスされないといけないんじゃない?」と、図々しくもかわいい要求をしてくる。私がその柔らかい頬に唇をつけると、ちょっと大げさじゃない?と言いたくなるくらい、心の底から幸せという笑みを浮かべる。 6歳の娘の話だ。彼女にとって、キスとは愛をやりとりするコミュニケーションなのだ。

海のむこうの小さな街のシアターにて

小さな仕事部屋で、窓の外の風にゆれる巨木の枝を見ながらパソコンに向かっていると、自分が異国にいることを忘れそうになる。 私はニュージーランドに暮らしていて、夫は日本人で、娘はこの国で生まれて育つ6歳の小学1年生。 親の私が知る感覚とは、異なる社会で育つ彼女。 娘が小学校に入学する前、私は彼女が「新しい環境になじめるのかな」と心配していた。いまのところ、親の不安はどこ吹く風で、娘は毎日笑顔で過ごしている。 靴を履いて登校したのに、なぜか帰りは裸足で教室から飛び出してくる

大きくなる

娘が6歳になった。 いや、2週間ほど前になっていたのだけど。なんだか、「6歳になった娘」を私の中で飲み込むのに時間がかかった。5歳の娘は、もういないんだなって。 一言断っておくと、この気持ちは、「さみしい」じゃないのよ。子どもの成長は、いつだって喜ばしいから。 私が寂しくなるのは、写真や動画の中の小さな娘を見たときだ。舌足らずな言葉で不器用にスプーンを握る手。よたよたと一歩ずつ地面を踏む足。あのとき、余裕がなくて、必死で、疲れて、見えなかった娘の可愛さに出会うと、この手

誕生日を心待ちにしている子がいる

8月だ。 娘がうまれてからというもの、8月はちょっとソワソワする月になった。日本でいえば、夏の終わりが娘の誕生日だから。誕生日会はどうしようと、頭を悩ませる。それから、「生まれてから、もうこんなに経ったのかあ」としみじみする。 6年、はそれなりの長い年月だ。赤ちゃんの頃の娘は、確実に遠い。もういない。でも、「6年も経った」なんて、ほんとに?と聞き返したくなるんだよなあ。 はじめての誕生日は、ヨーグルトのデコレーションケーキに指を突っ込んでいた娘が、「今年の誕生日プレゼン

子どもが正しく間違えている

娘が、マジックに興味を持ちはじめた。 きっかけは、学童で見たマジックショー。それからというもの、鉛筆を手にくっつけて浮かせようとしたり、手のひらのコインを動かそうとしたり忙しそう。 夫が片方の手で見えないように鉛筆を押さえ、手を開いても落ちないマジックの種明かしをしたら、娘は「インチキだ!これはリアルマジックじゃない!」と怒っていた。 それをみて、ああ、娘は「正しく間違えている」のだなと思った。 * あたかも自分の言葉のように書いたけれど、「子どもは正しく間違える」

たぶん、きっと、これは愛

子どもというものは不思議なもので、日に日に成長するはずなのに、親目線で毎日「大きくなったなあ」とは思わない。 ふとした瞬間、「あ、大きくなってる」と気づく。 届かなかった棚に手が届くとか、背伸びしてのぞき込んでいたダイニングテーブルを見下ろしているとか、その瞬間はいくつもある。なかでも私が好きなのは、バスタオルで拭いてあげるときに気づく背の高さだ。 お風呂から出てきた娘の、濡れた体を拭いてやる。おぼつかない足取りの2歳のころは、まだまだ小さかった。娘の目線と、膝をつけて

はじめての、おかいもの

noteを毎日書いていると、たまに「これは絶対に書かねば」という気持ちになる。 もともとは、娘の成長を書き記すために始めた毎日更新。最近は、日々思うことや書くことについての感情を言葉にする記事も多いのだけれど、昨日は本当に「これは絶対に書かねば」という一大イベントが発生したので、こうやって書いている。 なにかというと、5歳11か月の娘が、うまれてはじめてお小遣いで買い物をした。なんだ、そんなことか。そうです、本日のnoteは、人様にとっては「なんだ、そんなことか」を一生覚

今日という日を楽しくするクレープ

やぶれかぶれな気持ちになる休日の朝。予定はとくにない。というか、娘が「お家で遊ぶの!」と主張して外に行けそうにない。 時計の針が、10時半をすぎる。「お母さん、パンケーキつくろ?」小腹が空いた娘に提案された。 パンケーキかあ。正直にいうと、私はちょっと苦手。つくるのは好きだ。だけど、いざ食べるとなると、バターとメープルシロップをたっぷりつけても、口の中でモソっとする食感に残念な気持ちになってしまう。 「クレープにしない?」代案を娘になげかけた。「クレープ」がなにかを知ら

べつに星に願わなくても

「ネコちゃんがほしいの」 昨日の夕食後、娘と七夕だし短冊でも書こうかねという話になった。 ネコちゃんは私も好きだが、あいにく夫がネコちゃんアレルギーである。その願い事は叶えられない。 「七夕は、ほしいものじゃなくて、なりたいお願いを書くんだよ」 夫が教えると、娘はうーんと悩んだ後、「うたがじょうずになりたい」と口に出した。習得途中の平仮名を一字ずつ確認して紙に書き、それを庭の竹にくくりつけた。 * 「Wish(お願い事)、かなったかなあ」 翌朝、起きてきた娘に質

知らない不安と、ピアスの穴

「ねえお母さん、お耳をパッチンするやつってさ……」 数日前のこと。さあ寝るぞという段階で、ベッドに入った娘が口をひらいた。なんだか少し不安げに、未知のものを尋ねる表情で、布団にもぐりながら私を見上げている。 ああ、ピアスのことをいっているのね。 最小限の単語で、情報が伝わるのが家族のふしぎだ。 「ピアスあけたいの?」 尋ねると、娘はちょっと泣きそうな感じで「う~ん……」と歯切れのわるい返事をした。 たぶん、興味はあるけれど、怖いのだろうなと思った。 住んでいるニ

いっしょにスーパーマーケット

子どもと一緒のスーパーは、ちょっとした戦場だ。 娘は5歳10か月。乳児の頃とくらべれば、たいへん「イージーモード」だが、カートをぐいんと押したり、あれ買ってこれ買ってと横入りしてきたり、わりと気をつかう。 その点、夫とふたりの買い物は楽だ。夫がたまに平日休みの日は、近所のスーパーマーケットへ行く。面倒な買い出しが、ちょっとした楽しみでさえある。 ずらっと並ぶヨーグルトを前にして、どのフレーバーがいいか相談する。 「やっぱりイチゴがいいかな」「娘ちゃんはこっちが好きじゃ

ひとりっこの王国

「ひとりっ子 協調性がない」 ひとりっ子の人は、一度は言われたことがある言葉ではないだろうか。 世間にまるで真実のように流布する思い込みである。個人的に、ひとりっ子の娘を6年近く育てている親としては、「ひとりっ子」という単体の要素だけで性格が決まってたまるものか、子育てはそんな単純じゃないぞという気持ち。 こうしたステレオタイプは、考えなくて済むので使うほうは脳みそが楽だ。だから、たくさんの人がすぐ信じちゃうんだと思う。 言われたほうは、はっきりとした負の感情でなくて