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僕があの生徒たちのように「AIDS愛好」できていたら自分の絶望とスティグマは軽かったかもしれない。アウティングはあったにせよ。=わたしが経験したHIV/AIDSの30年を切り口に(市民の社会・政策への参画の一側面)=一部改訂

男性しか社会参画できなかった時代、男女同権を目指す時代、セクシュアリティまでを社会参画に必要だと認める時代、GIPA(1994年IAS横浜⇒パリAIDSサミット)、Vulnable Peopleの政策関与を必要とする時代・・・。
21世紀に入り、国連はつぎつぎと基本的人権の柱建ての中に健康権の問題としてSxual Health Rights(性的健康権=性の対象や行為に貴賤上下はないと平等な健康的権利)やSpiritual Health Rights(霊的健康=思想信条や宗教・魂と生き方に関わる健康権)を打ち出し、どんどん尊重していこうとする国際社会を目指そうと呼びかけた。すべてフォーカスした課題が解決したわけではなく、未解決のまま。より過去に取り上げた課題の重要性の上に立脚しながら新しい領域を強化するという形で国際社会の良心は健康権と生存権、自由権といった基本的人権の全体像をより豊かなあるべき方向性と険しい道のりを照射している。どれ一つとして軽視していない。
なのに世界に背をむけつづけ今後も維持存続させようとしてきたのが日本の政権とこれに群がる社会の利権。とりとめない自分史に沿いながら記録し、時間を経過したあと、このアウトラインについて今後、何回にも分けて取り上げていければなと思っている。

<分断してきたのはどっちだ?>


だから、弱者の方が柔軟にしたたかに抑圧の中で生き延びようとしているわけだ。
逆にマジョリティって言ってみれば「勝てば官軍、負ければ賊の名を負わされて」いるお気の毒な人たち。圧倒的9割が負け組にされて結果が見えてきただけのはなし。今更「傷ついた」もへったくれもないわけだけども。さんざん弱い人たち傷つけてきたんだからたまには傷つけられて年に4~5万自殺したところでつべこべ言うんじゃないっていう悪魔のささやきだってでてくるわけだ。この段階に過激な一言を投げ込まれただけで「いう事が過激すぎると非難の言葉が返される。しかし、この言葉を発するひとたちは体制内知識人が大半。いわく「ワタシの周りには教師や医者や官僚が沢山いるのに、そんな人たちにこの言葉が触れる=その人がこんな凶状持ちと関わっているとバレてしまったら自分が困る」云々。だったら権力者のカバン持ちでもなんでもすればいいのにコケンだけ守る責任なんてこちらにはないのだけど、これがマウンティング由来の見返り期待だとはこの人たちは思っていないフシがある。オマイら弱者の立場を尊重してやってんだから、と言わんばかりなのだ。尊重するなら尊重すべき場所を整備する施策を矢面に立つ覚悟でやってくれといいたい。空気読まないとはこういうことだ。)

<根本がかわらない対処療法は分断を深めている>


政策や世の中が間違えていたと言わないまんまで処方麻薬ばかり増やして「どんなもんだい!こーんなもんだい!」(谷川俊太郎)なわけです。
臨床の現場では社会批判はできません。病状が悪化するだけだからです。だけど、そのことは最も傷つきやすい層が被っている不利益に蓋をするのか、それとも光を照射すればマジョリティが住みやすくなるヒントの宝庫だとみるのか?という貴重なコミットメント宣言が1994年のGIPA(Greater Involbment of People living with HIV/AIDS)だったわけです。これを単なるAIDS村の可哀想なヘモ(Hemophilia:血友病の略)とホモのストーリーだから「わざわざ聞く必要があるものか」と決めつけて情報遮断に走ったのが日本とアメリカです。その予防啓発モデルが共和党由来の「ABCアプローチ(禁欲・特定の性的パートナーの選別・コンドーム)」です。CDCやJAMAをはじめアメリカの医学界・医療政策が推奨するガイドラインの翻訳をすれば日本の政策がきまる、という従前からのスタイルは新型コロナウイルス感染症対策でも受け継がれ、その脆弱さゆえにワクチンからマスク警察に至るまでの社会病理を生みました。AIDS予防法案に始まる反人権政策とその撤廃に向けたロビィングといった中で薬害エイズ原告団の人たちが果たしてくれた役割はとても戦略的で世界のAIDS対策とりわけUNAIDSの動きに敏感に連携してくれていました。その姿勢が功を奏したのは1994年IAS横浜会議オープニングであったと思います。世界の大臣から宮様に至るまで列席する国連のこの国際会議の開会式冒頭に池上千寿子さんと登壇したPWAの大石敏寛氏がマスキングや音声変換などをともなわずに顔出しノーマスキングで登場し堂々挨拶をした。この時代AZTとddI ddCという薬しかなく、いわゆる「AIDS小説」に代表されるように副作用に苦しみながら延命治療を行う、「見舞いの人ひとりきてくれない中でAIDSの子どもたちは15分に1人ずつ死んでいく」(川田悦子)という可哀想な人たちの物語で、性病だと言われる事を恐れて血友病患者さえ顔出しできず本人特定を恐れて・・というわけだ。つまり川田悦子式の論理を振り回すとどうなるか。「自業自得の性感染者と可哀想な薬害エイズは別だ」という理解に至る。こういうのを被害者ヒエラルキーを振りかざして頂点に立つマウンティングだと言いたい。被害者に向かって誰一人否といえない同調圧力があるからだ。それが日本のムラ社会のムラ社会たるゆえん。この傾向は実は西欧でもカトリックが元来の主張である「GAY IS SYN」を世界展開させる口実とし、これにまんまとアメリカ共和党が乗っかった。この「思い込み由来」を打破するにはUNADISも苦悩した。どうやってプライバシー権配慮というものをできるのか。死病のスティグマ、性病のスティグマを取り除いて健康権の問題、公衆衛生の問題としてAIDSは語れないのか。
東京の薬害エイズ原告団は、川田悦子の君臨もあって、カトリック由来の「作られたPWA像」を日本にも当てはめられようとしていた。
この空気を打破したのは1994年の横浜エイズ世界会議の開会式だった、ということになる。
「世界会議」の表舞台で感染経路や本人特定のリスクをいとわずに「顔出し」であいさつをしてのけたPWAがいた。大石敏寛氏だ。このカミングアウトで世界は震撼させられた。大石氏はこの世界インパクトに対して取材をうけた際に堂々と言い放った。性感染由来の当事者は、2重のカミングアウトを強いられていることを強調した。つまり、PWAであることだけでなく性感染由来ということで当然のこととして男性同性間の感染まで告白しなければならないと。これを「セカンドカミングアウト」という概念で提起し、彼はそれを著書にもあらわしもした。
この当時、当事者が会議の発表者としてカミングアウトすることは影情報が流れカミングアウトの席には取材のカメラや宗教家や物見高い人々が200人も300人も群がって憐憫のまなざしを配るというのがおきまりでもあった。
「エイズに理解を拡げましょう」というだけでは、当事者カミングアウトにばかり焦点があたるような風潮が延々とこの島国では続くことになり、現実今でもいまだにAIDSはおろかLGBTがいまだ「理解を深めましょう」なんだったらいったい80年代からこのかた日本民族なにをやってきたんだろうということになる。

<AIDS国際NGOのセブンシスターズ>


世界ではAIDSのセブンシスターズといわれる国際NGOがUNAIDSの招聘でGIPAの一環で活躍するようになっていく。セブンシスターズの中にGNP+(Grobal Network of People living with HIV/AIDS)もGNPUD(Grobal Network of People who Use Drug)も含まれている。
なぜブラザーズではなくシスターズなのか?といえばここで性的マイノリティたちの幅広い行動範囲と旺盛な性行動と高いコミュニケーション能力と弱者の気持ちを汲み取るセンシビリティが良い意味で作用したわけである。
で、ピアな当事者ではなくシスター、という「いわれ」があるのも、ここには長女、次女、三女、チーママ、という具合の序列があるというのがもっぱらの噂なのだ(知らんけど)。
どちらにせよ、UNAIDSの施策において、1994年のYOKOHAMA開会式のインパクトは絶大で、これを境に、パリAIDSサミットでGIPAが採択され、これ以後の国連の会議体では「当事者の政策関与」が重要な柱建てになっていった。
こうなって困るのは、日本やアメリカのような「政権党の政策万能主義」
「わたし作る人アナタ受ける人」という政策感覚の社会
である。民主主義が成熟している欧州はあっというまにGIPAに対応できる社会とそのためのリソースが次々作られていった。
同時期にオランダの教会などが行っていた「注射器を安全に使える場所として礼拝堂を貸し出す措置(礼拝堂は国家権力が入ることが絶対に出来ない聖域で、よく、礼拝に参加している人たちを護るためにマラソン礼拝が繰り広げられ警察権力の介入を許さなくするのもプロテスタントの国オランダの特長である。
これらが実際に何のために行われたのか?ここに公衆衛生と疫学の粋が投入されたときに、AIDSは「血液」「精液」「膣分泌液」に「ウイルスが大量」に含まれているが、これが日常茶飯事どこにでもビロビロくっついてくるのは日本の痴漢車両だけで、疫学の面でいえば、感染経路としてこれらの体液が粘膜の傷から侵入しさえしなければ感染は起きないわけだ。だから、「セックスでコンドームを使う」「注射器の回し打ち」「手術などの針やメスは使い捨てか合格基準の消毒を実施する」(実はミレニアムに近いころまで医療機関では蒸気による消毒で注射器や手術のメスなどが使いまわしされていた!これはウイルスに対する基準ではなく細菌感染に対する基準であったので、ギリギリまでノーマークだった)、そして、出産や手術などの血液暴露への対応などについて、という具合に経路を断つ対策として「害の軽減策」を前面に出せば、予防のメッセージも差別的でなく、感染してしまった人たちにも「対策の失敗者」「不特定多数との性交者」「感染させまくる人」の烙印から少しでも遠ざかることができる。これらの策を「ハーム・リダクション」と呼ぶわけだ。ハーム・リダクションは、かくしてエイズ対策で注射器センターばかりが目立つので(世界で2番目の経路だから対策は強力である)アメリカ共和党政権(レーガン、ブッシュ政権)と日本の厚生労働省中国や台湾などと共に「ABCアプローチ」という消極的ハームリダクションを推奨してきた。ABCアプローチは性の男性による独占が激しい社会、たとえば族長制や長老制が強い社会1980-1990年代のアフリカ社会などでは、男性の性的ポジションから社会に至るまでの優位性が確保されてきた。だから、特に「オトコは管理・オンナは小間使い」「管理者が政策を作る人・弱者は男性によって享受される人」という人間観・社会観による政策感覚が主流となった社会にとっては都合がよく、下記のようなものになっている。

<ウガンダなどが成功事例集としなければならなかったABCアプローチ=日米同盟側のAIDS対策参加国の報告書に見える内情とは>


  ウガンダのエイズ予防・啓発の中心はABCアプローチと称される。ABC  
 とは「禁欲」し(Abstinence)、一人のパートナーとの関係を保ち(Being
 Faithful)、「コンドーム」(Condom)を使用することである。ムセベニ 
 大統領は内外でエイズに関する発言の機会のたびに、ABCDを繰り返して
 きた。つまりAとBとCをまもらなければDie(死)というスローガンを喧伝
 してきたのである。このウガンダにおけるABC政策は1990年代を通し
 世界的に注目されてきた。というのは1993年以後の感染率低下の理由
 は、根本的に特定できていないにもかかわらず、ウガンダ政府の積極的な 
 予防・啓発政策への取り組みにあったと主張されているからである。ウガ
 ンダにおけるエイズ対策の中心は、その初期においても今日においても予
 防・啓発にあったわけではない。当初の対策事業は欧米での対策のコンセ
 プトを踏襲し、血液の安全確保、医療の現場での安全確保から始まってい
 る。その後も、ウガンダ政府によって対策の確固たる指針がたてられるこ
 ともなく、国際社会の支援の拡大と多角化にひきずられる形で、保健医
 療、予防・啓発、生活支援、エイズ遺児対策などへとひろがっている。
  「エイズ政策の転換とアフリカ諸国の現状—包括的アプローチに向けて
  —」アジ研トピックリポート「緊急リポート」シリーズ52、 
  第2章 ウガンダーエイズ対策「成功」国における政策と予防・啓発の
  果たした役割 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所、
  URI http:hdl.handle net/2344/00009344、P58より引用。

ABCアプローチの国々という場合に、そこで成功だと評価した報告書を国連に出してきている国々の当時の状況は、ほとんどをアメリカや日本(世界銀行やグローバルファンド、JETROやJICAの基盤整備予算である。これらの潤沢な予算あればこそ「成功」の報告書を要求されていた国々が苦肉の策として出しているものであって、吉田氏があれこれ実情を報告するまでもなく、お金を出している国々の施策に媚びを売った、という以外ではないのである。実体を紐解いてみれば、吉田氏自らが指摘するように「Death」の脅しが後ろにもれなくついてくる予防啓発メッセージであり、同時に、主族長社会であるアフリカでは一夫多妻制、貞淑で夫に叩かれながら性の奴隷としても奉仕しているまじめで貞淑な妻たちが感染実績の半数以上を占めている実体がるわけで、吉田氏の説明を待つまでもなく「コンドーム使用」が広がっているわけでもないのにどうして感染者数も統計的有為をもたない段階で「成功」の2文字が躍ったのか、という事はスポンサー団体の側からはやはり疑義を感じざるを得ないだろう。しかし、スポンサー側が自らの国政の内膜を何ら点検改良もしないままでどうしてスポンシー側だけの改善を要求することができようか?2005年当時日本はこの段階でも感染者数が先進国中唯一イタリアと並んで増え続けている国(欧州はすべて低下していた)だったのだ。アメリカもこの時期禁欲やコンドームなど「性の自由」との葛藤の中でリバウンドが起き始めたわけだ。アメリカではAIDSホスピスでの緩和治療へ大麻を使用させたいとする闘いが水面下で行われ、大麻解禁とコンドーム・注射器の無償配布センターができるところまで市民社会側から連邦側へのカウンターが行われることになる。これについてはATA-net研究センター(龍谷大学犯罪学研究センター)のイーサン・ネーデルマン氏による記念講演(YouTubeで自動翻訳ができる)などで確認いただける。
ぶっちゃけ、このウガンダの報告書は、「8時だヨ全員集合!」の最後に「歯磨けよ!アビバノンノン!」と大して変わらない。スポンサー企業ライオンへの媚び以外ではなかった俗悪番組のラストに言う「良い事」なのだ。
母親たちの攻撃を散らす子供の反撃は「だってカトちゃん最後に良い事いうじゃない?」に親は「ライオンへの媚びだ」という「オトナの事情」で子供を納得させることできなかったのである。こういう構造的な破綻を「茶番」というわけだが、壺政策に毒された日本の政策はあちこちから「茶番」が続出しそのたびにへそがお茶を沸かしているわけである。


JETROとしてはちょっとおかしな報告書を出されても、この報告書を問題だとはしなかった。なぜかと言えば国策がずさんでUNAIDSのように国連事務総長直轄組織と各国の大統領府直轄AIDS対策チームのような特務組織ではなく、「疾病対策課」のルーティンで処理をしようとしていたのだから。JETROやJICAの抱えている予算の方が何倍も予算規模が大きかったし、実際国内抑圧策は今もなおあまねく行き渡っている。マスク警察しかりである。
主催する部署や所管の基盤が弱ければ、それだけ政策としての「本気度」や力の入りよう=予算規模=予算規模が違うわけだから、たかだか疾病対策課の一部門であったなら、「係官対応」のレベルである。つまり、政策的インパクトや協力する横並びの連携組織そのものがたかが知れているのである。実際「AIDS予防財団」お金をおろしてそれっきり、というのがAIDS対策で、40年ちかくかけてやっと厚生労働省の対策事業が「新宿Akta」「堂山DISTA」だけだったというお寒い状況だったのだ。あとはすべて民間のNPOやCBO、そして「AIDS対策研究班」による研究事業の予算をなんとかやりくりしての調査やコミュニティの社会実験活動を報告し合う、といった小さいものでしかなかった。

<ICAAP2005神戸は何が失敗だったか=当事者の可視化と政策関与の国連メッセージを「AIDSの理解増進」とすり替えた御用当事者の暗躍=>

このような孤立化分断化が激しく敷かれている抑圧的な環境の中でも、PWA当事者、はなぜつぶされなかったのか。2005年、吉田氏がおかしな海外投資策について報告をあげていた頃日本では神戸でUNAIDSアジア太平洋ブロック会議が行われており、ここではアーケード街を「エイズに理解を広めましょう」という言葉を聞こえないような声で練り歩くことだけにとどめさせられただけでなく、「HIV陽性」と胸にでかでかと書かれたTシャツで会議参加者に「AIDSを可視化すべし」というお題がだされ、三宮で君が代でも歌った方がよっぽど楽だというバカバカしい「理解増進」策ばかりが打ち出されていた。これが世界のNGO活動をしている当事者たちやセックスワーカーたちにもおしなべて「HIV陽性を可視化したシャツで参加せよ」とお達しがでたものだからさあ大変!日本以外の団体の実にウィットに富んだおしゃれな回答が秀逸だった。韓国の仲間たちは赤い〇の中心に赤い●が入った二重マルマークをシャツにあしらった。PI法というHIVスクリーニング検査のペレットが並んだものがイメージできる、だけど分かる人に分かる、という演出である。台湾のセックスワーカーたちの団体はレッドリボンを使った流れるラインをあしらったデザイン。みな「HIV陽性」なんてワードを禍々しく胸に掲げるなんて「Zマーク」「卍マーク」のような恥さらしはしなかった。世界の市民社会が「Fight to Stigma」を掲げているというのに逆行メッセージも甚だしいものを作る神経がどうにも理解できるものではない。
I氏のすぐ隣にうごめく層が「理解増進法」「行き過ぎたトランスジェンダリズムの抑制」を掲げており、当事者抑制をできる当事者たちを演じることで「実をとった」としているわけだが、2005年のあの神戸の葬列「エイズに理解を深めましょう」をまだやるのか、と絶望の気持ちを抱かざるを得ない状況である。I氏、大臣までやってて問題意識高いようなのに、ポーズなんだろうか、それともたまたま声をかけてしまった相手が地雷持ちで持て余しているのだろうか。こんな連中をして「実をとった」と言っていられる旧世代の連中はとっとと霊安室に入った方が良い連中がまた30年歴史を停滞させようとするのか、それをして機が熟さないとか急進だというのは、要するこれらの意見を主唱する人たちがまだ生き延びたことが害毒だというだけのことである。かえすがえすも政権側に人材という観点がなさすぎるのは間違いのない事だ。


<2004年の公開討論「ABCとCNN勝ったのはどっち?」から2009年の「ウィーンコミットメント宣言」、2022年国連人権理事会へ>


さて、それはそうと日本のPWAは、実際にどういう風に動いてきたのか。また同時に、GIPAの精神が国連では単なる「絵にかいた餅」なのか?ということについて少しだけ言及しておきたい。
2004年9月にバンコック国際会議場で開かれたIAS(国際エイズ会議)では統一テーマがACCESS FOR ALLというものが掲げられた。直前の沖縄サミットで森首相が提唱した「Global Fand」もアメリカが議会紛糾で予算拠出のめどが立たずこれに追随して提唱国がカネを出し渋るという恥ずかしい状況の中で、WHOの3×5(スリーバイファイブ=3年間で500万人分の治療薬確保をするという目標設定)もとん挫しかねない危機感の中にあった。GNP+(Global Network of PWA)とAPN+(Asian Network of PWA)たちの焦りはピークにあった。なんたって2004年の会議の時、まだ年間600万人が新規感染し、300万人が南半球で死んでいる状況だったからだ。その大半がアフリカで経済格差のために死んでしまう。例えば、AZT(ジトブジン)という薬がある。世界で最初のHIV治療薬で猛烈な副作用がある薬でもある。1錠1ドルにまで下がったとはいえ、この1ドルは当時のアフリカ人にはとんでもない高額だった。タイでさえ国家が30バーツ政策をかかげて1日の治療費を30バーツにまで抑制させた。これでも当時のタイでHIV治療が出来る人たちは富裕層でスラムの人たちには治療が届かない現実だった。アフリカでも国際裁判をアフリカ本土で仕掛けて最高裁が「欧米製医薬会社のライセンス無効」と「最新レジメンでのジェネリック製造」の権利を判決してインドやアフリカ、タイの製薬会社にファイザーやアボットなどの最新治療薬のジェネリック薬を次々製造させた。このおかげで欧米のライセンスのタテ割りで合剤にすることができない薬が1錠のタブレットで処方できたりとすごいことが実現した。逆に欧米人から「うらやましい」状況すら生まれたのだ。
世界で製薬会社がライセンスを放棄することは「次の新薬研究が阻害される」という理由で拒否され裁判に持ち込まれる事が多い。しかし、アフリカ諸国の最高裁は徹底的に戦った。大統領側近まで感染した人たちがいたことがことの重大さと危機感に満ちていたわけだが、アフリカ諸国はその後レア・アースの採掘ができてから巨大な富を築くことができ南北格差がかなり解消されてきた。あの闘いがあったればこそという気もする。今、南半球うを含む世界のHIVの新規感染は年間30万人にまで減った。これは「治療の普及こそが最大の感染症予防である」という国連のテーゼを実証するものである。このメッセージがきちんと日本やアメリカには「国連」軽視のために伝わってこない。何のために加入してるんだろうというやり方なのだ。
国際法というのは条約という名前で言い換えられているが、国連のみんなが作っている。その最大の機関が「常任理事会」なぜか日本の報道機関もこぞって「安全保障理事会=軍事調停」ばかりに焦点があてられているが、最大の重要課題は「人権理事会=ヒューマンライツ委員会」で決められている。UNICEFやUNESCOなどは全部ヒューマンライツ委員会の傘下機関といっていい。日本国憲法が「国際社会の良心」と謳い敬意を払っているものこそがヒューマンライツ委員会といっていい。軍事同盟や軍事ブロックのパワーゲームのついでの「人道措置」ではない大切な人間社会の条件を英知を尽くしているのがこの委員会と言える。だから地味だし合意形成が利害が絡むだけに難しいしそれゆえに尊い。カンタンに答えが決まるようなものは問題とはいうまい。それは各国各セクションが解決すればいい事である。
こういう言い方に語気から流れてしまうのも、UNAIDSの予防施策も、ヒューマンライツ委員会との板挟みで大切に大切に議論をしている面があるからだ。HIVは性感染症なんだから性行動をしなければ感染をしない。じゃあノーセックス=セーフセックスである、としたら人類の発展も経済的生産性も何もなくなってしまう。性の当事者であり性的な出会いと喜びがあればこそ、そこに感染症も入り込んでいる。だとすれば、性病というセンシティブな部分に入り込んでくる「病気の予防や治療と関係のない問題」と「治療そのものの問題」が分けて考えられることが出来ていく必要がある。だからこそ一人ひとりの意思と生き方とにかかわる人権の問題は重要になる。

で、HIVという性感染症対策において、性の問題が敷居をあげてしまうこと、セックスワークや麻薬使用といった問題を取り囲む問題がさらにHIV/AIDSを迷宮にいれてしまいかねないことから、害軽減の視点=ハームリダクションの場合「経路遮断」という手法以外に、人々や社会的属性、フォーカスグループの名称に至るまで入念に配慮をする作業が必要だった。
それが、PWAという名称やIDU、PWUDという用語の登場だったわけだ。
で、欧州やユニオンジャックの国々では、オランダの教会などの先行事例が土台にあってくれたことで、これらの総称という形で「CNNアプローチ」(C=コンドームの使用、N=Clean Needleをはじめとするハームリダクション、N=Negotiation Skills=交渉能力)に絞り込んだ公衆衛生政策を採択した。
この取り組みが凄いのは「注射器センター」だろう。キレイな注射器を麻薬使用者にタイホではなく配布するというものだ。しかもそこに医療スタッフや行政官、当事者のピア・カウンセラーが常駐していて、その人が麻薬以外の選択肢を選択していくまで安全に麻薬使用を続け、万一命の危機にあるときはすぐに病院へ運べる態勢で対話をしていることなのだ。その人は麻薬を使った方が社会生活が上手くいき仕事にも集中できているのであれば、無理やり取り上げたりタイホして騒いだりしない。血管がみつからなければ専門家が介助してあげる。仕事がないから自棄なのだとすれば仕事を一緒に探そうと相談し、家族の健康に不安があるから逃げたい思いで使っているとすればソーシャルワーカーが現場に急行する。麻薬使用はそれ単独に問題があるのではなくその奥に問題があり自己治療目的で使用しているケースが多いことを欧米の疫学調査は突き止めている。日本の場合これがうまくいかないのは、機能不全家族の支配と隷属といった封建社会の生き残りのような社会構造が足を引っ張っており、個人の自立した中での家族関係や個人の人生設計ではなく、親に性虐待を受けたり、過度の期待からくる介入と支配から逃れ「悪い子になろう」とした反抗からくるものだったり、とドメスティックなものも少なくない。そこから逃れようと薬を使ったり、家出をしてセックスワークをしたり、麻薬の売人になったり、それを児童相談所や行政が弄り倒してしまうことで本当の問題が見えにくくなってしまう現状がある。それを知らずに純粋培養された教養ある層たちが「クズ」と裁いてますます弱い人を弱い人が傷つけ「正義」の名のもとに自分たちの居場所を作る、というスタイルが多い。この「いじめ社会」「スティグマ社会」のありようは、日本人の全体が識字率も高く基礎教養も高い反面、そこで教えられている教育が誰かのために均質化均一化されたものを与えられており多様な人々や弱い立場の人々への視点や情報を切り捨てているものになってはしないか、ということを、HIVとともに生活してきた30数年を経てみると思うのだ。
僕らPWAだって、川田悦子のような人たちのオルグで分断されていても不思議ではない。だけど僕の友人でもある川田龍平はそうはなってなかったし、大阪原告団はもっと全体にスティグマをはねのけるだけの一体感を持ったあたたかな集団だった。花井十伍(はないじゅうご)は、活動の当初から仲間たちに言い続けていた。「ホモもヘモも仲良しやで」と。その結果、2003年に日本HIV陽性者ネットワークジャンププラスが誕生した時に、性感染由来の長谷川博史さんが初代代表、2代目代表に高久陽介さんが就任したのも花井さんたちの尽力によるものである。高久さんの頃には性感染者の方が圧倒的マジョリティになっているという背景もあるが、本来薬害エイズの方たちがきちんと闘い、治療環境をつくり、新薬開発と認可に関するスピード認可を作ったり、自立支援医療制度を整備したり、医療におけるインフォームドコンセントをガン患者会とともに医療現場におろしていったり、服薬アドヒアランスを現場におろしたり、すべて1990年代から2000年代アタマにかけて日本の中に定着させていった。これは疫学研究や医療行政という視点で世界から立ち遅れていた現状に、きちんと国家賠償金でエイズ国際会議に毎年のように出かけてきたからできていることなのだ。当事者参画の歓迎というが「薬事委員会」ぐらいにしか日本では貢献できていない。
タイではどうか?というと「前科2犯まで企業は雇用を拒んではならない」という法律を国内で求人をする企業の義務としている。ハームリダクションの一環である。「麻薬が蔓延している」からではない。「麻薬使用者を逮捕し投獄している社会損失が大きい」からなのだ。理由まで湾曲して日本国内には報告されているのだ。

<2004年国際エイズ会議=バンコック会議へ参加>


さて、2004年のエイズ国際会議バンコック会議に僕は偶然の機会で参加することができた。ジャンププラスの事務局(電話番)をしていたことで一緒に行こうという事になった。エイズ予防財団のスカラシップで渡航費も参加料金も支払われた。エイズ国際会議はこの参加費が1人10万円もする会議で、この10万円の半分以上が会議運営ではなく南半球のPWA当事者の声を聴くために無償で招待して一緒に会議で議論してもらうためのスカラシップ料金が含まれている。いわばコスト・エクアライゼーションより一歩進んでいるものを組織した。またPWAだとバレないためにこの国際会議会場の一角にはPWAラウンジというスペースがあり、人目にふれないような場所にPWA参加者にだけ会場マップと招待状、食べ物や医療サービス、休憩・仮眠、相談など様々なケアを期間中うけられるようになっている。医療サービスの中にはメサドン治療や注射器提供も含まれている。このためバンコック国際空港ではエイズ国際会議でドラッグユーザーのためのカウンターがあって入国する際にどの薬をどのぐらい持ち込んでいるのかを聞くという場所まで設けてあった。僕ら日本人は彼らとのコミュニケーションがうまくいかずHIV治療薬のことかなと思い聞き込んでしまった。たしかに治療薬そのものの持ち込みも不当な販売に提供される可能性もあるので国内流通チェックの意味もあったようだが、ともかくこのチェックだけで30分要した。
さて、エイズ国際会議はそんな形でPWAラウンジもあるので、ホテルで朝食をとりさえすればあとは会議会場のラウンジで美味しいご飯をたらふくたべることもでき、飲み物も無料。さらには台湾やタイの大学生やテレビのディレクター、医者、カウンセラーたちに声をかけられてはお話ばかりしててお互い片言の英語でモジモジはなしててあとあと考えると「え?ナンパだったの?」というぐらい僕自身のバイアスや‘PWAとして頑張らねばという気負いからなにから目からうろこだけでなく全身を覆っていたバイアスといううろこがバリバリ生娘のようにはがされていくようであった。だから話し相手からごはんのお供にいたるまで常にだれかと一緒でジャンププラスで参加した10数名ほぼ全員ブースにいたためしがなかった。この間に沢山の会議発表があったわけで、自分も参加した。
傑作なタイトルがあり、これは翌年の神戸会議でも実施されていたのが
「公開討論『ABCとCNN勝ったのはどっちだ?』」というもの。これこそが当事者団体がぞろぞろ参加したセッションでハームリダクションの二つのアプローチABCアプローチの国々(アメリカ、日本、韓国、アフリカ諸国、台湾、中国、ロシアなど)とCNNアプローチの国々(ヨーロッパ、カナダ、NZ、オーストラリアなどなど)まだそうではない国々、今年からCNNを開始した国(タイ)という具合の活発な議論だったわけだが、結果は明らかにCNNの勝利だった。
で、これらの討論を受けたUNAIDSは2009年のウィーン大会でUNAIDSは「薬物戦争の敗北」「テロへの宣戦の敗北」を含む世界の施策の失敗を掲げ、ハームリダクションへの結集を呼び掛けるに至る。
2018年オバマ政権がNYとSFで注射器配布を開始するように変化する。ここからアメリカでは大麻についても連邦政府では違法でも州政府が公認する、オレゴン州ではあらゆる薬物の非犯罪化(ポルトガルに続く事例)を開始している。特段問題がおきていない所が面白いところだ。

<犯罪学・刑法学分野に大きく影響>


ハームリダクションの普及で、特に欧州のハームリダクションで何が大きく影響を受けたのかと言えば、社会の人々の犯罪というものへの考え方と同時に犯罪を犯した人も悩みをかかえた弱い市民であること、社会的資源である、という事にきづいたということだ。
最も保守を形成する法律学・犯罪学者たちが人を裁く事から人々を社会に戻す方向へと考えるように変わっていった。更生教育・矯正教育のプログラムがあまりに懲罰的で社会復帰のための伴走型支援からほど遠い現状に目を向けていった国々が新しい成果を上げて行った。
それが、ノルウエーという国の「ハルデン刑務所」ということもできよう。
ハルデン刑務所の事例は刑務所・懲罰・懲役というものの考え方を根幹から揺らがすもので、ここまで手厚くする必要はないのではないかという批判もあり様々な温度や支援プログラムのやり方を多種多様な施設プログラムでノルウエーは模索している。しかしハッキリ言えることは再犯率が激減したということで世界中の法務関係者が訪れている施設でもある。日本から訪れる人たちが少ないのは、合法か違法か、ホンモノかウソか、正しいか正しくないか、という具合に誰かの号令や「但し書き」が無いとなにも話ができないところまで思考停止してしまっている国内の人々の想像力の枯渇、思考と判断の放棄が横たわっていることと無縁ではないと思うのだ。



<ハームリダクションは政策・手法ではなく概念=思考の形式である>


一点念押しをしておきたいのは、ハームリダクションは概念=思考の形式であって、それを前向きに推進する事が人権を大切にし、当事者を追い詰めることなく、しかし予防策や改善策へとつないで行けるための根気強い試行錯誤の連続を指している、という思考・試行が一体となったものことを申し添えたい。
麻薬を使いながらであっても、いずれ薬を必要がなくなる時が来る。使う必要がない、使いたくない、使っている場合でないなど、温度差はあるだろうけれども、使わなくなる時が必ず来る。酒をのみながらでも酒を断つ時が来る。そんな都合の良いはなしはあるか?という人もあるが、セックスをしながら性感染症をなくす、キスで感染する強い感染症がインフルエンザや新型コロナだということも知った上で、より人間らしい生活に寄り添った形での対策をする、というのとどこが違うのか、ということからちょっとだけ視点を拡げたらどれだけ有用なものの考え方になるのだろう?ということなのだが。

<僕が「AIDS愛好」できていたらあの絶望とうろたえはなかった。アウティングの事実があったにせよ>


最後にこれは自分の至らなさ、なのだが、僕が男子高校で教師をしていた時に隣の教室でAIDSの展示をしていた。ほとんどが性感染症としてのAIDSの話題で「AIDS愛好会」とあった。クソ真面目な自分はまだ当時HIV陽性告知もうけていない段階の若造だったので、川田悦子の講演会などをクソ真面目にきいていたため、この「愛好」に抵抗を覚えてしまったのだ。
でも、どうだろう?「愛好」してくれる仲間たちに囲まれていたら、HIV感染した現実に出会ったときに「相談」という行動の扉が開く、その可能性が生まれていたのでは無かったか?自分自身まだこの当時GAYであることを公言できなかった「クローゼット」だったし、死病だ自業自得だという外部の言葉を自分の言葉としていたからスティグマとして自分を責めた。自分の心と言葉にウソはつけないものだからだ。
10歳若い1975年生まれのこの高校生たちは僕のようなHIVに感染したという人がクラスに現れても友人として抱きしめて「愛好」しようとしてくれてたんだ。そのメッセージを文化祭で発信するスゴい大胆な行動をしようとしてくれていた彼らの自由でとらわれのない発想を「差別」「気持ち」というもっともらしくとって付けたっ言葉で芽を摘んでしまった自分。なんてひどい事をしてしまったんだろうと今でも自責の念で苦しくなることがある。
陽性告知を受けたあと、ぷれいす東京で池上千寿子さんとこのことについて話をしたら「ええ?素敵じゃないの」って素直に感動されていた。そう。当事者性を素直に持てる人たちは年齢や学齢に関係なく未来を正直に正確につかむことができる。
「当事者の大いなる参画」を徹底的にしなければならないし彼らに「水際作戦」よろしく情報遮断をするなどもってのほか。
世界の最新情報を提供することを怠ってはいけないのである。
「水際作戦」という言葉が聞こえたらこれは世界からの「情報遮断」つまり鎖国政策だ、情報や利益の独占を権力者が宣言したという風に理解しなければならないのが現代日本社会の正しい理解だと僕は思うのだ。
実際、新型コロナ問題ひとつ、世界のちゃんとした情報がワクチン騒動やアメリカの製薬会社との交渉、アメリカの一機関にすぎないCDCのガイドラインで振り回されただけで国連からも欧州からも情報をえようとしない識者ばかりではなかったか。マスクがどうのという議論ばかりに終始していなかったか。必要だったのは「ウイルスはどこからどこへどのように」伝播され、そのリスクはマスクをした場合としない場合で飛散や行動面でどういう変化や変容でより安全な方法=害の少ない方策へつなげられるか?を自ら考え仲間とともに変えていく、というハームリダクションの視点と考える自分があったならああはならなかったのではないだろうか。
オトナである事、社会人であること、という「常態」に胡坐をかいてしまうと新しい人たちの新鮮な感覚を逃してしまいかねない。
でも、人様を変えることは絶対にできない。変えられるのは自分の考え方と行動のもちようだけだ。でも、共感し協力しあうことに道が広がったら、一人が一人と繋がりそしてそこからさらに一人と繋がっていく。それが社会を変えるところになるのかもしれない、とすればまだ夢がある。
出会いに感謝し、出会いを歓び、その先何が起きるかワクワクしながら向き合っていく・・そこでは、ぜったいに絶望しないでいいのである。


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UNAIDS 世界エイズデーレポート | 2011年版


エイズに立ち向かうため世界の力を 合わせよう

2006年UNAIDS(国連AIDS合同計画)
P15にGIPAの果たしてきた役割が書いてあります。

<論文>
AIDS GOES ON─エイズ対策史へのひとつの視点AIDS GOES ON─A Personal View for the Global AIDS Responses

INTERNATIONAL PERSPECTIVES ON SEXUAL AND REPRODUCTIVE HEALTH
A journal of peer-reviewed research
Volume 31, Issue 1  March 2005 | Page 38

論文原文のPDFはこちらからどうぞ。


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