死ぬことすらできない辛さ 4 〜発症して5年〜

発症してどれくらいかは忘れたけど、足先に力が入らなくなった。
おかげでスリッパがすぐに脱げるようになったのは覚えている。

躓きやすく転びやすいのにスリッパを履くなとのツッコミは受け付けておりません。

2〜3年もすると徐々に脚に力が入らなくなった。
壁やタンスにもたれて掴まりながら歩く。
よく転んでおり、家の中を這いずって移動することもあった。

寝室は二階にあるため、起きてお弁当や朝食の準備で下に。
洗濯物を干すのに上に。
昼飯の準備で下に。
洗濯物を取り込むのに上に。
夕飯の準備で下に。
寝るのに上に。

最低でも毎日階段三往復はしている。

手すりがあっても全体重を支える程の腕力がないため何度転げ落ちたことか。
それでも大怪我をしなかったのは奇跡に近いと思っている。


アルバイトはとうの昔に辞めていた。

一人で移動するのが難しいのだから仕方ない。

這いずって移動するだけで良いならお化け屋敷が最適と思いついたけど、そこまで行くのが大変なので諦めた。


発症して5年
34歳

この頃はもう自力で歩くのは困難なため家の外では車椅子がメイン。
家の中では夫に支えてもらいながら階段の上り下りをしていた。

施設に入りたいとは思わない。
転んでも家に居たいと思っていた。

排泄はトイレに手すりを付けたので夫が介助してくれれば大丈夫。

問題は夫がいない時間帯だ。

仕事から帰ってくるまで我慢していたら膀胱炎になる。
オムツをすれば安心だが不快。

どうする?


兄のようにヘルパーさんを利用することにした。


ヘルパーさんが決まるまでは親に迷惑をかけたくはないけど、日中だけお世話になることにした。

朝実家に送ってもらい、仕事が終わったら迎えに来てもらう。

実家がデイサービスみたいな感じだった。

ヘルパーさんを探し、契約をして導入。
ヘルパーさんが家に来てくれることになったため実家通いは終了。
お母さんありがとう。

夫が仕事の日は朝から夕方までヘルパーさんが家におり、祝日や土日は夫がいるのでヘルパーさんには休んでもらった。

階段を使わず一階での生活がメインとなると二階建ての家では何かと不便が生じる。

夫が二階にいると手を貸してもらいたい時に呼ぶのが大変。
近くに居てもらえるような家が欲しくなった。

子供を授からなかったので自分の部屋、夫の部屋、あとは団欒できる部屋があれば良い。

キッチンは車椅子で移動・調理が出来るくらいの広さを確保。
食器棚は開き戸だと車椅子が邪魔で開けられないので引き戸で設計してもらった。

他に車椅子で移動出来る広い廊下とトイレが必要。トイレも引き戸。

車椅子が移動しやすいように家の中だけでなく、敷地内全てバリアフリーの平屋を購入した。


夫は隣の部屋にいるのですぐに来てくれる。

とても快適だ。

脚は動かなくなっているけど腕はまだ大丈夫。

食事は自分で食べられるけど料理をするのは難しい。

広さを確保したキッチンではあるが、残念ながら一回も立つことなく夫専用になってしまった。

脚に力が入らないから立てないのだけど。



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