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「この世で一番嫌っていたものになってしまった」というギフト

この記事には、心の病に対する「わたしと父の」「あくまで個人的な」記憶と心の変遷が書かれています。特定の病気や誰かを責めたり非難するものではありません。もしご自身に重ねて辛くなりそうだと感じる方は、どうぞそっと閉じてくださいませ。


わたしがこの世で一番忌み嫌い、
絶対に自分はなりたくない、と思っていたもの、
それが心の病でした。


その理由は、子どもの頃に父がそうであったから。


家の中でどんよりし、
仕事を休み、
なにも語らず、
不可解な行動をし、
ゴロゴロ寝ている父がとても嫌いだった。

「弱い」「情けない」「働け」と
心の中で何度悪態をついて
イライラしていたかわかりません。

その「嫌い」は、
親として子どもの自分を守ってくれないことへの
不安や悲しみ、怒りからうまれた「嫌い」だったんですけど

しっかり者を演じていたわたしには
「不安だ、守ってくれなくて悲しい」なんて
子どもじみた思いを認められず

「心の病にかかる人は、弱くてダメな人だ」
というジャッジメントを
無意識にずーっと
そりゃあもう強烈に、もっていたんです。


その強烈なジャッジメントは

大きな不安や恐怖を打ち消そうとして
自分に課した、

「強くいなくては生き残っていけない」
「だから働け、つらさを感じるな」
という

わたし自身の思考の
強いコントロールが生み出したもの。



わたしの心身は、
そんな強い思考のコントロールが
ほんとうは窮屈でつらかった。


でもそれを自覚できず
その反動で
対極にある「弱さ」を
余計に激しく忌み嫌い、
それがジャッジメントをより強固なものに
していってたんですよね。


時を経て、

父は亡くなり、
わたしも大人になり

目の前から「嫌いな父」はいなくなったわけなんですが。

強烈なジャッジメントと
窮屈な価値観、
父に対する未消化の感情は健在なまま。

それらを潜在意識下に落として
「この社会で生きるため」にと
心身を奴隷扱いし酷使し続けた結果

自分自身がうつ病を患ってしまったんですよね~。


今にして思えばまあ、
当然といえば当然なんですけどね。

そのときはもう、
「この世で一番嫌いで憎んでいたものになってしまった」と
絶望感に打ちひしがれました。


なにもできず、
寝てばかりいて、
すべてがつらくて涙ばかり出る。

そんな、
「弱く情けなく働けない自分」を憎み、
どうにかして「元の強い自分()」に戻ろうと
復職を試みては悪あがきする日々。

だって、
「弱いと生きていけない」
「情けない」
「嫌い」
という父に向けていたジャッジは
あいかわらず健在で
完全ブーメランで自分に向かっていたもので。

病気でつらいのに、
さらに自分を責めて
また病気を悪化させるという
悪循環を繰り返していました。

そんなジャッジを少しずつゆるめられたのは
自分の身に起きていることや
ジャッジが生まれた背景を理解できたこと、
それにまつわる未消化の感情を
徹底して癒せたからだと思います。



ああ、わたしは

もう二度と不安な思いをしないで済むように
思考によって心身を奴隷扱いして
「この社会で安心して生きるためだ我慢しろ」と
心身を酷使し痛めつけていたんだな

それで、心身がストライキを起こしただけだったんだ

大事な心身がストライキを起こしたことを
弱いと切り捨ててみないフリのほうが
よほど弱いことだな


でもそれくらい、子ども時代に不安やこわさがあったんだな


そういう状況を放置した父(と母)に腹を立てすぎていたんだな


その怒りを原動力にして強くあろうとしたけど
ほんとうはわたしも父と同じように
「一般的な」生き方ができない人なのかもしれない

それを今までの価値観では「弱さ」と思っていたけど
ほんとうにそうかな。

「一般的」に生きられなくても
自分の資質を生かして生きればいいんじゃない?


父は、生まれた時代や成育歴から
病気の治療もうまくできなくて
「自分の資質を生かす」なんてこともできず
生きるのがつらかっただろうな


それなのに、
それなのに、
よく耐えて頑張って会社に行き
わたしを大学まで行かせてくれたな。。。。
(父が亡くなったのは、わたしが大学卒業後数か月たった頃)


(ここまで書いて、
父に対する感謝が改めて感じられて
ちょっと涙がでます。)

もし、わたしが
うつ病にならず
自分のつらさをなんとかしたいと思わなかったら

自分の偏ったジャッジメントや
窮屈な価値観や
未消化の感情に向き合うこともなく

一生、

父と自分の弱さを憎み嫌い、
心の病にも偏見を持ったままだったかもしれません。


そして、

心の陰陽でいえば「陰」の部分、
ネガティブな感情や側面を感じることを抑圧して
身近な誰かに投影し続けて
イライラしながら生きていたかもしれません。


そう思うと
やっぱりあの時そういう経験ができて
必死で心や身体のことをわかろうとして
生き方を変えられて
よかったなあ、
病気のおかげだったなあ、と
思うんですよね。


強烈なインパクトがないと
なかなか必死で取り組まないくらい、
わたし、根がズボラなもので(笑)


病はギフトっていう言葉があるけど
わたしにとっても
あれは人生における大きなギフトだったなと
思っています。

正直いうと、
もう同じつらい思いはしたくないですけどね!

心身を奴隷扱いしないよう、
大事にしていきます~


この記事は
書きのたね@DoLaさんの
こちらの記事にインスパイアされて書きました
いつもありがとうございます!

お題となっている「一元観エピソード」
企画発案のららみぃたんさまの記事


わたしもこういう企画初めての参加ですが
なんかたのしい!
noteって面白いですね!!


【心をたがやす一歩 その21歩目】

自分の価値観をうたがってみよう

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