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【長編小説】 異端児ヴィンス 13 最終回

 とうとうモントリオールにいる間、テオから電話がかかってくることはなく、また、偶然にどこかでヴィンスを見かけるということも起こらなかった。日記を始めてから一年四ヶ月ののち、私は居を移す決心を固めた。例の日本人、自分と同じルーツを持つ日本生まれの日本育ちの御仁が、もし興味があれば、僕の故郷を訪ねてみないかと誘ってくれたのだった。その頃になると、私もそろそろ生活を変えようという気になっていたし、それに何よりもキイチとの間で互いに重ねた会話が、彼と私の距離を最小限に縮めていたのだった。彼の行くところなら、北極だろうがアマゾンだろうがついて行けそうな気がしていた。
 彼は私の持つエゴイズムさえも、面白がって理解してくれ、未熟な面をフォローしてくれようとする寛大ささえ持っていた。
 面白い出会い。
 日本的なもの、こと、考え方を拒絶してカナダに渡ったはずだったのに、最後に巡り合ったのは、憧憬さえ感じさせる日本人らしい日本人だった。まるでアルケミストの物語ではないか。
 けれど、私は心からこの出会いを歓迎することができた。
 彼は東京の下町の出身で、生粋きっすいの江戸っ子の血筋だということだった。彼のふるさとである浅草界隈をひと通り回ったあと、私達はいったん都内に落ち着いた。
 東京に降り立った時、モノレールに乗り込んで浜松町に向かいながら、私は自分の辿ってきた道を不思議な気分で振り返っていた。カナダから戻ってきて見る日本は、また新しい未知の世界だった。
 
 以来私はずっと東京で暮らしている。二、三年後にはもうヨーロッパに行きたいと言って旅立っていったキイチは、いつの間にか気のいい幼馴染みたいな存在になっている。彼が異国から時々もたらしてくれる知らせが、新鮮なときめきを私の心に与えてくれる。彼はまた、たまに顔を合わせて会話するスカイプの画面の向こうから、モントリオールでの私達の出会いや様々な出来事を口にすることもある。それらは懐かしい思い出話であり、また私にとってはほろ苦い幾つかの出来事を甦らせる記憶の種でもあった。
 ――今、心のり所と自分のいていい場所、〝本当の居場所〟を見つけてしまった私には、さしあたって怖いものは何もない。返って以前、無知であるがためにわけもなく恐れていたものたちが滑稽こっけいに思えるくらいだ。
 それでもヴィンスは、ヴィンスのことだけは、いつも心に引っかかっている。
 あの日、あのパブの片隅で、彼が私にだけ見せた苦汁を吐くような表情……。彼はいったい何を隠し持っていたのだろう。迂闊うかつにも私のような者に垣間見せてしまった彼の真からの表情には、彼の孤独にさいなまれた魂が露呈していたのではないかと思う。アルコールに溺れ、ひねくれ曲った与太話を毎晩のようにぶちまけていたヴィンス――。彼の身上は、最後まで誰も暴くことができなかった。
 でも時折、そんな話の中にドキッとするような真理を彼が披露していたことを、ほとんどの人は知らない。それはとても残念なことのように思える。多くの人が、彼の周りにハエのように飛び回る下劣な言葉の数々に拒否反応を示して話の内容に耳を傾けようとしなかったことは、彼らにとって大きな損失と言えるかもしれない。
 ヴィンスを天才などと呼ぶつもりはないが、いっときでも自らの魂の問題に触れ、何ものをも恐れずそれを表現しようとしていた彼は偉大である。世の中のすべての酔っ払いたちのリーダーとして彼をまつり上げたいくらいだ。酒に溺れ酔っ払うなら、彼のようにやれ、と……。
 ヴィンスは社会にあらがい、体制に刃向かって手痛い敗北を喫したのだ。社会は彼を片隅に追いやり、体制は彼を拘置所にブチ込んだ。そんな風に傷つけられ、頭はアルコールに浸かり切って惨めな風体ふうていさらしていても、ヴィンスは生きていくと言った。

「何とかやっていくさ」

 そう言った彼の姿は、今でも私の魂に波紋を投げかけ続けている。

 
    終

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