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イタリア、レッジョ・エミリアで見たストーリーテリングのお祭り「レッジョ=ナラ」と、シュタイナー教育のストーリーテリング

レッジョエミリア=アプローチについて

イタリアのエミリア=ロマーニャ州にある小さなレッジョエミリア市は、アート×幼児教育の街として、日本でも特に幼児教育者に知られています。私は2016年5月の「レッジョ=ナラ」(レッジョエミリア市のストーリーテリングのお祭り)の時期に合わせた「レッジョエミリア教育視察ツアー」に参加しました。

レッジョエミリア=アプローチについて知ったのは大学生の頃、幼稚園教諭の免許を取るための、保育内容概論の授業でした。とにかく子どもの目が輝くそのアプローチ方法の映像を見て、教授も楽しそうに話しているのを聞き、胸がときめいたことをよく覚えています。町全体で自然と廃材を使ったアートを子どもたちのために提供する街。この目で見たくてたまらなかったことを覚えています。こんな素敵なオルタナティブ幼児教育もあるのだと初めて知った2010年ごろ、10年前のことです。

企業と幼稚園・学校・保護者が連携して廃材をアートに使えるようにシステムが作られていたり、子どもたちのアート活動をドキュメンテーションとして残していたり。レッジョエミリア=アプローチの保育園や幼稚園には一般的な「教育者(保育者)」の他に「アトリエスタ」が置かれ、プロのアトリエスタにより、子どもたちのアート環境が園の中でいつも美しく整えられています。

レッジョ=エミリアアプローチが生まれたのは約70年前の戦後のイタリア。
日本と同じように第二次世界大戦で敗れ、焦土と化した街。
何もなくなってしまったところでこれから、何に力を入れて街を復興させていくか?と考えたときに、
市民が一致して「子どもの教育」を強く望みました。豊かな学び。

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独裁政治や戦争を、二度と繰り返すことのないように、「一人ひとりが意見を持って豊かに生きることができるように」教育の中でもアートに力を入れ、宝である子どもたちと街を自分たちの手で素晴らしいものに築いていこうと、レッジョエミリア=アプローチは市民の手で生まれました。
教育方法はいつの時代も、時代の反省や必要感から生まれるもの。想像力や表現力を育むためのアートの必要性が市民から出たことは、イタリアらしいなぁと思います。

レッジョ=ナラ

さて、「Reggio Narra」の「Narra」とは、イタリア語で「語り」のこと。
なんと、10日間ものあいだ街の至る所で、無料で、ストーリーテリングが繰り広げられていました。
語り手は衣装や化粧、立ち居振る舞い、語り方、全て登場人物になりきってお話を「演じて」います。
舞台背景や小物も用意されており、子どもに小道具が用意されているところもありました。
語り手の得意な楽器(ピアノ、ギター、フルート…)を途中で入れたり、一緒に歌を歌ったり、即興で絵を描いたり子どもに参加してもらって一緒に演じたり。
ストーリーテリングですが、観客参加型で、ちょっとしたミュージカルのようです。

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こんなミュージカル会場でお話を語ることも。このような場で行われるプロによるストーリーテリングは大人気のため、事前予約制。

そして驚きだったのが、この朝から晩まで続くストーリーテリングの語り手の多くが、一般市民だということ。街に住むお父さんお母さんが練習を重ねてストーリーテリングをしていました。みんながみんな、ストーリーに魂を込めて楽しんでおり、語り手としてのプロでした。レッジョエミリアで生まれ育って、レッジョ=ナラを小さい頃から経験してきた人たちが大人になり、語りをしています。


もちろんストーリーはイタリア語で行われ、ストーリーテリングはこの地に住む子どもたち向けのものなのですが、私たちのように世界中から保育者が研修や視察として参加をし、とにかく感動していました。通訳を通して言葉は理解しましたが、言葉の意味がわからなくても話に引き込まれるほどに語りが素晴らしかったことを記憶しています。

お話の一つひとつは10分〜長いもので40分ほど。
イタリアの夕方はスコールのような雨が降りますが、
雨が降っても雷が鳴ってもそれも物語の演出のひとつのように扱い、話は続けられ、子どもたちも雨や雷を気にせず集中して聞いていたのが驚きでした。

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街の一角で始まるストーリーテリング。語り手は先生になりきっています。子どもたち一人ひとりには小道具の小箱。

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小道具は、物語の世界に入るために楽しく仕掛けがたくさん。イメージをより膨らませます。

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別の日、別の場所で。

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小道具が入ったカバンは一つひとつ手作り。好きなカバンを選んで好きな場所でお話を聞きます。ワクワク。

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お話が始まる5分前。物語の世界に入る準備。



既存の絵本の絵や文章にとらわれない、様々な表現方法。
歌や語り方、リズム。
お話の世界に入って登場人物の気持ちに寄り添って応援したり、悲しがったり、嬉しくなったり、悔しくなったり。
様々な感情を、体験をお話を通して経験する。豊かな語りで溢れるお祭りでした。

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ペンギンのお話。尻尾付きの服で、動きもペンギンのよう。

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お話を語りながら、子どもたちも物語の登場人物になる。

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とある図書館でのストーリーテリング。テンポよくリズムよく表情豊かに語られる物語。毎年大人気の語り手だそうです。

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スポットライトを当てたり、光の調節をするところも。



シュタイナー教育のストーリーテリング

シュタイナー教育でも、担任教師による「ストーリーテリング」が重きを置かれています。ファンタジーの世界に浸ること、「繰り返し」を味わうこと、自分で世界をイメージし、想像すること。同じストーリーでも、登場人物のイメージは変わってくる。詳細な背景を自分で作ったり、「それから」を考えたり。感情を味わい、イメージすることは心の成長につながります。

シュタイナー学校の先生たちは、毎日15分ほどストーリーテリングをするのですが、語り方がなんとも素敵で、うっとりと引き込まれます。
レッジョ=ナラとの違いは、「お話の世界観」をより子どもに委ねているところだなと感じます。
子どもたちは円になり、(椅子に座ったままのクラスもある)先生は電気を消し、ろうそくに火をつけ、ゆっくりと、小さな声でお話を優しく語ります。1つのお話を何日もに分けて語ります。
学齢の小さな子どもたちは集中して聞けるのかな?と思っていましたが、
どのクラスの子どもたちもこの特別な時間を楽しみにしていて、先生のことを見ながら聞いたり、どこか一点をぼんやり眺めながらお話の世界に浸ったり。

シュタイナー教員養成大学院のストーリーテリングの授業では、
黒板画や小さな小物、色のスカーフなどでイメージを促すこと、
語りはなるだけ自然に、淡々と行うことを強調されて習いました。
また、季節にちなんだお話の選び方や覚え方のこつ、子どもたちは椅子に座るのか、円になるのか、始まりと終わりはどのような歌で始めるのか。
語りに欠かせないろうそくはどの位置に置くのか。自分はどこに立つ/座るのか。語る時の視線は?語りの後も子どもたちが余韻に浸れるような工夫なども考えました。

実習で行ったシュタイナー学校のメンターの先生は担任30年目の大ベテランでした。先生によると、お話を覚えるために「①大筋の話を書く②挿絵を描く③イメージを頭に入れる」を30年毎日行っているそうです。15分のお話を覚えるのに、今でも毎日1時間かけるそう。昔はもっとかかったけれどコツがあるからね、お話を覚えるためのノートを作るといいよと教わりました。

私も少しずつ、自分でも語りができるようにお話に浸って暮らしたいです。世界中に「子どもたちの想像力を育む」ためのストーリーテリングがあって、それが特別なことではなくて、改めてなんて素敵なんだろうと胸がときめきます。

どんな時代も、どんな国にでも童話や昔話、伝説のような不思議なお話はあり、昔から口伝えで伝わっています。夢いっぱいだったり、教訓があったり、とんちが効いていたり。物語の魔法の世界に入ることは子ども時代にとって、特別な権利ですね。

今日も長くなりましたが、読んでいただき嬉しいです。ありがとうございます。

Ai.


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